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偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

「子供世代」は一括りにできない

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こんばんは、ymtetcです。

昨日、ヤマトファンのジェネレーションギャップの話をしました。今日は特に若い世代について「『子供世代』と一括りにはできなくない?」という話をします。

「子供世代」がリアルタイムに触れたであろうヤマト作品は、復活篇、2199、2202です。

これら三作品、「子供世代」においてもその評価は一様ではありません。

しかも「復活篇が好きなら2202も好き」「復活篇が嫌いなら2199は好き」などという方程式で片付けられるものでもありません。

とはいえ、こと今の2202に関しては一括りできてしまうので、うっかり「子供世代」とまとめてしまいたくなりそうにもなります。

というのも、今の2202を見に来る「子供世代」は18歳~27歳。

18歳から「成人」になろうとしている世の中ですから、平たく言えば、今2202を観ている「子供世代」は大半が「大人」でまとめられる存在なんですね。

しかし、2199や復活篇の頃の彼らはどうだったか。

経験から分かっているとは思いますが、年齢が若くなればなるほど1年の重みが違います。若い頃の9歳差は、絶大です。

では、2199(6年前)の頃、「子供世代」はその頃何歳だったか。

なんと下は12歳(小6・中1)、上は21歳(社会人・大学生)になります。

小学生と大学生の感性には、言うまでもなく違いがありますよね。

さらに復活篇を9年前としてみれば、下は9歳、上は18歳なんです。

今では同じ「若者」に見える彼らも、復活篇や2199に初めて触れた時の年齢が全く違うのです。

これだけ年齢差があれば、初めてその作品に触れた時の感性は違って当然ですから、いわゆる「若者」の意見を一括りにできるはずがないのです。

復活篇に小学生で触れたのか、あるいは中学生で触れたのか、高校生で触れたのか。

2199はどうか。

「子供世代」の9年間は、大人のそれとはまったく違います。1年単位で感性も変わりますし、趣味も転変する。

だから、大人以上に、今の2202を観ている「若者」は、一様ではないのです。

こうして見た時に、世代間での対立は無意味だということが分かります。

「若者」は何人たりとも「子供世代」を代表することができません*1。年齢だけでも全然違うのです。

故に「若者」が何を言おうとも、それを梃子に「若者」世代と批判することはできない。ですから、対立しようがありません。

世代間の差異だけではなく、世代内における差異もまた認識しておく必要があるでしょう。

 

そしてこれは、「ヤマト世代」であっても同様かもしれませんね。

例えば「生まれて初めて観たヤマトが『ヤマトよ永遠に』だった」人に対して「ヤマトは『さらば』で終わっていれば良かったんだ」と言ったとして、共感が得られるかどうか。

もしかしたら、誰しも、何人たりとも、「世代」を代表することはできないのかもしれません。

*1:もちろん、若い世代の声は重要なのですが