こんばんは。ymtetcです。
昨日は「+5」のポイントについて書きましたので、今日は「-1」のポイントについて書いておこうと思います。今回は、3点書いておきます。
◯山本が選ばれたのは何故か
まずはこれです。25話で死んだはずの山本ですが、最終話で、ヤマトと共に帰ってきました。
山本については、14話で鶴見の「大丈夫だ、って、あの人(テレサ)が」というセリフがありましたから、それが伏線といえば伏線になっています。
しかし、何故山本だけが戻ってきたのかはよく分かりません。強いていうならば、他に死亡したキーマン、斎藤、加藤と違って、山本は死亡の直前、明確には負傷していません。
ここから、25話で山本は後の古代と同様、「あの世に片足を突っ込んでいる」状態に陥っただけであり、古代とは異なる「生きる」道を選んだことによって、あの世から戻ってきた可能性があります。ちょっと無理のある話ですが、山本の選択を含めて「大丈夫」と予言していたとすれば、なんとか誤魔化せそうです。うーむ。
◯加藤の扱い
2点目です。加藤の扱いは個人的に残念でした。果たして、彼の死になんの意味があったのか……。
ラーゼラー(笑)を倒したという点では最後にきちんと活躍しましたが、あまりにあっけない死に様に拍子抜けしました。
強いていうならば、死んだことによって、加藤は翼と真琴にとっての「かっこいい父ちゃん」のままでいることができた。それは幸運だったかもしれません(向き合って欲しかったですが)。
ちなみに、同じく呆気ない最期と言われた徳川機関長ですが、あれについては本編のそれでいいと考えています。アナライザー含め、「ヤマトに襲いかかる悲劇」がメインですから。しかし、加藤は別ですよね。第六章からあれだけ盛り上げて、最期があれとは。残念に思いました。
◯さらばを前提にしすぎ
最後に、2202全体を貫く「-1」ポイントでもあるのがこれです。
福井さんは「2202はさらばを観た人に」とする一方、口では「若い世代にも」「2202が初めての人にも」などと付け加えてもいますが、本編は「さらばを観た人」だけに向けて作られているように見えます。
私は昨日の「+5」ポイントを考えながら、「でも、さらばを知らない人も楽しめないと意味がないんだよな……」と感じました。それでいて、「さらば」を踏まえて解説しなければ、2202最終章の魅力を語ることができなかった自分もいました。
「さらばを踏まえて〜」という作劇は、諸刃の剣なのです。今更私が「さらば」を忘れることはできませんから、この辺りはなるべく多くの人に2202を観てもらうことで「さらばを知らない人々」のレビューを積み上げていくことが必要であると考えます。
そして最終章では、この「さらばを踏まえて」という部分が悪い方に出てしまったかな、と不安になってしまう場面が散見されました。
例えば「我々にはまだヤマトがある」のシーンや、BGM「ぬか喜びのテーマ」。「さらば」を知っている我々ならば、「お、やっぱり使ってきたか」という感じで軽くスルーすることができるのですが、前後の流れからして、不自然な繋ぎ方になってはいまいか。
また、第25話のラストでは、古代と雪が「滅びの方舟は倒せないけど、時間稼ぎにはなる」と述べているのに対し、最終話では、滅びの方舟は消えている。
これは旧作同様、テレサの介在が為されたからなのですが、これを「さらば」未見の人が理解できたかどうか。「あれ、消えたの?」と拍子抜けされても不思議ではありません。