こんばんは。ymtetcです。
ヤマト2202が完結したことで、様々な問題に「結論」が出せる環境が整いました。
ですが、その問題によっては、「結論」といっても一つに限りません。今日取り上げる「ヤマト2202はどんなドラマを描いたか?」という問題の結論も、一つではないでしょう。
今日は、第14話で登場した「縁の力」という言葉と、第一章冒頭のズォーダーによるナレーションから、これについて考えてみたいと思います。
ヤマト2202が描いたドラマは、どんなものだったか──
ヤマト2202は、「人間の命に意味を与えるドラマ」を描いたと言えるのではないでしょうか。
まず、第一章冒頭のナレーションを振り返りましょう。
虚しい。実に虚しい。彼らの命に何の意味があったのだ。その苦痛に報いる、どんな意義が人の生涯にあるのだ。やはり愛が必要だ。この宇宙から根こそぎ苦痛を取り除く、大いなる愛が。そうは思わんか。テレサ。
このズォーダーの問いかけと正反対にあったのが、テレサの説く「縁」です。
「縁」という言葉は、第14話で初めて登場しました。
「縁」が、あるのです。
瀕死の鶴見が耳にした、テレサの声です。名前のあるヤマトクルーとして、鶴見は2202で初めての戦死者となりました。
「縁」は育つ。時に、痛みを伴いながら──
第25話、命を落としてきた人々の魂を従えて、テレサはこう言います。「誰一人欠けても、私はここに来られなかった」と。
人の命に、意味はあったのです。その苦痛に報いる意義が、人の生涯にはある。
ヤマト2202は、人間の命、人生、生きること、そして、生きていたことに意味を与えるドラマを描こうとしていたことが分かります。
ミル「命は──人という知性は、その想いの中に宇宙を写し取り、再生させることができる」
透子「感じる心──愛を知る人の、それが役割」
ミル「尽きることを知らない温もりをもって、この宇宙を永遠に」
古代「帰ろう、雪」
雪「うん」
テレサ「星は、ただそこにあるだけ。人だけが、その存在に意味を与えられる。美しいと感じる心をもって」