こんにちは。ymtetcです。
ここ数日、「復活篇」の記事が多くなっています。まだ書いていないので何とも言えませんが、今後もいくつか、復活篇の記事を用意しています。
最近の記事では「改善案」と題して、09年の映画ではなく、シリーズにおける立ち位置、構成要素からして「復活篇」に相当するであろう「架空の復活篇」について考えてきました*1。
しかしながら、やはり「復活篇」という言葉を聞けばあの映画を思い浮かべるのがファンの性というものです。肯定的に捉えるにせよ否定的に捉えるにせよ、あの映画は多くの人にとって画期となったのではないでしょうか。
今日は私と「復活篇(映画)」のお話をします。
「隙あらば自分語り」というネット上の定型句がありますが、ここは隙だらけ。コメント欄も隙だらけです。皆さんも「復活篇(2009年)」の思い出があれば是非聞かせてくださいね。
そして、新作ヤマトの意味についても考えてみましょう。
私を「ヤマトファン」にしてくれた映画
さて、結論から言えば、私にとってあの映画は特別な映画でした。
あの映画は、私を「ヤマトファン」にしてくれたのです。というよりむしろ、
自分が「ヤマトファン」であることに気付かせてくれた
と言った方が良いかもしれません。
小さい頃、私には好きなものがたくさんありました。銀河鉄道999、スターウォーズetc……宇宙戦艦ヤマトは、たくさんあった「好きなもの」の一つに過ぎませんでした。
長い月日が流れ、私はこれらから「卒業」しました。
そんなある日、このCMが目に入ります。
このCMが、記憶の片隅どころか宇宙の果てに消えてしまっていた「ヤマト」の記憶を呼び覚ましてくれ、私の心には熱く煮えたぎるような感情が湧き上がってきました。
でも、それは決してポジティブな感情ではありませんでした。
──何この歌? 軽すぎる! キャラも変!
それは、怒りの感情でした。
私は今でも、あの映画が「駄作」と評価されるのは仕方ないと思っています。
復活篇自身がそれを浮き彫りにした側面があるとは言え、復活篇は「変えてはいけない所」を変え、「変えなければならない所」を残してしまった映画*2。
しかし、まぎれもないこの映画こそが、私をヤマトファンにしてくれたのです。
映画を見てもなお不満を覚えた私は、その理由を考えました。それはすぐに分かりました。
そうだ、音楽が違う。効果音が違う。キャラデザが違う。声優が違う*3。昔のキャラが出ていない……。
さらに復活篇に対する不満の要因を探るため、私は昔のヤマトを観ることにしました。すると、自分で考えていた以上に私は「宇宙戦艦ヤマト」が好きなのだ、ということが分かってきたのです。
自分で思っていた以上に私はヤマトの音楽が好きで、あの効果音が好きで、キャラクターデザインが好きで、富山さんの声が好きで。南部が、相原が、太田が好きで。
こうして、私は「ヤマトファン」であることを自覚するようになりました。
これこそ、新作ヤマトの意味だと思います。
復活篇があり、私は再びヤマトに向き合うことができた。
(ちなみに時たま私はスターウォーズのお話をしますが、これも同様です)
それは決してポジティブな再会ではありませんでしたが、大きく心を揺さぶられたからこそ、私は「ヤマトファン」になれたのです。
私が復活篇を「駄作」と呼びながら、他のヤマト作品を差し置いて繰り返し取り上げ、「リメイク」まで主張する背景には、こんな過去があります。
今考えると、あの映画はすごく悔しいのです。
もしも、復活篇が「傑作」だったら。
それこそ、ヤマトの真の復権が成し遂げられていたかもしれません。
しかし、現実は。ヤマトに「オワコン」の烙印を押しただけでした。
このような復活篇の「勿体なさ」や、「オワコン」「真の復権」と2199‐2202といった記事を書こうと思って、今用意しています。そこで、今日はひとまず思い出話をしてみました。
*1:復活篇をリメイクすべき理由、そして私的改善案 - ymtetcのブログ
*2:復活篇は、ヤマト2199の反面教師である - ymtetcのブログ
*3:一応。山寺さん批判ではないです。あくまで2009年、それまで声優なんて全く意識していなかった私が感じた違和感だと解釈していただければ。ちなみに、やろうと思えばゲーム版同様の富山さん風演技ができたそうですが、スタッフがさせなかったようですね