2202を取り巻いて私がモヤモヤしている所は少しずつお話しできたかな、なんて思っている今日です。そこで今回のテーマは少し広めの視野をとりたいと思います。
標記の「現代ヤマト」とは何か? この記事では
宇宙戦艦ヤマト 復活篇 第一部(2009年)
SPACE BATTLESHIP ヤマト(2010年)
宇宙戦艦ヤマト2199(2012年)
宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち(2017年)
の四作品を「現代ヤマト」の作品とします。YAMATO2520を含めて「平成ヤマト」と括っても良いのですが、2520は1度しか見ておらず私も語れる自信がありませんから割愛し、上記の四作品を「現代ヤマト」と題したいと思います。
今回のメインテーマは、これら「現代ヤマト」作品が採ったアプローチをそれぞれまとめ、対比できる部分は対比していくことにあります。
ここで、論点をご紹介しましょう。
前提として、宇宙戦艦ヤマトとは1970年代~80年代にブームとなったコンテンツです。はっきり言って「カビの生えた」「古臭い」ものであることは間違いありません。
それを、2000年代・2010年代になって新作として公開する、あるいは実写化する。その試みとは、かつてブームとなっていた「旧作」をどのように解釈して、どのように発展させるかという試みであると私は考えています。
よって、今回は、「旧作」に対して、そして「新作」に対してどのようにアプローチしたか、というのが論点となります。
ではまず、復活篇から振り返っていきましょう。
宇宙戦艦ヤマト 復活篇 第一部 のアプローチ
- 新作映画ながら、ストーリー・展開においては旧作のテイストを維持
- キャラデザ・音楽・効果音を一新
当初より三部作構想だったこと、第二部以降への期待を込めて「第一部」とここでは表現します。
おおざっぱではありますが、この二点が挙げられるでしょう。
ただし、この復活篇は他と違います。実写版、そして2199以降は「リメイク」という側面の強い新作です。それに対して復活篇は「旧作」である完結編の続編であり、その意味では「旧作」の一部なのです。
今回の記事では「どのように旧作を捉えたか?」というのが一つの論点ではありますが、復活篇はある意味「旧作」をそのまま受け継ぐ存在なのです。
かつての古代達を思わせる新たな若いクルー、遠くからやって来る地球滅亡の危機に飛び立つヤマト、機転を利かせてピンチを乗り越えていくヤマトクルー達。そして主人公はいつも古代進、という所まで含めて、復活篇は「旧作」そのものです。
一方、復活篇ではキャラデザ・音楽・効果音に関しては新たな解釈が用いられます。音楽・効果音は旧作の音源を用いている場面もあるのですが、作品の見せ場を彩るのはクラシック音楽や新作の音楽・効果音です。キャラデザも、90年代に初めて登場した復活篇のキャラデザとは異なる、新しいデザインが用いられています。
このように、復活篇はその根本的な部分で旧作ヤマトを正統に受け継ぐ作品でありながら、表面的な部分、デザインや音楽などは新しいものを目指していると私は考えます。
SPACE BATTLESHIP ヤマト のアプローチ
- 旧作への愛が垣間見える基本プロット
- 設定の大幅な改変
復活篇について書いていたら、上手いこと「旧作へのアプローチ」と「新作へのアプローチ」が二つに分かれていたので、こちらでも踏襲したいと思います。
実はこの実写版ヤマトは、後述する2199と似たようなアプローチを取っています。
ストーリーの基本ラインは「初代ヤマト」で、一作で完結とする為に途中から「さらば」へと繋げ、古代はヤマトと運命を共にして物語は幕を閉じます。
「さらば」に対しては2202ほど向き合っておらず、さらばの要素はまさに一話完結とする為の道具にしか過ぎません。しかし実写版としては決して悪い設定ではなかったと思います。
この作品のプロットは「沖田と古代の対立・師弟関係」「古代と雪の愛」という二つからなり、その周りを「古代と島の友情」「古代守・進と真田」「沖田の賭け」などといった小さな要素が囲んでいます。
もちろん、お約束の第三艦橋やドリルミサイルによる波動砲封印など、オマージュシーンにも事欠きません。波動砲をやたら撃ちまくる展開は良くなかったと思いますが、(2202ほど深層的ではなかったとはいえ)旧作をよく見て、考えて作ったことが分かります。
そして「旧作」を上手く一話完結にまとめたこの基本プロットと、役者のカラー等に応じて、本編中の設定は「宇宙戦艦ヤマト」の原型を留めているとは思えないほど改変されています。
