ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

【ヤマト2202】第21話「一作目オマージュ」発進シーンは意味がない

こんばんは。ymtetcです。

第21話には一作目をオマージュした赤茶けた大地からのヤマト発進シーンが存在したわけですが、このような内容なら無かった方が良かったと私は思います。今日はその理由を考えてみました。

目次

前作2199は一作目リメイクだった

今更言うまでもありませんが、2202の前作にあたるヤマト2199は一作目のリメイク作品でした。よって、一作目のオマージュは宿命的に為されており、基本的なこととして、それを改めて2202でやる意味はありません。

2202で一作目オマージュをするメリット

2202で一作目オマージュを行うメリットもあります。2199が、いくつか一作目の要素を落としているからです。それを拾い上げるということについては、メリットがあると言える。その最たる例が第1話のヤマト起動シーンや、第5話のアステロイドリングでした。

第21話はどうだったか

こうして見た時に、第21話のそれには意味がなかったことが明らかになります。というのも、そこで描かれているものは2199のそれと大差がない*1

仮に2202で一作目の発進シーンをオマージュするならば、2199がやっていなかった要素をたくさん拾って欲しかったと思います。例えば2199ではオープニングでしか登場しなかった、地中に埋まった主砲が露出するシーン。あるいは、BGM「艦隊集結」でのヤマト発進(正確には地中からの脱出)。これ以外にもあるかと思いますが、こういった2199が拾っていないシーンを重点的に一作目再現でオマージュすれば、2199が選ばなかった一作目の要素を拾うことができた。

意味がない

この第20話での発進シーンは、2199のそれと構成要素の大差がないことによって、2199よりクオリティが劣ることも浮き彫りになり、2199と大差がないから目新しさもなく、おまけにBGMも2199の「大河ヤマト」に合わせるものだから、「新生山南艦隊のワープアウト」で流れたカッコいいBGMをブツ切りにしてしまいました。

何ひとつ意味がないんです。

解釈のしようによっては、2199に当てつけるように一作目をオマージュして見事2199に敗北しているかのようにも捉えられかねません。

あるいは、2199をオマージュしたと捉えられるかもしれません。2199オマージュもいいのですが、少なくともこれに関してはオマージュする意味も、効果もありません。何故ならば2199と構成要素的に大差がないからです。

全くの違うシチュエーションでやるなら、意味も効果もあり得ます。例えば第5話の「ヤマト対アンドロメダ」のシーンは2199第15話の「ヤマト対ドメラーズ」のオマージュになっていた訳ですが、これが結果的に「沖田を継ぐ息子たち」としてのヤマトと古代進のドラマを盛り立て、山南の「あんたの息子」という言葉をぐんと重みのあるものにした。これには意味がありました。

話を戻せば、やはりこのシーンで2199のオマージュをやる意味はありませんよね。成り行きで発進しているだけのシーンなので。

敢えてやるのであれば、やはり、2199の発進シーンで欠けていた要素をもっともっと積極的に拾うことが必要だったと思います。

*1:強いて言えば、地中に船底を埋めた状態での全体像は2199で描かれていなかったような