こんばんは。ymtetcです。
記事数が300を突破したので、そろそろ過去記事を掘ってみるという考えもないわけではありませんが、困った時のオプションとしてとっておこうと思います*1。
昨日の記事*2では、「シン・ゴジラになり得るヤマト」=「シン・ゴジラの三つの魅力を持ったヤマト」を作るにはどんな方針を採ればいいか、という問題意識から少し考えてみています。
昨日取り上げたのはすごく簡単なもので、リアリティは2199をモデルに、時代性は2202をモデルにすれば良いだろう、という話でした。
今日も構造的には同じようなお話です。
前提知識を必要としないヤマトを作る
今日取り上げるのは「前提知識を必要としないヤマト」。ここが最大の難関かと思います。近年の宇宙戦艦ヤマト作品を羅列してみますと、
『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』
『SPACE BATTLESHIP ヤマト』
『宇宙戦艦ヤマト2199』
『宇宙戦艦ヤマト2199 星巡る方舟』
『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』
この5作品です。
そのうち、復活篇は完結編の続編であり、星巡る方舟は2199の一部分であり、2202は2199の続編です。つまり、復活篇・星巡る方舟・2202には前提知識が必要なので、そもそも「シン・ゴジラ」にはなり得ません。そんなお話も、この間しましたね(星巡る方舟は挙げていませんでしたが)。
こう見ると、前提知識を必要としないヤマトとは、近年では第一作のリメイクに限られていることが分かります。
第一作は宇宙戦艦ヤマト作品の原点ですから、当然、前提知識は必要ないわけです。
では今後、シン・ゴジラになり得るヤマトを作るには、第一作のリメイクでなければならないのでしょうか。
確かに、第一作をもう一度リメイクするというのも、前提知識を必要としないヤマトを作るにはひとつの手です。
しかし、この10年内に実写・アニメでリメイクしている以上、すぐにもう一度制作する訳にはいきません。2199の舌の根も乾かぬうちに再リメイクするなど、2202もびっくりな2199否定になってしまいます。
唯一の手は、出渕さんの旧友である庵野監督に対してエヴァ完結後の隙を突きオファーすることくらいで、これまた非現実的ですね*3。
さて、実はヤマトの歴史を振り返ると、第一作の他にもうひとつだけ、前提知識を必要としないヤマトが存在します。それが
『YAMATO2520』
です。あの作品は良い意味でも悪い意味でも、従来のヤマト作品とは一線を画した作品でした。
これをモデルケースにして、ちょうどシン・ゴジラと同様、従来のヤマト作品と一線を画した新作を作るという発想も悪くはありません。
しかし、2520ほどにドラスティックな変化を加えてしまうのは、2520が「ヤマトではない」としばしば称される現状を見ても、少しリスク過多。
では、どうすればいいか。
はい(笑)。最近の記事を読んでいらっしゃる方は、次に私が何を言うか、なんとなく察しがついていると思います。
いいと思うんですよ。復活篇。
確かに復活篇はリメイクするにしても、結局は何かしらの続編に位置せざるを得ません。その中で、いかにして前提知識を必要としない復活篇を作るかと言えば、従来の私案と同じアイデアなんですが、
古代進を沖田の立場にする
のが一番適切だと思うのです。
言い換えるなら、第一作をモデルにして、前提知識を持たない観客の視聴にも耐え得るヤマトを作るということです。
私達が第一作を初めて観た時を思い出しましょう。冒頭、沖田艦長と古代守のドラマが繰り広げられますが、この時、私達は彼らに関する前提知識を持ちません。
持っていなくても面白かったじゃないですか。
ならば、古代進を沖田の立場に置いて、新主人公と時には対立し、時には支える年長者の役割を古代進に与えたところで、そこに旧作の知識は必要ではないのです。
いわば、復活篇という名において、第一作を換骨奪胎したリメイクを行う。
それが、第一作と同様、前提知識を必要としないヤマトを作るひとつの有力な手立てなのではないでしょうか。
*1:こん様
リクエストに応えるという形はとっていませんが、テーマ設定にあたり少なからず影響を受けている部分があります。ひとまずこれで区切りとはなりますが、今回で答えが出たというわけではないので、今後も考えていきたいと思います。特にこの問題は「ヤマトの復権」にも関わってくるものなので、ヤマトファン全体で考えることができればきっと良い知見が得られるだろうなぁと少し期待しています。
*2:シン・ゴジラになり得るヤマトを作るには その1 - ymtetcのブログ
*3:彰司Pは「UCが羨ましかったから」といって福井晴敏にオファーしてみたり、御大と会食してみたり、と柔軟な側面を見せているので、実は正直ちょっと期待しているのですが……(笑)