実は星巡るでテレサ出てきてるし。ロマンチックではないけどね
テレザートも出てきてます
星巡るでテレサ、というたら女キャラ探してる人、それ違うよ。ある惑星から小型生物がヤマトに来るやろ大挙して。あれよ。
あの一つ一つがピクセルのように振る舞って人の形を形成する。宇宙に人の姿が形成される。そのつもりやったはず。
そして奴等、エネルギー欠乏してたろ。あれはガトランに吸いとられたあとだったから。
だからガトラン退治をしてもらうためにあの土星みたいな星にワープするように導いた。
突如として謎の話を始めた副監督。
『星巡る方舟』に登場したメデューラ*1がテレサで、彼らの生息するカッパドキアがテレザートだと言うのです。
2199公式の話ではないはず
メデューラがピクセルのように振る舞って人の形を成す、というアイデア自体は「旧作補完」を重視する2199らしいアイデアのようにも思えます。
もちろん、彼らがヤマトをシャンブロウに導いたことは確かですし、そういった意味でメデューラとカッパドキアには「偶然出会った」以上の意味が込められていたとしても不思議ではありません。
しかし、メデューラやカッパドキアの設定において「テレサ」「テレザート」がイコールに結び付けられているとは到底思えませんよね。
「星巡る方舟のテレサ」と聞けば、普通はレーレライ・レールを思い浮かべるはず
副監督は「違うよ」と言っていますが、レーレライを思い浮かべるのが普通ではないでしょうか。
何故ならば、BGM「レーレライ」が「テレサのテーマ」にそっくりだから(笑)。
カッパドキアとは何か
カッパドキアは実際に存在する地名であり、岩窟教会で有名だそうです。
その名は宗教的で、ある意味では、確かに特別な惑星として描かれていたのかもしれません。
メデューラとは
メデューラは造語のようです。何かのアナグラムである余地も残されているとは思います。
副監督の独自解釈ではないか
副監督自身が「ロマンチックではない」としているように、私には、星巡る方舟のメデューラ・カッパドキアがテレサ・テレザートを念頭においているように見えません。
また、そのような話も(私は)聞いたことがありません。
しかしながら、「出渕総監督の続編プラン」の中に、例えば宇宙生命体が人の形を作るだとか、そういったアイデアが盛り込まれていた可能性はあります。
「出渕総監督の続編プラン」が明らかになる未来はあるか
最近ではようやく「出渕総監督は続編を作る気がなかった」というデマが払拭されてきたでしょうか。
方舟のパンフでも「プランはある」と示唆されていたんですけど。
恐らく「出渕総監督はさらばをリメイクしないだろう」という話に尾ひれがついて「続編を作る気がない」と言われるようになってしまったのでしょう。
2202も佳境に入り、全体像がある程度見えるようになってきたこの頃。
出渕総監督の続編プラン、非常に気になりますよね。
いつか、明らかになる日が来るのでしょうか。
恐らく来ることはないでしょう。
こういったこぼれ話をしてくれるのは副監督くらいなのですが、今回のように「2202の方が良かったでしょ?」と言わんばかりの文脈で伝えられることは間違いありません。
2199 v.s. 2202 という構図
副監督や一部のファン(私も含め)は、この構図で作品を語る傾向にあります。
この構図は、「2199と違う作風の2202」という現実がある以上、仕方のないことでしょう。
しかしこの構図が、「出渕総監督の続編プラン」をアンタッチャブルな存在にしていると思います。
2199・2202はもちろん立派なひとつの新作ではありますが、一方でどちらも「プロの手による二次創作」としての側面を持っています。
いかなる内容であろうと、どこかに反発が生じるのは当然のことなのです。
そして広義の「二次創作」であるとすれば、アナザーワールドの存在も(非公式的には)認められる空気があって然るべきだと考えます。
2202が終わった後、その余韻が去った頃には、是非とも出渕さんのアイデアも聞いてみたいものですね。