ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

【推測】2202が描写不足に陥るロジック

こんにちは。8月になりましたね。

宇宙戦艦ヤマト2202が「描写不足」であるという話は何度もしてきました。よってここでは前提として置くだけとします。

今日の議論では、「尺」問題について考えてみましょう。

2202を見ていると、描写不足に伴って「尺が足りねぇな」という感覚を覚えることがあります。特に第五章における第18話は、付属の絵コンテがフルバージョンだったこともあり、余計にその実感が湧いてきます。

しかし2202にはそもそも1話25分、全26話という遠大な「尺」が与えられていますから、これに対して「尺が足りない」というのもおかしな話。

ここを「実力不足」と結論付けても差し支えはないでしょうが、私は2202に対して批判する際も常に同情的でありたいと考えています(ほんまかいな)。

ということで少し推測するのですが、

まず「福井メモ」とかなんとか呼ばれる、福井晴敏さんの書いたメモを思い出してみましょう。恐らくそこには「21世紀に送る愛の戦士たち」として何が必要であるかが書いてあるのだと思います。

手順として想像できるのは、原作ともいうべきその福井メモを、いかに映像化するかという過程の中で、まず全26話という「尺」が与えられた、ということです。これに合わせて、福井さんなり、岡さんなり、羽原監督なり小林副監督なりがコミットして、会議のもと26話のシナリオが完成したはず。

その福井メモが要求する要素を2199後のヤマト世界に落とし込んでいくと、必要となる様々な要素が浮かび上がってきます。古代雪だの、加藤真琴だの、悪魔の選択だの、滅びの方舟だの、ガトランティスの天命だの、時間断層だの、波動砲艦隊だの、と。

もし仮に、2202が一作だけの劇場版であったならば、恐らくこれらの要素を取捨選択して、一本のシンプルな物語にすることが出来たと思います。

一方で現実の2202は、26話という遠大な、尺に余裕がある状態でスタートした。

じゃああれもこれも詰め込もう、となって、尺不足。

というだけなら、単な実力不足なのですが、今日は同情することが目的です。

現実の2202を思い浮かべてください。

さっき挙げたような色々な要素がこの物語には存在していますね。

そして尺不足。

「では、何か一つの要素を落としましょう。」

と、2202のスタッフが議論したと仮定します。

そして、もしそこで「どの要素を選んでも、一つ要素を落としたら26話では尺が余る

と結論付けられたとしたら、いかがでしょうか。

この要素を保持すれば尺が足りないし、この要素をなくせば尺が余る……微妙な「尺」問題と戦うことは非常に難しいということが想像できます。

そして、そういう状況が発生するのもあり得る話だと思います。

ということで、少し同情してみました。

色々と言われる回といえばホタル回ですが、ホタルはともかくとしてラストのコスモウェーブ関連シーンや、冒頭のガトランティスのシーンは間違いなくその後に活きてくるシーンな訳ですから、一話ごとごっそり取り除くとおかしなことになるのです。

難しいですね。