こんばんは。ymtetcです。
1年前の記事が良い感じの熱量だったので、リンクを貼っておきます。
今年はまだ目がかゆくなっていませんが、飛んでいる花粉が違うのかもしれませんね(笑)
さて本題です。
3月2日以降、2202の完結を踏まえていくつかの記事を書きました。ですが、
この記事の
福井さんは「2202はさらばを観た人に」とする一方、口では「若い世代にも」「2202が初めての人にも」などと付け加えてもいますが、本編は「さらばを観た人」だけに向けて作られているように見えます。
という記述と、
この記事の
──かつてのヤマトは若者向けだった。しかし、その若者も今は大人になった。ならば、単に若者向けだけではなく、そこに大人世代も含めた日本人(国籍如何ではなく、日本社会の全ての構成員)に向けて物語を作ろう。
これは福井さんなりに、作品に対して普遍性を持たせようとした努力に他ならないと考えます。
という「2202のターゲット層」について考えてみた記述に、矛盾というか、行き違いがあるということに気が付きました。
すなわち
- 2202のターゲット層は「さらばを観た人」なのか
あるいは、
- 2202のターゲット層は「日本社会の構成員」なのか
という疑問が残ってしまっているのです。
今日は、これについて考えてみます。
これは、「どちらも正しい」のではないでしょうか。何故ならば、作劇上のターゲット層と、マーケティング上のターゲット層は異なることがあり、二つの「ターゲット層」は、これらに対応する可能性があるからです。
まず注意しておかなくてはならないのは、前者の「2202は『さらばを観た人』向け」という記述はあくまで私の主観をソースとしており、後者の「2202は『日本社会の構成員』向け」という記述は福井さんの発言をソースとしていることです。
ここから考えると、後者の記述の方が2202の実態を正確に捉えている可能性が高いのですが、とはいえ、前者の記述もそれほど的外れとは思えません。
ここで、作劇上のターゲット層と、マーケティング上のターゲット層という二つの考え方について説明します。
作劇上のターゲット層とは、売れる作品を作るために設定されるターゲット層のことを指します。どんな層に響く作品にするか。これが、作劇上のターゲット層を決めます。
そして、マーケティング上のターゲット層とは、作品を売るために設定されるターゲット層を指します。この作品を、どんな層に売るか。これが、マーケティング上のターゲット層を決めます。
第七章が公開されて以降、様々なメディアで言われているように、福井さんは作家であるだけではなく、プロデューサー的な側面も持っています。つまり、単に面白い作品を作るという観点だけではなく、どんな人が面白いと思うか、というところまで計算して物語を作る。その上で設定されたターゲット層こそ、福井さんの言う「日本人」、すなわち「日本社会の構成員」なのではないでしょうか。
一方、福井さんの起用を決めたであろうプロデューサー側、いわゆる「お上」の人たちはそうではありません。いくら面白くても、買ってくれる人にアピールして、売れなくては意味がない。あるいは、面白くなくても、買ってくれる人に上手くアピールすればある程度の収入を確保することができます。
そのために福井さんに課した3か条が、
- 「さらば」のリメイクを作れ
- 泣ける話を作れ
- 主要キャラクターは殺すな
でした。こうして設定されたのが、2202を通じて私がなんとなく感じてきた「さらばを観た人」という、マーケティング上のターゲット層であった、とすれば、この二つのターゲット設定の違いが腑に落ちるのではないでしょうか。
作品の内容が「響く」層は、広ければ広いほど望ましいと思います。しかし、作品を「売る」相手は、狭く設定していた方が効率的な場合もあります。
福井さんは物語を作る人であり、物語を売る人ではありません。福井さんの持つ「プロデューサー的」素質も、恐らく「売りやすい物語を作る」スキルであって、あくまで、物語を売る人は他に存在します。
その点から言えば、「旧ヤマト世代を中心に、若者までを含めた『日本人』に訴えかける物語」は、「旧ヤマト世代」に売りたい「お上」の意向も汲みつつ、「宇宙戦艦ヤマト」というコンテンツが持ち続けなければならない普遍性にも考慮したターゲット設定であったと評価できそうです。
ただ、結果的に「2199ファン」が「お上」にも福井さんにも(比較的)軽視されてしまったことも否めませんが(決して無視しているわけではない)、その判断が正しかったかどうかは客観的な「数字」が示してくれることでしょう。