ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

「次のヤマト」に小林誠は必要か

  • そもそも「次のヤマト」はあるのか

少々過激な今回のテーマを考えていくにあたり、まずはそもそも論から始めなければなりません。

この記事で想定している「次のヤマト」とは、実写映画であろうハリウッド版や、もとより小林誠の力を必要としているであろう復活篇第二部ではなく、リメイクシリーズの最新作である2202から続く、リメイクシリーズの新作アニメを指します。

現在明確に「進行中」と言われているのは、ハリウッド版と復活篇第二部。恐らく前者は構想段階で、後者は凍結中でしょう(羽原・小林がリメイクに出向中のため)。一方で、リメイクシリーズの続編に関しては何も情報はなく、強いて言えばこの記事の、

『メガロボクス』森山洋監督×『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』羽原信義監督対談 | V-STORAGE (ビー・ストレージ) 【公式】

次に続けられるものにしてほしい

という記述でしょうか。副監督発信の噂話ですら、リメイク続編の話は聞こえてきません。

また、「新たなる旅立ち」以降のヤマトは一般的に「蛇足」と呼ばれることの多い作品群であり、コンテンツのベースとなるような需要が欠けていると言わざるを得ない。

つまり、よほどのことが無ければ「次のヤマト」はないと考えるのが妥当です。

ここで思い出したいのは、近年の「宇宙戦艦ヤマト」とは本来とてもとても弱いコンテンツであるということです。2199の成功以後、ついつい忘れてしまいがちですが、2199がスタートした時、テレビで放送されるという保証はどこにもありませんでした。今はその原点に立ち返る必要があるでしょう。

  • 「次のヤマト」があると仮定して

しかしながら、今回は、2202に次回作があると仮定して話を進めてみます。

  • 「次のヤマト」に小林誠は必要か

今日は私の考えを以下にまとめておきたいと思います。

先に結論から申しますと、仮に「次のヤマト」があったとしたら、

小林誠は、いない方がいい。

というのが私の考えです。

いささか乱暴な言い方であることは承知していますが、今の所これ以外に表現の仕方が浮かんでこないのです。

ではその理由をこれから述べていきます。

  • 「好み」で済む領域

小林誠を取り巻く称賛、あるいは批判には二つの領域があると考えます。

まずこの「好み」で済む領域とは、一言で言えば「作風」。

メカデザイン、美術、イメージボード等。彼が2202で担ってきた仕事に対する評価です。

  • 「好み」で済まない領域

一方で、「好み」で済まない領域もあると考えます。それがTwitterです。

以前はTwitterを巡る論争について、3つの論点に分類しましたが、今日はひとまとめで十分でしょう。私たち「観客」サイドがどのように捉えるか、という点が、今回の場合重要になってくるからです。

ここに、「いない方がいい」の理由があります。

  • 「いない方がいい」と思う理由

現在の「反2202」「反小林誠」に目を向けてみますと、ひとつにはクオリティに対する反発があり、そこに小林誠の振舞いに対する反発が加わって、相乗効果を生みながら作品に対する憎悪を増幅させているようにも見えます。しかもこの相乗効果の中で、今なお小林誠自身が燃料を投下していっているのです。

ですから、仮に、ここから「小林誠(の振舞い)」という要素を取り除けば、作品に対する憎悪の増幅量は減っていくでしょう。彼のネット上での振る舞いが、作品に対する憎悪を必要以上に増大させてしまっているからです。

仕事の成果については私が判断することではありません。

しかし現実として、ここまで個人に対する憎悪を抱いている人が増えてしまえば、今後もその色眼鏡がついてまわることは間違いない。

故に、私は「いない方がいい」と思ってしまうのです。