ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

【ヤマト2202】第六章オープニングは没案の方が良かったかもしれない

こんばんは。ymtetcです。

今日は過去記事二つの考え方を総合して、タイトルの件について考えていきたいと思います。

目次

第六章オープニング没案

小林:救援が来るんですよね。

福井:ビルバインが。

小林:光の中で新しい救援が来るっていうのもかっこいいですよね。

福井:ひとつ(の案)はここでメインタイトル(『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』)にしてました。

【ヤマト2202】愛の宣伝会議「冒頭10分」回で気になった部分をピックアップしてみる - ymtetcのブログ

これが2202第六章オープニングの没案です。本来の主題歌をカットして、銀河初登場シーンでタイトルを出す。オープニング主題歌カットで確保した尺で、第19話をきっちりと描く。そんな案でした。結果的には、第19話が従来の尺に収まったということでオープニングがカットされなかったわけです。

さて、この時私は「銀河初登場シーンでタイトル、にならなくてよかった」と書いています。ですが、本当にそうでしょうか?

第六章=一種のスピンオフ

では、第18話までの『さらば』から第19話以降の『ヤマト2』へと切り替わったのは、どのタイミングでしょうか。

ここでタイトルに立ち返りましょう。

第18話と第19話を繋ぐもの、それは「トランジット波動砲発射失敗」シーンです。

「トランジット波動砲」というギミックは『さらば』の「渦の中心核を狙え」に対応するものです。しかし、『2202』では「渦の中心核を狙え」シーンの完全再現直前で(加藤の選択によって)裏切られます。

『さらば』リメイク的な展開を裏切り、「ヤマト戦線離脱」という『ヤマト2』的展開がスタートする。まさに『さらば』から『ヤマト2』へと切り替わるスイッチを、このシーンが担っていると言えます。

【ヤマト2202】「トランジット波動砲発射失敗」のリメイク的意味 その2 - ymtetcのブログ

この記事では、第五章ラストの「トランジット波動砲発射失敗」が2202を「さらばリメイク」の路線から脱線させて、「ヤマト戦線離脱」を描くことで「ヤマト2リメイク」へ路線変更させた、と考えてみました。

逆に考えてみれば、「ヤマト戦線離脱」に前後して、2202という作品自体が一旦別の路線へと変更したわけですから、その(ポジティブな意味での)路線変更を示すという観点から、むしろ没案通り、銀河初登場シーンでタイトルを提示しても良かったかもしれません。

何故かというと、第六章のドラマは無論2202の流れを踏まえた作劇でありながらも、一方で「唐突」「スピンオフでも良かったのでは」という評価をもされているドラマだからです。

敢えて思い切った路線変更をして、例えば「宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち」を提示した後に「第六章 回生篇」の文字を入れるくらいのことをしても良かったかも。これまでの2202との(ポジティブな意味での)差別化を示す演出も、一つの選択肢としてはかなり良いアイデアだったのかもしれませんね。

批判の材料にされるかも

ですが、懸念材料として「批判の材料にされる」可能性があります。特に揶揄が目的化した人にとって、無料で視聴できる冒頭10分などは恰好のネタになるわけです。冒頭10分がこれまでの「ヤマト」と差別化を図っていることが、「やっぱり銀河はヤマトに取って代わるんだ!副監督のエゴ!」との喧伝に利用されることは容易に想像できます。もちろん、銀河がヤマトに取って代わることも、銀河の存在に副監督のエゴが反映されていることも、ある一面から見れば間違いありません。しかしながら、それは第六章を批評する上においてフェアな評価軸ではない、と私は考えています。

第六章でオープニングなしは如何なものか

あるいは、こういった懸念もあります。例外は沢山ありますが「オープニングなし」というのは言わば最終回の特権だと私は思います。最終回ではなくとも、いよいよ最終盤というところで「オープニングなし」演出は使って欲しい。こうしてみると、第六章でオープニングなしというのは理想的ではありません。

そして、仮に第六章冒頭でこれまでとの差別化・路線変更を示したところで、どうやって「再路線変更」を示すのか、言い換えるなら、どうやって「さらばリメイク」路線に戻ったことを示すのかという問題があります。第六章冒頭で明確に路線変更を示したならば、戻る時もそれを明確に示す必要があるのは言うまでもありません(でないと「迷走」の烙印が押されてしまいかねない)。ですが、これは難しい。「トランジット波動砲発射成功」をスイッチとするというのが私の考えですが、それでは観客に伝わりません。

やり方次第

ということで、今日考えたこととしては

  • 2202における第六章の立ち位置からして、一時的な路線変更を示す演出はアリだったかもしれない
  • ただし、再び従来の路線へと戻った時に、それと分かるように対となる演出を仕込んでおく必要がある(これが難しい)。

といったところでしょうか。

今後への希望としては、第七章は「オープニングなし」にチャレンジして欲しい、というところですかね。「予想を覆す」と宣言した映画に対して軽口を叩いてみれば、どうせどっかのタイミングで『さらば』オマージュの重厚感ある「お経ヤマト」を流すんでしょ?*1

第七章は、映画全体が最終回です。例えば、「ヤマト完結編」の冒頭から漂う特別感とかって凄いですよね。あ、これでヤマトの旅が終わるんだ*2という雰囲気が冒頭からヒシヒシと伝わってくるわけです。第七章も映画として、特別感を演出して欲しいというのが私の希望です。

*1:副〇督「違います」

*2:終わるとは言ってない