◯はじめに
こんばんは、ymtetcです。
「監督:羽原信義」「副監督:小林誠」といえば、『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』ですよね。一部ではすっかり評判の悪くなってしまったこの二人。
しかし私は、この二人がスタッフとして発表された際、
「素晴らしい布陣だ!」
「楽しみ!」
と思ったものでした。
今日は、私が当時彼らに期待した理由を思い返してみたいと思います。
◯「復活篇は何故駄作だったか」を分析した結果
「小林誠は復活篇の監督」と思っている人も、案外いると聞きます。
しかし、それは違います。
あくまで復活篇は「監督:西崎義展」「副監督:小林誠」という布陣でした。恐らくディレクターズカット版の「監督代行:小林誠」「アニメーションディレクター:羽原信義」と混同しているのでしょう。
前提として、私はそれほど復活篇に対してアレルギーはありません。しかし、客観的に見てあれが「駄作」であるという認識は強く抱いています。
その要因については、私なりに答えを持っていました。それが、
西崎監督が仕切ったから
というものでした。
例えば、唐突に森雪のサービスシーンを入れたり、沖田のレリーフ・加藤の制服・医務室でのやりとりなどのキャラクター描写シーンをカットしたりと、復活篇には音響以外にいくつかの問題点がありました。
その要因は、監督である西崎さんにあると判断したのです。
◯ディレクターズカット版、監督代行としての小林誠と羽原信義
2009年に公開された所謂「無印」の復活篇といえば、効果音・音楽といった音響方面での問題点だけではなく、上述のような作劇上の問題点もありました。
復活篇のディレクターズカット版は、音響、そして作劇上の問題点をも解決したという点で、復活篇=「駄作」と考えが固定されていた私にとっては、それを取り下げる契機を与えてくれた作品です。
そしてBDの特典映像には、監督代行・小林誠とアニメーションディレクター・羽原信義の対談が収録されていました。そこでは、無印復活篇で抱えた問題とその経緯も語られました。
森雪のサービスシーンは二人のあずかり知らないタイミングで突如取り入れられ、西崎監督の判断によって、(時間内に映像を収めるために)多くのキャラクター描写がカットされた……と明かされたのです。
二人はディレクターズカット版において、細かく「間」をカットすることによって、無印よりも短い映画を作っています。しかもその短さの中に、無印でカットされたシーンを入れ込み、さらに新しいシーンまで追加していました。
この時の二人は、見事な「監督」ぶりであったと思います。
新キャラクターたちのバックボーンを拾い上げ、古代や彼らの心情を描きつつ、新しい「ヤマトクルー」を描くことに成功しているのがディレクターズカット版。
これは私の中で、「駄作」の無印版とは一線を画すものなのです。
だからこそ2202では、二人に期待したのでした。
◯「監督」「副監督」としての力量に期待していた
「星巡る方舟」を最後に、2199は完結。続編たる2202が、監督、シリーズ構成、脚本を一新してスタートしました。
シリーズ構成・脚本に福井晴敏をどっかりと据えて、困難な道のりとなるであろうその映像化を担う「監督」と「副監督」。ここに、羽原信義と小林誠を起用。
復活篇ディレクターズカットですっかり彼らの力量を評価していた私は、当然この判断に大きな期待を寄せました。
しかし私が評価していたのは、言ってしまえば「監督」「副監督」としての力量だけです。
西崎監督の作品、という一種の制約があった復活篇に対し、2202は完全新作。ディレクターズカット版で伺えた二人の「監督」としての実力を楽しみにしていました。
〇メカに手を出すとは思わなかった
玉盛・石津という2199以来のメカデザイナー起用も発表され、いよいよ2202への期待が高まった公開前。しかし始まってみれば、随所で小林誠メカが幅を利かせています。
これは私の期待した状況ではありませんでした。
それも、小林誠メカは勢力を問わず登場してきます。せめて
といった組分けがあればよかったのですが、小林メカの影響は全ての領域に及んでいます。
しかも小林誠は「メカデザイン」にクレジットされない始末。
違和感を覚える他ありませんでした。
〇「監督」「副監督」としての力量にも疑問が
しかし、肝心の「監督」「副監督」としての力量にも疑問を投げかけざるを得ないのが今の2202です。前述のように福井晴敏脚本の映像化が困難であることを前提にしても、2202の「映像化」過程は決して上手いとは言えません。
よく人をして「取捨選択が下手」と言わしめていますよね。
ある描写がやたら長く、もう片方の描写がおざなりになって、物語が分かりにくくなる。焦点がぼやけて盛り上がりに欠ける。
これでは、「監督」「副監督」としての力量が物足りないと言わざるを得ません。
〇同情の余地はある
このように、言うなれば「期待を裏切られた」感のある2202。しかし、同情の余地もあります。製作期間が短かったからです。
1993年に始動した復活篇もそうですし、00年代に始動した2199も、それなりの時間を製作に費やしています。
それに対し2202は、2013年~14年辺りからスタッフ集めがスタートして、16年に制作発表、17年公開。やや短かったと言えます。
〇第六章に期待
それ故、これまでの繰り返しにはなりますが、十分な制作期間を与えられて公開される第六章には期待を寄せています。
「監督」「副監督」としての力量について、現時点でもかなり疑問視しています。ただ、彼らを真に評価するのは第六章を待っても遅くはないかもしれませんね。