こんにちは。
今日はあまり時間の余裕がないので、ちょっとした小話をしたいと思います。
とはいえ、今日はローレライとヤマト2202を徹底的に比較するような、検証記事ではありません。ふと、両者の共通点のようなものを見つけた気がしたので、ここにまとめてみます。
そもそも、ローレライと2202は無関係な作品ではありません。
どちらも福井晴敏さんの手によるものですが、それ以上の意味を持っています。
それは、2018年2月15日の「愛のヤマトークナイト」で明らかになりました。
「キーマンがどのようなキャラか」を岡さんに伝える為、福井さんが手渡した参考資料が『終戦のローレライ』だったのです。
(『終戦のローレライ』に登場するフリッツ・S・エブナーが、キーマンと関係がありそうです)
「ミッションは 原爆投下を阻止すること」(映画予告編より)
そして、
「この国に「あるべき終戦の形」をもたらすと言われる特殊兵器・ローレライ」(原作文庫版あらすじより)
私はこの2つの表現に、2202へのヒントがあるのではないか、と考えます。
この2つの文章は、我々が史実の「終戦」を知っているということを前提に書かれているのです。
これと同じように、2202も、我々観客が「さらば」の結末を知っていることを前提に表現されている部分があるのではないでしょうか。
既にいない沖田艦長の背中を追いかけ続ける古代。オレンジ色をまとって現れる死者達。
ズォーダーの悪魔の選択。身を投げた森雪を追い、死を覚悟した古代との「2人の結婚式」。
2202では、古代を追い込むための仕掛けが幾度となく繰り出されています。
恐らく第5章で登場する「新たな悪魔の選択」も、そうでしょう。これから避けられないであろう、いくらかのキャラクター達の死もそうでしょう。
この、古代を徹底的に追い込んでいく構造を見ると、我々はさらばを思い出さずにはいられません。
「さらば」で徹底的に追い込まれた古代は、自らの愛を貫いて自己犠牲へと向かいます。
「ヤマト2」が不評な理由は、あの結末がテレサによるどんでん返しに過ぎず、古代という主人公に向き合えていないから、とも捉えられるかもしれません。
あくまで私の予想ではありますが、これから2202は「さらば」の結末に向かって急加速していくだろうと思います。
しかし、結末は「さらば」と(似ているかもしれませんが)異なったものになるでしょう。
「さらば」へと向かっていく世界の中で、旧作にはなかった設定、キャラ達が、どんな役割を果たして、どんな結末を迎えるのか。
ここがまさしく2202の肝であると思います。
これは「さらば」の結末に対する答えでありながら、一方で「ヤマト2」の結末に対する挑戦でもあります。
こう見ると「ヤマト2」というのはある意味1回目の「さらばのリメイク」だったのかもしれませんね。