こんばんは。ymtetcです。
先日頂いたコメントに返信しました*1。
偶然ですが、今日はその続きを考えてみようと思います。
目次
「『ガンダム』的操作」の隙
先日の記事では、「ガンダム」の特徴を”個人に帰結する物語”として、第六章、特に第21話の物語が”個人に帰結する物語”であったと結論付けました。
ですが、この記事を一読して頂ければお分かりのように、隙が残されています。それは、「宇宙戦艦ヤマト」についてです。ヤマトについては、ピックアップされたものが土方だけである、という点から”個人に帰結する”と結論付けていたのです。
しかし、昨日の記事*2で引用した、副監督の言う「登場人物を絞りこんだ群像劇」の枠組みが仮に成り立つとすれば、そこからは第六章も外れていないように思えます。単に第21話は、たまたま登場人物を土方に絞ったとも解釈できるからです。
銀河とアンドロメダ改の立ち位置
逆に、純然たる「『ガンダム』的操作」の対象となったのは銀河とアンドロメダ改であったと考えられます。銀河とアンドロメダ改こそ、まさにMSであって、「ヤマト的ドラマ」の枠組みから外れかかった存在であると言えるわけです。
ここで、二つの仮説が持ちあがってきます。
あるいは
ということで、次に、銀河とアンドロメダがどのような経緯で2202に登場したかを考えてみましょう。
副監督のツイート
ここで、副監督のツイートを見てみようと思います。これまでも散々引用したツイートなのですが、今日の仮説と密接に関わってくることを踏まえると、また違って見えてくるものです。
小林誠 2220 on Twitter: "いえ、これを登場させようとした羽原と、それなりの道筋をつけた脚本家二人の力が大きいです。6章見たら納得行くと思います… "
これ、とは銀河のことを指します。銀河登場の責任が監督と副監督のどちらにあるか、という話は別にして、ここから読み取れることは
- 銀河が先にあった
- 脚本家二人(福井・岡)がそれなりの一筋をつけた
という情報です。
ドラマが後付けとすれば
とすると、上述の仮説の内、どちらが新仮説であるかは自ずと見えてきますね。
- 「ムサシを登場させたい」という監督(副監督?)の意向が採用される
- ヤマト型二番艦に相応しいドラマを脚本家が用意する
- 福井さんにとっては手慣れた(?)「ガンダム的ドラマ」が登場する
これこそ、「ガンダム的ドラマ」が登場した背景なのかもしれません。
ちなみに
コメント欄に頂いた議論の中で「シリーズのガンダム化」というものがありました。これはコメントで指摘いただいたことのみに関わらず、比較的一般にも存在する議論なのではないでしょうか。
それと関連するか、しないのかは分かりませんが、副監督がこんなツイートをしています。
主語と述語がはっきりとしていないので全文を読み取ることはできませんが、少なくとも彼は「新しいヤマト、新しいキャラとメカで明るいヤマト」には反対のようです。