ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

「シン・ゴジラ」になれなかったヤマト復活篇・実写版・2199・2202

こんばんは。ymtetcです。

昨日「シン・ゴジラ」の放送がありました。だからというわけでは全然ないのですが、今日はこんなタイトルにしてみました。

私は「シン・ゴジラ」が大好きなのですが、かといってゴジラシリーズが長年好きということはありませんでした。まさに「ブームに乗ってハマった」。そんな人間です。

しかし(エヴァシン・ゴジラ庵野秀明作品とヤマトは親和性が高いとはいえ)、そんな人間がハマったということは、それだけ普遍的な魅力を持った映画であったことの証明でもあります。

さて、我々の領域である宇宙戦艦ヤマトに目を向けると、果たして復活篇は、実写版は、2199は、2202は、普遍的な魅力を持っていたでしょうか。

はっきりと申し上げれば、答えはノーです。

結果を見れば分かります。復活篇は一時期毎日のようにCMを展開し、ポニョ超え宣言も高らかに全国公開してあの結果に終わった。実写版は数字上いい線をいったようには見えても、莫大な製作費に見合ったものではなかったでしょう。2199は日曜日の夕方に全国放送した。それでも、ヤマトブームはそこにありませんでした。2202の現状は、皆さん今よく感じておられる通りです。

普遍的な魅力を持っていても世間の評価からは埋没してしまう、そんな例もありますが、普遍的でなくとも魅力を持っていれば口コミから直ちにブームとなり得る現代において(深夜アニメ「けものフレンズ」は埋没しなかった)、全国の目に触れるところに作品を出しての結果ですから、少なくとも普遍的な魅力を持っていたとは考えられません

翻って「シン・ゴジラ」に目を向けますと、この映画の魅力は一言では言い尽くせません。あるいは百人百様、人それぞれが感じた魅力があるでしょうから、ここでそれを詳述することはしません。

今日は、多様な「シン・ゴジラ」の魅力から、比較的普遍的であると思われ、なおかつ近年のヤマトと関連がありそうなものを三つ抜き出してみました。

前提知識を必要としない

シン・ゴジラ」の良いところ、一つ目はこれです。この映画が近年のゴジラシリーズの枠にとどまらない大ヒットを記録したのは、私のようなミーハーがたくさん集まってきたからに他なりません。

私のようなミーハーを動員するにあたって、最低限必要なのがこの要素になります。

この映画を人一倍楽しむ時、過去のゴジラシリーズの知識は確かに役に立つでしょう。しかし、この映画の魅力を余すところなく楽しむために、それは必要ありません

このことを象徴するシーンが、劇中で「呉爾羅」と検索をかけるシーン。劇中では一件しかヒットしないのですが、現実の世界でそんなことはないですよね。

つまり「シン・ゴジラ」の世界は、これまでのゴジラシリーズが現実においても、虚構においても存在しない世界過去作品の知識を必要としない世界なわけです。その点、劇中の登場人物は、私たちミーハーと全く同じ立場に立っているとも言えます。

圧倒的なリアリティ

二つ目はこれです。

でるた on Twitter: "総辞職ビームまでのシン・ゴジラは「ああ〜日本ってこうだよな...」のトーンが濃くまさに"現実"なんだけど、ここ以降はラストに至るまで「日本はこうあって欲しいし、やれる」という虚構(理想)にシフトし、ゴジラと直接対決できるヒーロー不在のこの特撮映画で俄然反撃の色を帯びてくるのが格好いい。"

このツイートでコメントされているように、この映画は「Who will know」*1というBGMを境目にスイッチが切り替わっています。

前半部はまさにシミュレーションといった様相でした。このリアリティもまた、非ゴジラファンである一般人に受け入れられた背景だと言えるでしょう。

震災をモチーフにした=時代性を持ったドラマ

最後がこれです。「シン・ゴジラ」は明確に震災を意識し、なおかつ「震災後の日本」に向けて作られています。日本で大ヒットしても、世界で大ヒットしなかったのはこの所以があります。この映画は強い時代性を持っているのです。

