ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

シン・ゴジラになり得るヤマトを作るには その1

こんばんは。これで300記事です。すべてヤマトの記事ではありませんが、塵も積もればなんとやら……。

さて、先日の記事*1では、シン・ゴジラが具備していた三つの魅力を挙げ、近年の宇宙戦艦ヤマト作品がいずれも惜しいところまで作り込んでいながら、どれも各々の作品に分散してしまい噛み合ってこなかったという、ひとつの現実について考えてみました。

その記事で取り上げたシン・ゴジラの魅力をおさらいすると、

  • 前提知識を必要としない
  • リアリティがある
  • 時代性を持つ

でした。

今後の宇宙戦艦ヤマト作品にとってこの三つの魅力は大きなヒントになりそうなので、今日から少しだけ、それについて考えてみたいと思います。

リアリティがあるヤマトを作る

今日は、比較的難易度の低い二つについて考えてみましょう。

リアリティを出すために何をすればいいか。その答えは簡単です。2199が既にやっているので、それと同じ仕事をすればいいのです(もちろん、実際に作る人はすごく大変です)。

2199は、「ヤマト的」と言われるような大らかさ・勢いとリアリティを両立させました。2199が、ひとつの理想的なモデルケースとなるでしょう。

あるいは、シン・ゴジラを参考に、「リアリティ/エンタメ」の二面構成を採用してバランスを取るのもひとつの手です。ただしこのような思い切った構成は、単発の劇場映画でないと効果半減、もしくは逆効果になってしまうかもしれないので注意が必要です。2199/2202の公開方式やテレビシリーズは観客と作品の付き合いが長くなるので、二面構成=途中から別のテイストを持った作品にすると、そこで観客が離れていくリスクがあります。

昨日書いたのですが、その点で復活篇は惜しかったですね。アマール解放までのストーリーをガチガチの政治ドラマとミリタリー重視の戦闘シーンで固めて、SUS大要塞との決戦以降をエンタメで盛り上げる二面構成とか。むしろ逆に、前半をクラシック祭りにして後半でヤマト音楽復活とか。結構面白い映画になったかもしれません。

時代性を持ったヤマトを作る

これも重要ですが、ひとつのモデルケースとして2202が挙げられます。

ただ、社会や時代というものは日々変化するものです。シン・ゴジラ君の名は。など、震災後の社会へ宛てた映画が2年前大ヒットしましたが、もしこれらの公開が今だったらヒットしたかどうか。あるいは5年後だったら、ヒットしなかったかもしれません。

一番難しいのは、時代を適当に捉えることのできる作家を調達できるかどうかです。

最近は男性キャラがプリキュアになり絶賛される一方、聖闘士星矢の新作で既存キャラが女体化され炎上するという、興味深い動きがありました。

いずれも時代をそれぞれ解釈し、従来の枠組みに囚われない新要素を取り入れたのだと想像できますが、その評価は全く違う。

このような「正解のわからない」問いに、自信を持って答えを出せるような人間が必要なのです。

その点、福井晴敏は適任だったと思います。正解かどうかは別にして、インタビュー毎にあれほど自信を持って現代社会を語り、それを適当な形で作品に反映させる作家の存在は、ヤマトにとって大変貴重ですよね。

 

明日は、最大の難関である

  • 前提知識を必要としないヤマト

について考えてみます。

今日は比較的簡単な二つについて考えてみましたが、こう見ると、ヤマト2202はすごく惜しい作品なんですよね。

福井さんと出渕さんの仕事は一部重なる(シリーズ構成)ので両立はあり得なかった、というのが私の見解ですが、とはいえ出渕さんなくとも、2199のリアリティを引き継ぐことは不可能ではなかったと思います。

しかし結果は、作品の方針と時間的・人的リソース不足によって実現しなかった。

机上の空論ではありますが、これが実現していたら、シン・ゴジラの備えた二つの魅力を持った、かなり有力な宇宙戦艦ヤマト作品が誕生していた可能性があります。

もったいなく思うと同時に、これは2202から得た反省点でしょう。

シン・ゴジラが大ヒットした2016年夏、2202は既に大まかな方針を固めて実際の作業へと突入していたわけですが、もし仮にシン・ゴジラの大ヒットを受けて方針決めができていれば、あるいは違った作品になったかもしれません。