「製作総指揮」に定義はないと思うんです。ただ、僕が思う役割としては、ある企画を立案して、その企画=作品に伴う予算を決め調達する。次がもっとも重要なんですが、いわゆるスタッフィングですね。まずは脚本。それから監督。他にも作画ディレクターなど、主要スタッフを起用する。この才脳をお持ちである方々を探して(お仕事を)受諾してもらうことが、最大かつ重要な仕事です。次は、全体を見渡して制作スケジュールをある程度管理する。そして、必ず納期に間に合わせデータを納品する。……ということだと思うんです。
(西﨑彰司)
これは西﨑彰司氏の考える「製作総指揮」の仕事です。
もちろん、公の場での発言ですし、そこに事実があるとは限りません。
しかし、福井さんを前にしているからとはいえ、自然と(?)出た「まずは脚本」という発言は、2202の作品としての「脚本重視」アプローチを物語るものであると考えられます。
また、「納期に間に合わせる」というのも重要な発言ですね。
その話はこの時にしています(たぶん)。
スケジューリングではスタッフの体調も管理しないといけませんからね。こう言ってしまえばあれなんですが、飯を食うための仕事ですし。
〇思い出話
さて、そんなことは本題ではありません。今日は思い出話をします。
2199第七章、「星巡る方舟」を経た頃、ファンの間では「続編」に関する話題が増えていました。というよりも「2199からライトな人が去り、残った熱心なファンで続編について妄想する」。そんな時期だったと思います。
その時一つの議題となったのは「出渕総監督の進退」です。
過激に2199を否定する人は降板を訴えていました。一方で、2199の続編なのだから出渕総監督が引き続き参加するのは当たり前だ、という声も当然ありました。
また、当時ファンの間で囁かれていた噂では、「出渕総監督は続編を作る気がない」「続編を潰そうとしている」という話もありました。
※現在は副監督によって否定されています*1。
当時私は、「2199の続編なのだから出渕さんが続投すべきだ」と考えていました。
一方で、当時の「続編を作る気がない」という話についても、ある程度配慮しなければなりません。「本人がやりたくないのだとしたら、無理に求めるのもよくないよなぁ」そんな風にも思っていました。ですから、以下のように「2199続編」を妄想していたのです。
※出渕さん続投の場合
- 総監督・シリーズ構成:出渕裕
※出渕さんが降りた場合
「出渕さんが降りた場合」の妄想が、現在の2202にそっくりだという自慢がしたいのではなく*3、大事なのはそれと同時に考えていた物語の方向性です。
私は、出渕さんが降りた場合でも「さらばとは異なった完全新作の続編」を作るべきだと考えていたのでした。さらばとは異なった完全新作の物語を作れるのは、2199を作り上げた出渕さんか、実績のあるクリエイターしかいないと考えたのです。
このことが示す重要なことは「2199の続編として『さらば』のストーリーは使えない」という意識を私が持っていたということです。
〇2199と2202の連続性・非連続性を捉える観点
2199と2202の連続性・非連続性を考える上で、これは重要なことだと思っています。
一つは、「2199と『さらば』に繋がりはあるか?」という観点。
もう一つは、「1974と『さらば』に連続性はあるか?」という観点。
「2199の続編として『さらば』のストーリーは使えない」という当時の私の認識は、2199と2202の連続性・非連続性という論点に対し、これらの観点が存在し得るということを示唆するものです。
ということで、今日はそれを思い出話として振り返ってみました。考えていきたいテーマですね。