ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

【ヤマト2202】藤堂早紀のドラマと加藤三郎


『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』第六章上映記念 愛の宣伝会議 ④

こんばんは。ymtetcです。

金曜日の「愛の宣伝会議」で、公式にネタバレが解禁されました。待ちに待った、福井晴敏による本編解説の時期がやってきましたね。

特に主役の一人である藤堂早紀について、この動画では他の媒体よりも深い解説がされています。今日はそれを踏まえて、以前よりも考えを深めていきましょう。

目次

以前の記事

【ヤマト2202】第六章はいかにして「ヤマト映画」となったか その2【ネタバレ含む】 - ymtetcのブログ

この記事では、一つの「ヤマト的」ドラマの中に、土方・山南・早紀の三者を位置づけて考えてみています。

早紀に関係する部分を引用してみますと、 

第六章における主人公のひとりとなった《銀河》艦長・藤堂早紀もまた、《ヤマト》の古代とは正反対でした。彼女の母は、優しく、脆く、弱いが故に、自らを滅ぼしました。早紀は、現実の前に立たされた人間が弱いことを知っていました。だから心を捨てて人間でなくなってしまえば、現実を前にしても強くなれると考えていたのです。

(略)

それは同時に、早紀の母に理解を示すことにも繋がりました。自らを命を絶つことも人の弱さ。だが、それもまた人なのだと。

ここに、早紀に影を落としてきた母という「人間」の生き様が肯定され、早紀は自ら「人間である」ことを選びます。

こんなことを書いていました。

後半は比較的オリジナルな考えがまとめられているように思いますが、前半はパンフレットから影響を受けているようです。

後半部分について、改めて今日読んでみると「死を選ぶ人間を肯定しつつ、選択肢としての死を否定する」という構造で捉えているあたりが、ちょっと面白いかもと思いました。

ちなみに、これから紹介する福井さんの解説を見ても、このことには言及されていません。

ですが、「作品に、作者の込めた以上の意味はない」わけがありません。そんなことを言ってしまえば、監督の意向で登場したと言われるバーガーやヤマトカラーのアンドロメダなんか、何の深みもないつまらないものになってしまいます。考察、というより妄想・脳内補完の類はファンの特権。好き勝手やりましょう(笑)

パンフレットにおける解説

恐怖を克服するには、自らが恐怖になるしかない――藤堂早紀も、実は自分こそが悪魔の選択の犠牲者であったズォーダーも、失ったものの大きさゆえに己の人間性に背を向け、苛烈な道を選び取った者たちです。その根底にあるのは、失ったことに対する痛みであり、もうこれ以上は失いたくないという強い思い。失うくらいなら自分から捨ててしまおうと思い詰め、現にそうしてしまった哀しい人の姿です。

(略)誰もが喪失のトラウマを抱え、その反動のように非人間的な選択に惹きつけられてゆく。

パンフレットにおける福井さんの解説で、早紀は「喪失のトラウマ」とその「反動」による「非人間的な選択」という点で、ズォーダーの姿と重ねられています。

これは「銀河=AI艦」であることが明らかになって以降、多くの方が予想し、考察されてきたことでもあります。喪失のトラウマと喪失に対する恐怖から、誰しもズォーダーに転じ得るということを示し、その克服を描く。これが第六章の一つの物語でもありました。

また、以前コメント欄にて私が「第六章で土方と藤堂が導いた結論はかなり説得力があって、この論理でズォーダーも説得できるんじゃないかと一瞬思えてしまう」と述べたことにも、早紀とズォーダーの抱えてきたトラウマが相似していることが表れていますね。

「愛の宣伝会議」における解説

福井:これは「なんで親をやりきってくれなかったの?」っていう恨みですよね。「人間なんて、いざ自分がいっぱいいっぱいになったら捨てちゃうんじゃん」っていう思いが彼女の中にあって、要は「捨てられた」っていう思いがある。それがあの頑なな態度の原因になっている。

『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』第六章上映記念 愛の宣伝会議 ④ - YouTube

「愛の宣伝会議」における解説は、パンフレットのそれと同じ内容に見えますが、少し違う角度から解説されています。それは「親に捨てられた子」という視点。

早紀は母のことを「優しい」とも表現しています。笑顔の家族写真もありました。今では恨みに思っていても、死ぬまでは母親のことが好きだったはずです。

「親」

ここから想起されるのは、第六章で描かれているもう一つの「親」。加藤三郎です。

早紀の母親・藤堂千晶がいかなる動機で自殺を選んだのか、本編から探ることは出来ません。しかし自殺の動機は多くの場合、絶望によるもの。「こんな残酷な世界では、もう(生きられない)」という言葉に表現された絶望の中には、家族を想うあまりに絶望と化してしまった「愛」もまた、含まれていたかもしれません*1

第五章における、加藤三郎の選択の背景にあったのは、息子・翼を想う気持ちです。

その結果として、加藤は「死なせてくれ」と叫び、「自殺行為」な作戦に志願します。

この絶望の起点になったのは、あくまで息子を愛する気持ちでした。

確かに、悪魔と取引をしてヤマトを沈め、地球を危機に陥れたその行為は「かっこいい父ちゃん」のそれではありません*2

それでも、大好きな親の自殺が、子にとってどれほど残酷なことか。早紀のドラマは、それをも描いているのではないでしょうか。

生きていればいい

「生きろ。生きて恥をかけ。どんな屈辱にまみれても、生き抜くんだ!」

土方がこう説いたあのシーン、画面には加藤の姿も映し出されました。

「弱い父ちゃん」でもいい、「間違える父ちゃん」でもいい、「恥ずかしい父ちゃん」でもいい。愛する人のために、自分のために絶望して死ぬくらいなら。

「かっこいい父ちゃん」じゃなくても

生きていればいい。

第六章にこんなメッセージも込められているとすれば、第六章は、加藤が生き続けることを肯定するドラマでもあったと言えますね。

*1:身を投げる回想シーンで、千晶のお腹が大きかったのではという指摘も出ていますが、ここでは置いておきます。

*2:「かっこいい父ちゃんでいてよ」という真琴の言葉は、かえって加藤の絶望を加速させてしまっているかもしれません。「かっこいい父ちゃん」でいられない、絶望。