こんばんは。ymtetcです。
前回は「番外編」として、シリーズの振り返りをやりました。
今日はまず、「特殊能力」の定義づけに挑戦します。次いで、完結編を「特殊能力」という観点から眺めていきます。そうすると、ヤマト3から復活篇に至る、共通点みたいなものが見えてきました。
◯二つの「特殊能力」
番外編では、特殊能力を二つに分類しました。
- 科学的な特殊能力
(例)波動エンジン・コスモクリーナーD・旧型波動砲・ハイドロコスモジェン砲
(科学的というと語弊がある気もします。しかし、例示した部分から見て分かる通り、これはメカ系の「特殊能力」を指します。)
- 人間的な特殊能力
(例)「勇気と愛の姿」・愛・友情など
◯「特殊能力」の定義は
これまで曖昧なまま放置していた「特殊能力」の定義も、ここで少し考えてみましょう。
「能力」の日本語における定義は、
物事をなし得る力。はたらき
とのことです。
一方で、「特殊」の定義は、
普通と異なること。特別であること。
(前掲『広辞苑』)
とされています。これら二つの日本語的な定義を参考にして、本ブログにおける「特殊能力」の定義を作ってみますと、
主人公あるいはそれに準ずる存在を、特別な存在へと転じさせ得る力
こんな感じでしょうか。
主人公とは作劇上、もとより特別な存在なのです。しかし、主人公が特別な存在となるタイミングには、やはり二つのパターンがあります。主人公が先天的に特別であるか、後天的に特別になるかという、二つのパターンです。
ヤマト3の記事で紹介した、「デスラーとの友情を通じてファンタムに辿り着き、ファンタムでルダ王女と出会い、シャルバートでハイドロコスモジェン砲を手にする」という一連の流れは、主人公たる宇宙戦艦ヤマトが後天的に特別な存在へ転じていく過程でもありますね。
その過程を導くのが、デスラーとの友情という(人間的)特殊能力ということです。
◯完結編冒頭は続・ヤマト3
では、完結編を眺めてみましょう。
完結編がシリーズとして珍しいのは、冒頭の時点で既にヤマトが飛び立っていることです。
異次元から現れたもう一つの銀河が、ガルマンガミラスにもたらした危機。これを調べるため、ヤマトは飛んでいます。その背景には、
「デスラーとの友情」
があります。この点から見ると、完結編の冒頭は「ヤマト3の続編」として機能していることが分かりますが、それはまた別の話です。
◯純然たる「主人公補正」
ヤマトはその後、ガルマンガミラスから逃れるようにして無差別ワープを敢行します。そして偶然、大洪水に見舞われるディンギル星に辿り着きました。
その後ディンギルの艦隊と遭遇して敗北を喫するわけですが、このあたりは「特殊能力」などの理屈すら存在しないような、純然たる「主人公補正」がヤマトにかかっていたと言ってもいいでしょう(「主人公だからディンギルと出会う」構図)。
良い脚本の条件に「ご都合主義は一回まで」というのがあります。この部分に関しては、その「一回」を使うべきタイミングだったと思います。ディンギルとの出会い、ハイパー放射ミサイルとの対決が、この映画の中心の一つとなるからです。
◯タイミング的な「人類最後の希望」
「ヤマト2202と銀河」シリーズで主に論じたのは、「ヤマトがいつ『人類最後の希望』になるか」というタイミングのお話でした。完結編も、地球防衛軍の艦隊が壊滅したタイミングで、ヤマトが人類最後の希望となります。
これはヤマト3を除いたシリーズのほとんどの作品で同じ過程を描いています。
「地球艦隊」「地球防衛軍」が敗北するのは、ある意味でお約束ですよね。
私はこの話をするたび、島本さんの
いない間に 地球やられた
という、「宇宙戦艦ヤマト」の『2』版替え歌を思い出すのです。
◯複数回のご都合主義
ところで、完結編といえば、沖田の復活ですよね。
ご都合主義の使用は、沖田の復活でもう2度目なのです。この時点で、脚本としては「終わって」いると言えるかもしれませんが、これもまた別の話。
◯人間的特殊能力=デスラーとの友情
「デスラーとの友情」というヤマトだけがもつ人間的な特殊能力(義理・人情ともいうか)は、幾度となく本編に盛り込まれていきます。ヤマトは冒頭のガミラス参りが実って、最大のピンチをデスラーに救われます。
◯科学的特殊能力=トリチウムヤマト
デスラーに救われるシーンは、そもそも何故ピンチだったのでしょうか。それはヤマトがトリチウムを満載しているからです。
トリチウムを満載し、爆沈してアクエリアスの水柱を断ち切る作戦。トリチウムを満載しているが故に、ヤマトは「人類最後の希望」だったわけです。これは波動砲を搭載していない冬月には出来ない仕事ですよね。
メカ系の特殊能力なので、科学的特殊能力に分類できます。
この科学的特殊能力は直接的に地球を救うファクターとなる特殊能力です。
しかし、これがパート1のコスモクリーナーDと異なるのは、初めからその存在が明示されていないことです。つまり「唐突」であり、序盤から種蒔きがされていないのです。やや強引だったということで、もっとうまいやり方があったかもしれません。
◯この展開はこの時期のヤマトに目立つ
ヤマト3のハイドロコスモジェン砲。
完結編のトリチウム。
復活篇の超波動砲(6連発をまとめて1発に)。
この3作品は、ラストにかけて唐突に「科学的特殊能力」が出現するという点で共通しています。
ちなみに復活篇では、「武人の魂云々」が「人間的特殊能力」にあたります。
そして、もう一つ、恐るべき共通点がこの3作にはあります。
これらの科学的特殊能力を発動するにあたって、
必要だったかどうかが怪しい〈犠牲〉が生じている
のです。
土門、沖田、折原ですね。
科学的特殊能力の発動に<犠牲>が伴うのはパート1の森雪以来の伝統なのかもしれません。ですが、この3作はあまりにも「唐突」でした。むしろ、パート1で一度やったからにはもうやらない、というのが鉄則でしょう。
もちろん、私は未だに「ヤマトに語りかける沖田」の場面で泣けてきますから、このシーンを生み出してくれたことには感謝したい。ですが、23世紀の軍艦が正確にリモートコントロール出来ないというのは、何だか悲しくなってしまいます。
ということで、今日は完結編を通じて前後作品の連続性までを眺めました。
特に、完結編と復活篇の連続性は私の解明してみたい点の一つです。
今後、議論を膨らませることができたら嬉しいですね。