こんばんは。ymtetcです。
今となっては想像がつかないかもしれませんが、私は2199の熱心な擁護者でした。
「これぞ新しいヤマト、受け入れられない懐古厨は古い旧作でも見てろ」……そんなあまりにも過激で排他的な主張に頷いていた時代もありました(さすがに自分から書いたことはない)。
私はどうやら現在進行のヤマトに対する愛着が深いのか、現在は消極的ながら2202の擁護者です。
もちろん、今でも2199が好きなことには変わりません。
しかし、現行の2202が良くも悪くも2199との連続性に揺らぎのある作風を採っているために、今の世の中では、2199と2202双方に対する「好き」のバランスを保つのが難しくなっているきらいもありますよね。
2202に対する「好き」と「嫌い」を突き詰めていくと、どうしても2199との非連続性を見出さざるを得ない現実が待っているのです。
少し話が逸れました。
私が2199の熱心な擁護者だったあの頃、そして今でも、リメイク版のヤマトを擁護する際に定番になっている言い回しがあります。
- 「2199(2202)は批判されてるけど、旧作よりよっぽどクオリティ高いわ!」
要は「現行のヤマト作品は旧作よりクオリティが高いので叩かれるべきではない」と言っている。
これは「旧作sage、リメイクage」の主張です。このような、旧作を下に見る主張には違和感を覚えます。
そもそも旧作とリメイク版は数十年の時を隔てているんだから、リメイク版の方がクオリティ高いのは当たり前──。
反論するだけならこれで事足りますが、一つ見逃されている観点があるような気がするので、以下に考えてみたいと思います。
それは、旧作がシリーズを構築するためにかけた時間です。
先日結城さんは、2199と2202を「この10年関わった作品」と表現しました。
2199は2007年の末頃に企画が始動したと言われ、現在我々が目にすることのできるキャラ設定資料の大半には「2009」と記されています。
2199の完結は2013年。まさに5年に及ぶ航海だったというわけです。
一方、2202が本格始動したのは2015年の4月と言われています。結城さんのキャラ設定画には2016年夏の日付が記されていて、2199よりも余裕のないスケジュールが伺えますね。そして現在。4年に及ぶ航海と言えるでしょうか。
その中間にあった方舟の1年を足せば、まさしく10年に及ぶ大航海と呼べるでしょう。
リメイクシリーズは、10年間で3つの宇宙戦艦ヤマトを生み出しました*1。
一方、旧作はどうか。
後に「宇宙戦艦ヤマト」となる企画が立ち上がったのは1973年の初め頃と言われています。
「宇宙戦艦ヤマト」(1974)
「さらば」(「ヤマト2」)(1978)
「新たなる旅立ち」(1979)
「ヤマトよ永遠に」(1980)
「ヤマト3」(1980)
「完結編」(1983)
旧作シリーズは、僅か10年間という期間に、6つの宇宙戦艦ヤマトを生み出しているのです。
創作に優劣はつけられませんが、2199や2202の作業は、言わば1あったものを10に「改善」するもの。
一方で、旧作は0を1にする、無から新作を生み出す作業を10年間に6回行いました。
制作のリソースが「新作を作ること」に割かれたからこそ、私たちの目の前にはあれだけ沢山の「宇宙戦艦ヤマト」が存在する。この功績を無視して旧作を「クオリティが低い」と断じるのは少し不適切ではないでしょうか。
10年間に3つの作品を生み出した現在のヤマトは新作ではありますが、そのうち2作品が原作付きであり、方舟についても旧作の土台と元ネタが随所に活用されています。
方舟は例外と言えるかもしれませんが、いずれも0を1にした仕事ではありません。
1を10にする任務を背負ったリメイク版は当然、既存作品のクオリティアップにリソースを割いた。だからこそ私たちの目の前にはあれだけ質の高い「宇宙戦艦ヤマト」が存在する。
10年間で6つの「新しいヤマト」を生み出した功績、10年間で3つの「質の高いヤマト」を生み出した功績は、どちらも素晴らしいものです。
故にリメイク版の方が高クオリティだからといって、旧作を下に見るのは不適切であると考えます。
リメイク版を楽しむにあたって旧作を見る必要がないことは言うまでもありませんが、だからといって貶していいか、否定していいかというと、そうではないと思うのです。
ちなみに、2202が「質の高いヤマト」なのかどうかについては多少の議論があろうかと思いますので、少しだけ別の機会に考えてみたいと思います。
*1:復活篇はリメイクシリーズではないので置いておきます