こんにちは。ymtetcです。
突然ですが、今日はお休みです。申し訳ありません。
『宇宙戦艦ヤマト』以外の話題を取り扱うとして立ち上げたサブブログで、この記事と同じ時刻に記事を公開しております。
続きを読む2164 第一次内惑星戦争勃発
2183 第二次内惑星戦争終結
こんにちは。ymtetcです。今日は『宇宙戦艦ヤマト』(1974年)の放送開始日ですね。
先日公開したこちらの記事に、たくさんのコメントをいただきました。
ありがとうございます。
その中で一つ、ナミガワ様から「内惑星戦争をベトナム戦争の暗喩にすることも?」という旨のお話をしていただきました。今回はその可能性をごく簡単に検討することから始めて、映画『ヤマトという時代』にも無関係ではないであろう福井晴敏さんの時代観について、「90年代」に着目して考えます。
この記事を書く予定だった日の夕方、ホンダのF1撤退がニュースになりました。
実は、ymtetcの「etc」とは主にモータースポーツでした。ブログにわざわざ書くほどの知識はなかったので自然と書かなくなりましたが(笑)。今回はビッグニュースでしたので、ヤマトファンの皆さま向けに(?)一言触れておきたいと思います。
さて、ホンダが撤退するのはある程度仕方ないことではあるのですが、やはり、日本のファンからはかなり批判されているようです(Twitter等で検索をかけていただくと分かります)。今回の撤退ニュースをめぐって、ファンにとって特にホンダの印象を悪くしているのは、ホンダがこの数十年の間、復帰と撤退を繰り返していることだと思います。
なぜ、復帰と撤退を繰り返すことがマズいのか。それは一つに、F1から撤退した時点で、ホンダは「過去」の存在になってしまうからなんです。すなわち、撤退した時点でF1の「世界」の一員ではなくなってしまう。それを繰り返すことは、参戦中に積み上げてきたF1「世界」での市民権とノウハウを、撤退のたびにリセットしていることに等しいわけです。なんと勿体ない。
実はこれ、これからの『宇宙戦艦ヤマト』にも同じことが言えると思います。
リメイクシリーズはいつか、終わりがきます。それこそ『2199』⇒『2202』の衰退具合からして、『2205』が最後かもしれません。それ自体は仕方のないことかもしれません。
ですが、そこで『宇宙戦艦ヤマト』自体をこの「世界」から撤退させてしまってはいけません。その時点で、せっかく『復活篇』が口火を切り、『2199』が開花させ、『2202』『2205』と生き延びてきた「今」の『宇宙戦艦ヤマト』が、再び「過去」の存在になってしまうからです。そうなれば、再び『宇宙戦艦ヤマト』は「世界」における市民権(この場合、存在感とでもいいますか)を失い、いつかまた「復帰」しようとしても、それはゼロからのスタートになってしまいます。
これからの『宇宙戦艦ヤマト』は、リメイクシリーズの出口を模索しつつ、その先に新たな『宇宙戦艦ヤマト』を継続させていく具体的なイメージを考えておく必要がありますね。裏を返せば、ホンダ撤退のニュースは「継続」の難しさを改めて教えてくれたのかもしれません。
では、これとは全く関係のない(笑)、今日の記事へと進みましょう。
こんにちは。ymtetcです。
映画『ヤマトという時代』は『2202 愛の戦士たち』の総集編でありながら、「愛」をテーマにはしていません。
そんな『ヤマトという時代』に対し、福井さんは「最新作『2205 新たなる旅立ち』をご覧いただく前に」との言葉を寄せています。『ヤマトという時代』は、『2205 新たなる旅立ち』の前座映画である……ここから、色々な論点が生まれてきそうです。
こんにちは。ymtetcです。
映画『「宇宙戦艦ヤマト」という時代 西暦2202年の選択』が描くのは「愛」ではなく「人類」「世界」の「歴史」であるらしい。前回の記事ではそんなことを書きました。
そこで、この観点から『ヤマトという時代』について、さらに考えてみたいと思います。