ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

復活篇をリメイクすべき理由、そして私的改善案

こんばんは。ymtetcです*1*2

私は、復活篇をリメイクすべきだと考えています。こういうことを言うとすごく怒る人もいますが。

目次

私が求めるもの

 「リメイクすべき」と考える理由は、多くのファンが復活篇を「駄作」と評していることにあります。「復活篇リメイク論」に対して怒れる方も、同じ理由かと思います。

私も、駄作という評価に異論はない。駄作は言い過ぎかもしれませんが、少なくとも傑作や良作の類ではないと考えています。しかし、復活篇はヤマトシリーズにとってある種「唯一無二」の作品です。だからこそ、惜しいのです。

というのも、完結編までのヤマトにはなくて、復活篇だけにあるものが存在します。それは「父親・古代進」「ヤマト艦長・古代進*3」のドラマです。

特に「ヤマト艦長」としての古代進のドラマは、やり方によっては新乗組員たる新主人公とのドラマ*4と組み合わせることで、世代交代へのチャレンジにもなります。

このような、他にはない復活篇の特性こそ、私が「リメイクすべき」と考える理由です。

言うなれば、私が求めているのは作品としての「復活篇」(2009年)リメイクではなく、「艦長」であり「父親」である古代進のドラマ。主人公を古代進から、徐々に次の世代へと移行させていく過渡的なストーリーです。

改善へのヒント──スターウォーズ「フォースの覚醒」を参考に

さて、復活篇には種々の問題がありますが、一つに「世代交代の失敗」があります。

復活篇を好むと好まざるに関わらず、あの映画で新キャラクターに感情移入した、新キャラクターがお気に入りになったという人は少ないのではないでしょうか。

今日は、ヤマト復活篇と似たような系譜を待ちながら、世代交代にチャレンジし、一定程度の成功を収めている作品を参考にしてみましょう。それが、『スターウォーズ』シリーズの「フォースの覚醒」です。

以下、シリーズを知らない方にはさっぱり分からないでしょうから、太字だけざっと読んでみてください。

  • 「フォースの覚醒」は、オープニングでルーク、レイアという旧作主人公の名を提示し、ストームトルーパーやXウイングという(デザインは変われど)旧作から引き継いだアイコンを登場させ、最初の舞台を旧作の舞台そっくりな砂漠の惑星とし、旧作と変わらないミレニアムファルコンとハンソロ、チューバッカを登場させました。それ故に、新キャラであるポー、カイロレン、BB8、レイ、フィンに観客は集中できたわけです。

スターウォーズを知らない方には何が何やらさっぱりでしょうが、つまり

新しいものに観客を順応させるには、新しい要素以外既知の要素で埋めてしまえばいい」

ということ。

長いシリーズものの久々の新作で、いきなり何もかも新しい物語をぶつけられても、大多数の観客は何を見ていいのか分からないんです。だから、旧作と変わらない部分を描いて世界観を思い出させ、懐かしんでもらいながら、新しいものを提示する。そうすることで、観客は新しいものを受け入れやすくなるのです。

その点からいけば、スーパーアンドロメダドレッドノート、拡散波動砲など、アイコン的には復活篇の冒頭シーンにも惜しいものがありますね。

しかし、まだまだ足りません。

私的改善案

ではいかにして、「艦長・古代進」のドラマに「既知のもの」を入れ込むか。ということで、時間のある方は私の拙い作文でも読んでください。私的改善案です。

ヤマトが自沈して以後、地球は17年にも及ぶ平穏を謳歌していた。だが、地球に迫り来るカスケードブラックホールの存在が判明。政府は友好国アマールへの移住を決意し、移民船団を組織する。古代進は艦隊司令として移民船団を護衛にあたっていたが、最中、正体不明の敵の襲撃を受ける。艦隊は壊滅。古代は生き残ったものの、同じ艦隊に配属されていた妻・雪を失う(行方不明)。

帰還し、治療を受ける古代の元へ一人の若者がやってくる。そして「どうして父を連れて帰ってくれなかったのですか」と迫る。その姿にかつての自分を重ねながら、古代は思わず「俺だって」と反論しかける。あの時、自分に対して徳川さんがしたように、彼を諭そうとしたのだ。だが、沖田さんはあの時何も言わなかった。口をつぐむ古代。俺は沖田さんとは違い、未熟なのか。

失意の古代は、軍を辞めるべく辞表を書く。だがその決断が、17年前のそれと変わらないことに気付く。俺は、ただ流れる幸せな月日に目を奪われていただけなのか。何も成長していなかったのか。

時あたかも、新造の宇宙戦艦「ヤマト」が就航しようとしていた。古代は自分を確かめるため、再びヤマトに乗り込むことを決意する。そこには、古代に噛み付いたあの若者の姿もあった──

読み飛ばした方。こんにちは。ymtetcです。

要は、古代を沖田艦長と同じような立場にするのが私の改善案となります。

子どもが死ぬ、というのはやりすぎなので、雪の失踪と組み合わせました。そして必須なのは、かつての古代進と重ねた新主人公を出すこと(復活篇没案の「尾崎」 が近いですかね) 。そして、冒頭の戦闘で古代に敗北を味わわせる。

沖田と同じ立場に立って悩む古代のドラマと、かつての古代の立場に立った若者のドラマの二本柱で、映画をスタートさせる。そこからの展開を私は考えていません(だからダメなのです)が、もとより物語の展開、新主人公の性格・設定は新しいものを希求すべきです。しかし、導入は既知のものであるべきだと考えます。

そうすれば、観客はかつてのヤマト作品を思い返しながら、昔の古代進を思い返しながら、新しい主人公の新しいドラマに集中できる。その中に、もちろん「艦長」であり「父親」となった古代のドラマもある。古代の成長を感じ、その姿に沖田や土方の影を見ながら、観客は新しい主人公に没頭してゆく。

復活篇は、古代艦長のドラマ、古代と新主人公の擬似親子ドラマを柱にして新たなドラマを展開すれば、数十年ぶりの「ヤマト」としてその実力を十二分に発揮できたのではないでしょうか。

そして最後に、「リメイク」の話でもしましょう。今日書いてみた拙い改善案は、これからリメイクで描く価値もあると思います。

それは、2199が古代と沖田の擬似親子ドラマを旧作ほど描かなかったからです。2202がそうだったように、沖田と、あるいは土方とのドラマが少ないことを逆手に取って「沖田さんならどうする」「土方さんならどうする」と揺さぶられながら、新世代との相克に向き合う古代進を描く。

80年代と最も違うのはファンの年齢層ですから、(私の自惚れではありますが)これはとても「今やるべき価値のあるヤマト」だと思うのです。

*1:通りすがり様、コメントに返信いたしました。<【参考資料】ヤマト2202「悪魔の選択」まとめ - ymtetcのブログ

*2:こん様、昨日はコメントをありがとうございます。当ブログには返信が遅々としてお待たせしている現状がありますので、その点はご了承ください。また、私一人の考えでは至らないことばかりですので、コメント欄では何卒自由に書き込みをしていただければと考えております。今後ともよろしくお願いします。

*3:ヤマトⅢにありましたが、いわば艦長代理の延長線上で、特別なドラマを描いたとは言い難い

*4:まさに、ヤマトⅢの土門のような