目次
こんばんは。ニュースです。
すでにご覧になっている方もいらっしゃるでしょうが、まだの方は結城信輝さんのツイッターを見てください。一応、リンクは貼りません。
みんな大好き「あの」イラストの原画も嬉しいですし、リプ欄を見ると2202に次回作は無さそうな雰囲気だったり、副監督と結城さんのやり取りもあったりと色々気になりますが、今一番気になるのは
最終話はエピローグっぽい話で、盛り上がるのは25話なんだけれど
という部分でしょう。
このたった一言で、第七章の構成が少しだけ見えてきました。
繰り返される「大団円プラスワン」
それは
- 第23話:旧作の「宿命の対決」に相当
- 第24話:最終決戦
- 第25話:最終決戦2、大団円!
- 第26話:「ラストの後のラスト」*1
というものです。
映画『さらば』の魅力は「盛り上がり、劇場を涙に包んだままエンドロールを迎える」ところにもあったので、正直「大丈夫かよ」と心配にならざるを得ない構成ですが、以前の記事で
2202の各章構成は「引き」を重視して、徹底して「大団円のその先」でエンドロールに入るようにしているのです。
こう書いているように、2202は徹底的に「大団円プラスワン」をやってきていました。それを最終章でもやるということで、ブレてはいません。
また大昔の記事で、
となると『さらば』で描かれた「生」の部分、未来へ向けた部分、ヤマトらしく言い換えると、
「明日への希望」
が、第26話で描かれるのではないでしょうか。
第七章のラストを「明日への希望」と予想しました。最終話はいわば「2202のその後」と「明日への希望」を提示する役割を担ってくる可能性もあります。
25話=「2202の結論」
では、最終話はどんな役割を担ってくるかを考えてみましょう。
25話、というより最終決戦の行き着く先は、おそらく「さらば」のラストシーンに近いものだと思います。
何故ならば、古代によるズォーダーの「説得」が、「違う!断じて違う!」に相当すると考えられるからです。
その内容を予想するのは難しいですが、恐らく旧作の「さらば」を踏まえた2202なりの答えが提示されることと思います。
23話でデスラーとの対決に決着がつき(平行して、地球は本土決戦。23話ラストでヤマトがトランジット波動砲を放つ、とかありそうですね)、24話でガトランティスに殴り込み、25話で「さらば」のラスト。第七章はこんな感じになるかもしれません。
もちろん、25話が仮に「さらばのラスト」であったとしても、その結末は「さらば」とは異なると予想されます。
ひとつだけ確かなのは、この第25話で「2202の物語に決着がつく」ということです。
事実上25話で「宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち」のドラマは完結し、劇場のスクリーンに、皆さんのテレビに
- ヤマト2202はこんなお話でした!!
という「結論」が映し出されることでしょう。
しかし、それだけで完結とは言えない、つまり25話の「結論」だけではまだ謎が残るのだと思います。テレサは? 時間断層は? ズォーダーは? 滅びの方舟は? デスラーは? などなど。
流れ的に「ゴレムが起動してガトランティス全滅!わーい」という内容ではないはずなので、25話の時点ではまだ「未回収」な部分がたくさん残っているのだと思います。
それを回収していくことも、「ラストの後のラスト」が担う役割なのかもしれません。
「ラストの後のラスト」=「真実のラスト」?
そういえば、気になることがあります。
それはキャッチコピーの「真実のラスト」です。
もしかしたら、この「ラストの後のラスト」こそが「真実のラスト」なのかもしれません。
ここまで書いて、またひとつ思いついたので書きます。
私は「ヤマト2以降のヤマト」を含めてヤマトが好きなヤマトファンです。
なので、「さらばで終わっていればよかったのに」という言葉に対して、長年葛藤というか、複雑な感情を持ってきました。
実際、私も同意見なんです。「さらば」で終わっていれば、宇宙戦艦ヤマトはアニメの歴史に燦然と輝く神話となることができた。
しかし一方で、「ヤマト2以降」も好きな自分がいる。
あの時、ヤマトはどうすればよかったのだろう? そんなことをよく考えます。
今でも大多数の人は「さらばで終わっていれば」という感情をお持ちでしょう。
でも、「さらばで終わる」ことさえ、正しいことなのかは分かりません。
もしも2202の25話が「さらばのラスト」であるとすれば、その続きを描く最終話、26話は
- ヤマトは本当に「さらばで終わっていればよかった」のか?
という問いに対して、意識的にせよ無意識的にせよ、2202なりの答えを出すことになる。
それこそが「真実のラスト」になるのかもしれません。
「さらばで終わっていればよかった」?
仮に結城さんが示唆していることが本当で、2202がリメイクシリーズ最終作だとすれば、(今更言っても何も変わらないのですが)欲を言うなら、ここまでやってほしい。
ヤマトファン、かつて「さらば」「ヤマト2」を観た人たち。みんなで考えたいじゃないですか。
あの時、「さらばで終わる」ことが正しかったのか。
最終的な答えが分からなくたっていいんです。みんなで考えれば、分かることもあります。
2202には、そんな問題提起になって欲しいのです。
私が何故この点に、過大とも思えるまでの期待を寄せているのか。自分でも少し分かりませんでした。
ですが、書きながら思い出しました。この間公開された福井さんのコメントに、引っかかる部分があったんです。最後にそれを引用します。
当時、『さらば』がああいう最後で本当に良かったのかと思った人もいれば、涙をした人も沢山いて、その後の展開もあって…それぞれに複雑な思いもあるじゃないですか、その全てを“ありき”。そう受け止められているのが『ヤマト』であるという前提の上で、今一番相応わしいランディング(着地)とはなんだろうと考えました。
*1:副監督談