ガミラス・イスカンダルの設定、森雪・佐渡先生・沖田艦長・古代進をはじめとするキャラクター設定の改変(真田以外はほぼ変わっていると言っていいのではないでしょうか)。枠組みは旧作を踏襲しているものの、それを表現する設定は、ほとんどオリジナルであると言っていいのではないでしょうか。
このように実写版は、プロットは旧作を踏襲しながらも設定など表面的な部分をほぼ全面的に改変して、新作とするアプローチを採っていたと私は考えます。
宇宙戦艦ヤマト2199 のアプローチ
- 「旧作ヤマト」全体から逆算された”初代ヤマト”の設定・展開・ストーリー
- 現代アニメとしての設定・描写
実写版によるリメイクが「旧作(~さらば)」を踏襲したものであることを先ほど指摘しましたが、2199にもほぼ同じことが言えます。
しかし、2199のアプローチが決定的に違うのは、完結編から(もしくは復活篇から)逆算して、続編群で後付けされた設定を盛り込んで「初代ヤマト」を描こうとしている点にあります。
土方・山南・平田・山崎などのキャラクターは初代ヤマトには存在しませんでしたが、後の作品によって「いたことになった」キャラクターたちです。
昨日指摘したアケーリアス文明の設定だけでなく永遠のジュラ編、イローゼ、デスラー暗殺、反乱といった没エピソードも盛り込んで「初代ヤマトのあったかもしれない姿」を描き出そうとしていることも特徴でしょう。
そしてこの基本プロットを描写する段階において、現代の作品としてあるべき姿が目指されている、という点も特徴です。海上自衛隊の協力によるミリタリー設定、女性キャラの増加、沖田十三を中心とした群像劇など、様々なアレンジが施され、ディティールアップされた「初代ヤマト」の姿が現代アニメとして見事に描写されたと言えるでしょう。
このように2199は、基本プロットは旧作を尊重しつつ、ディティールの面でクオリティを高める、というアプローチを採りました。しかし、(実写版もそうなのですが)「旧作はなぜ名作だったのか?」という、当時の社会とも照らし合わせた深層的な解釈によって基本プロットを練り直そうとする試みはここでは見られません。
宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち のアプローチ
- 「旧作ヤマト」の大らかさを残した設定・展開
- 「さらば」に対する大胆な拡大解釈に基づき改変された基本プロット
2199が現代アニメとしてのディティールに拘ったというお話を先ほどしましたが、2202は反対に、この点にはそれほど注意を払っていないようです。
むしろ、画面作りやミリタリー表現等に関しては「旧作」寄りを意識したアプローチを採っており、その点では2199との間にややギャップがあります(解釈によってギャップを埋めることも不可能ではないと思いますが)。
一方、2202の特徴はその基本プロットに対する大胆な切り込み方です。2202は旧作を尊重するというよりは「なぜヒットしたのか?」「なぜ名作なのか?」「なぜヤマトは古臭くなってしまったのか?」という批判的な拡大解釈によって、現代に「さらば」と同じものを再現しよう、というアプローチを採っていると私は考えます。
ここでいう”「さらば」と同じもの”とは、「観客が、さらばを70年代に鑑賞した人と同じ感想を抱く(究極的には)ことを2202は目指しているのではないか」という私の考えからなる表現です。
2202のプロットは「さらば」に対して批判的に切り込むことによって生みだされた「現代版さらば」とでも言うべき基本プロットに、2199の続編としての要素を活用してさらに発展させ(下記記事参照)、空いたスペースにヤマト2のイベントを盛り込んで完成したものではないか、という風に、私は推測しています。
このように、
2202は2199の続編として成り立ちながらも、プロットは「さらば」を拡大解釈して現代の世に蘇らせようとするものであり、やや旧作に寄ったテイストは2199との間に多少のギャップを産んでいる。
と、私の考えをまとめることが出来ますね。
さて、今回は「現代ヤマト」として乱暴に四作品をまとめたら2202の独特なアプローチが浮き彫りにならないかなー、と期待して見切り発車してみました。
そろそろネタが尽きてきたような気もするのですが、今回述べた、私が一番声を大にして言いたい「2202はさらばの拡大解釈である」という点について、細かく見ていけば記事になりそうですね。
いざとなればヤマト以外の話題でお茶を濁すことにして、今回の記事を終えたいと思っています。