ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

【ヤマト2202】第8話~第11話を連続で観ると気になること

こんばんは、ymtetcです。

【参考資料】を作っている関係で最近こまめに2202の過去話を観ているのですが、連続で観ると、やはり気になる部分が出てくるものです。

古代アケーリアス文明遺跡、使いすぎ

ひとつがこれです。第8話でヤマトは惑星シュトラバーゼに立ち寄りました。この記事*1のコメント欄で解説頂いたように、この星は特殊な惑星で、古代アケーリアス文明の遺跡もある。そのせいかは知りませんが、蘇生体を介してズォーダーが降臨するという超展開が実現したわけですね。

一方で、第11話にも古代アケーリアス文明の遺跡が出てきます。例によって特殊な空間で、テレサの力を利用したコスモウェーブが使えなくなるという超展開が実現……。ちくわ登場の理由付けとして「古代アケーリアス文明の遺跡」という言い訳それ自体は悪くないアイデアだと思いますが、第8話、第9話と遺跡と超展開が出てきて、第10話で謎のホタルが出てきて、第11話でまた遺跡と超展開かと。ちょっと気になってしまいます。

「危険な賭け」使い過ぎ

もうひとつのこれは、劇場で観た時から気になっていました。

◯第9話

徳川「危険な賭けだ。万一の時には、ヤマトもガミラス艦も、重力震源に飲み込まれる」

◯第10話

徳川「しかし、下手をすればヤマトが吹き飛ぶぞ!」

◯第11話

土方「この空間内で波動エネルギーを開放し、その際に生じる放射熱を波動エンジンに取り込む」

古代「輻射誘導か」

真田「空洞構造を利用してワープを」

徳川「一歩間違えれば艦が吹き飛ぶ。周囲の火薬に火をつけて、その勢いでエンジンを回そうっちゅうんだからな」

この通り、「もしかしたらヤマトが沈みかねない危険な賭け」を3話連続で行なっています。ただでさえ「流れからしてヤマトは大丈夫だろう」という雰囲気があるのに、その上これでは緊張感もへったくれもない。本編のキャラクターと我々観客の心情にギャップが生じてしまうと、その他のシーンに悪影響が出てきます。

「本当に沈む」第19話、第七章への布石?

好意的に解釈してみますと、本当にヤマトが沈む第19話や、最終盤である第七章へ向けて、悲壮感を強調するための仕掛けと言えるかもしれません。

私は『ヤマト完結編』について、内容としてはどうかと思うものの、映画全体に漂う悲壮感の凄さはオンリーワンだと思っています。その理由は私にとっては単純です。これまでいくつものピンチを乗り越えてきた(ヤマト2~ヤマトⅢ)ヤマトが、明確に「最後の航海」へと向かっていくあの展開が悲しくて仕方なかった。これは、シリーズ化していなかった頃の最終回である『さらば』よりもずっと強い悲壮感と言えるのではないでしょうか。単純に「これまで乗り越えてきたピンチ」の数が増えているからです。

「ピンチの連続こそがヤマト」とは鈴村健一さんの言葉ですが、些細なシーンから徹底的に「ピンチ化」することによって、ヤマトが敗北の瀬戸際に追い込まれる終盤の展開とギャップを作り、悲壮感を強調する狙いがあるのかもしれません。

とはいえ、このように好意的な解釈が可能かどうかは第七章の出来栄え次第だとも言えます。少なくとも「本当に沈む」第19話では、それほどの悲壮感を私は覚えませんでした。

最後に余談ですが、連続鑑賞がデフォルトになっているテレビ視聴組がどうなるか、心配でなりませんね。テレビシリーズとして「切られる」可能性のあるポイントとしては、ひとつは第9話、第10話のあるここかな、と思います。