前提知識を必要としないヤマト

さて、ヤマトに話を戻しましょう。

復活篇・実写版・2199・2220の中で、前提知識を必要としないヤマトは、実写版2199だけです。

いずれも「イスカンダル編」とも呼ばれる第一作のリメイク版にあたります。逆に復活篇と2202は、どちらも続編です。

つまり、そもそも復活篇と2202は「シン・ゴジラ」になりようがありません。

続編であっても気にせず前提知識なしでハマる、そんなタフな人もいないことはありませんが、たくさんではありません。

リアリティを持ったヤマト

ヤマトは未来の世界を描いたフィクション作品で、圧倒的なリアリティを持ったヤマトがそもそも存在するのかどうかは分かりませんが、「リアルさ」「現実っぽさ」を意識して作られているヤマトをこの四者から挙げるとすれば、これまた実写版2199でしょう。

実写版はそもそも人間が演じているので「現実っぽさ」があって当然ですが、山崎貴作品らしくVFXで描かれたスラム街さながらの地下都市は好評を博しました。

一方2199は、科学設定の一新とミリタリー設定の拡充、架空艦艇を「現実っぽく」魅せるディティール描写で、今でも根強いファンがいます。

対して復活篇と2202は、旧来のヤマトを引き継いだ緩さと「スペースファンタジー」とも言うべきアプローチを採っています。そこに「現実っぽさ」はそれほど考慮されているようには思えません。

つまり、復活篇と2202は「シン・ゴジラ」たりえません。ファンタジー作品には「観客がその世界を受け入れるかどうか」という壁があります。どうしてもそこで好き嫌いが分かれてしまい、普遍性を持ち難くなるのです。

時代性を持ったヤマト

復活篇と実写版は無論、震災をテーマに作品を作れるはずがありません。

ちなみに復活篇には「地球の存在を相対化する」というテーマがあり、そのテーマは「環境問題」という背景を持っています。地球温暖化を例に挙げれば*2、1990年代ならばある程度の時代性を持ち得たかもしれません。しかし2009年においては少し使い古された感のあるテーマでした。

2199は、震災後の公開ではありましたが制作はそれ以前から行われており、震災後の時代の変化に対応することができませんでした

その点、問題意識として震災後の日本に向き合おうとしているのが2202です。それはあくまで福井晴敏個人の分析と工夫ではありますが、少なくともこの点においては、2202は「シン・ゴジラ」たりえるということになります。

嚙み合わないヤマト

前提知識を必要としない実写版・2199リアリティのある2199時代性を持った2202

近年のヤマトは絶妙に噛み合っていません。

この噛み合わなさこそ、近年のヤマトが「シン・ゴジラ」を生み出せなかった背景なのではないでしょうか。

そして、これらのいずれも有しない復活篇が、四作品の中で最も低い評価を世間から下されているとしたら*3それも仕方がないことのように思えます。

*1:ヤマト音楽の分析と「弾いてみた」でお馴染みの方の「弾いてみた」動画です。<シン・ゴジラ 放射熱線シーンBGM「Who will know / 悲劇」を弾いてみた - YouTube

*2:1-10 いつから地球温暖化が問題とされるようになったのか - JCCCA 全国地球温暖化防止活動推進センター

*3:

宇宙戦艦ヤマト 復活篇 - 作品 - Yahoo!映画

ユーザーレビュー - SPACE BATTLESHIP ヤマト - 作品 - Yahoo!映画

宇宙戦艦ヤマト2199/第七章 そして艦は行く - 作品 - Yahoo!映画

このレビューサイト的には「2199>復活篇>実写版」のようです。ただ実写版は桁違いに母数が大きいので不利かと思われます。2202は最終章が未公開なので保留。