こんばんは。
最近ちょくちょく見ているこの2520の音楽集ですが、引き続き、西崎EPのインタビューを読んでいきたいと思います。
今日注目したのはこの一文です。
どうしても従来のヤマトと今度のYAMATOは完全に分離して考えなくてはいけない、という判断です。
面白いですよね。加えて西崎EPはこんなことも述べています。
もちろん旧ヤマト・ファンの人達にも楽しんでもらいたいし、新しいYAMATOファンにも充分満足してもらえる作品に仕上げたい。
もうお分かりですね。
西崎さんは、2520という「YAMATO」と、完結編までの「ヤマト」をあくまで別物として捉えているということです。しかも、ファン層まで別物と捉えているのです。
一方、この時西崎さんは後の「復活篇」、当時の「復活編」にも言及しています。
今、この2520と並行して、劇場公開版「ヤマト復活編」も構想中なのですが、できればこちらはじっくりと楽しみながら作りたいな(笑)と思っています。
こちらは「ヤマト」なわけです。
つまり、復活編というのはあくまで完結編の続編、すなわち西崎さんのいうところの「旧ヤマト」の新作にあたるということ*1。
とはいえ、その内実はむしろ2520に近いものでした。未だに酷評されるあの機関室の双子なんかは、そのまま2520に出てきてもおかしくないキャラクターです。
このように、復活編は「ヤマト」と「YAMATO」の間で常に揺れ動く存在であり、むしろ、両者に橋をかける存在でもあったのではないでしょうか。
その点、メカニックで言うと、「ヤマト」の主力戦艦を「YAMATO」風にアレンジしたドレッドノート、「ヤマト」のアンドロメダを「YAMATO」風にアレンジしたスーパーアンドロメダは、明確な狙いをもって作られたものであることが分かります。
そして、復活篇DCに登場したムサシも同じ文脈にあるわけですが、逆にいえば、ミードデザインをパクってに影響を受けて作られたムサシのデザイン(あるいはアポロノームのデザイン)が、「ヤマト」世界のメカニックとは異なるものと見なされる、すなわち「ヤマト」を原作とした2199‐2202世界に馴染まないというのも、無理はない話ですね。
それを逆手にとって、ではありませんが、従来の「ヤマト」とは全く異なる存在として《銀河》を描いた点は非常に上手かったと思います*2。
ちなみに、紋様は「ヤマト」でも「YAMATO」でもなく、彼が独自に持ち込んできたものなのでそこは注意されたく。