ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

閉じた作品と開いた作品

こんばんは。ymtetcです。

世の中娯楽作品というものは山ほどありますが、今日タイトルに挙げた論点で二分することもできましょう。

具体例を言うと早いので、とりあえず庵野秀明作品と新海誠作品を取り上げてみます。

シン・ゴジラ』は社会に対して開いた作品であったからこそ、社会現象となることができました。

一方、『エヴァンゲリオン』シリーズは極めて閉じた作品です。いえ、元々は開いた作品ではあったのですが、テレビ版の終盤の展開は庵野秀明ワールドに閉じてしまっており、社会から見れば置いてけぼりにされた感がある。

しかしだからこそ『エヴァンゲリオン』シリーズは特別になった、とも考えられます。

注意すべきなのは、『エヴァンゲリオン』の場合はその閉じた世界観に惹かれ、ファンになった人も数多くいるということです。

エヴァンゲリオン』のリビルド作品である新劇場版は、4部作の前半2作品は開いた作りがされており、こちらもヒットしました。

しかし3作目となった「Q」では、まさしく「旧」来の閉じた作劇に回帰した(意識的・無意識的にかかわらず)ことにより、賛否両論が巻き起こった。それでも、否定論ばかりで埋め尽くされなかったのは、閉じた作劇に対して一定程度のファンが付いていたからだと言えます。

このように、閉じた作品と開いた作品にはそれぞれのメリットがあります。ただ、閉じた作品というのは観客を選ぶので、ヒットというゴールを考えれば、開いていた方が得策です。

 

これは、同様に『君の名は。』で一躍社会の注目を浴びるようになった新海誠作品にも言えます。

彼の作品がこれまで大ヒットを記録してこなかったのは単に才能が見逃されていたからではなく(既に一定程度の評価は得ていた)、これまでの彼の作品達が、新海誠の世界観に閉じていたからです。

これは『君の名は。』という1大ヒットを記録しても、なお『秒速』に代表される彼の過去作品は再評価されなかった、ということが示している通り。

これまでの新海誠作品は彼自身の世界観に閉じてしまうような作風が特徴的であり、それ故にファンを獲得していた側面もあります。

一方『君の名は。』は、彼自身の世界観も色濃く残りながら、むしろ社会に開けた作品でした。

だからこそ、一部の新海誠ファンは『君の名は。』に違和感を覚えたとも言えます。

 

ただ、『シン・ゴジラ』にせよ『君の名は。』にせよ、大ヒットの要因になったのはそのバランス感覚にあると思います。

両者は社会に開いた作品でありながら、それぞれの従来の魅力、言い換えれば作風を色濃く残しているのです。

例えば『シン・ゴジラ』には『エヴァンゲリオン』に象徴される鬱展開はなく、『君の名は。』にも『秒速』に代表される「後味のスッキリしない」展開はありません。

一方で庵野秀明新海誠それぞれのアイデンティティが失われたわけではなく、前者はスピード感のある演出に、後者は独特な言葉遣いや美しい風景描写にアイデンティティが残されています。

 

観客を選ぶ閉じた作品ではなく、幅広い客層を受け入れるだけの開いた作品で、作り手の作風を「分かる人にしか分からない」程度に残す。

長くシリーズを展開していると、良くも悪くも大ヒットを記録することが難しくなってしまいます。

その時に必要となるのがこのバランス感覚で、これはヤマトシリーズにも言えることでしょう。