ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

2202は2199を「軽視」している

こんばんは。ymtetcです。

ネット上には、「2202は2199を否定している」「2202は2199を無視している」という主張があります。これはこれで、一つの側面から言えば間違った主張ではないかもしれません。しかし、このような主張に対して、私は長らく違和感を覚えてきました。

今日は、その違和感について考えながら、「否定」「無視」に代わる表現として「軽視」を提案したいと思います*1

〇総体としての「2202スタッフ」は、2199にどう接したと言えるか?

総体としての「2202スタッフ」は、2199を軽視しました。

というのも、2202という作品においては、2199よりも『さらば宇宙戦艦ヤマト』の方が重視されたからです。

 

さて、私は「総体」という表現を用いましたが、これは「2202」という作品を主語とするにあたって、個人の集合体である「2202スタッフ」を一言で表現するためです。

ですが、そもそも一言で表せるはずはありません。例えば、

  • 2199には手伝う立場で参加し、2199のスタッフに対しては同じ作り手として、リスペクトしながら接していた羽原さん
  • いちヤマトファンとして、2199を楽しんでいた岡さん
  • OPクレジットに名を連ね、往時には(今と同じように)「2199」でネット上をサーチし、2199擁護意見をRTしていた小林さん
  • よく分からない(でも2199は観ていたらしい)福井さん

と、2202の中心スタッフであっても2199に対する姿勢は人それぞれ。なのに、「2202スタッフ」の相対的な基本姿勢など、分かるはずもありません。

ネット上には、小林さんの発言や作風を取り上げて「2202は2199を否定(無視)している」という主張もあります。もちろん、小林さんに限ってはそうかもしれません。ですが、それを「2202」という主語に当てはめてしまえば、2202で多大な貢献をした、2199に敬意を払っているスタッフ(それは、2199と変わらぬ高いレベルの仕事をした玉盛さん・石津さんなどを含む)が、浮かばれないように思うのです。

これらを踏まえると、対応策としては「主語をずらす」。すなわち、「小林さんは」「岡さんは」「福井さんは」などと、個別に主語を当てはめて語るのも一つの手だと考えます。

しかしながら、作品全体のスタンスを語るタイミングも必ずあります。例えば「2202って2199の続編と言えるの?」という問いについて考える時など、です。

そこでおススメしたいのが、今日冒頭で紹介した「軽視」です。

「否定」「無視」では、2199をリスペクトして2202に取り組んだスタッフの誠意を拾い上げることはできません。「軽視」ならば、幅を取ることができます。

擁護的文脈で、あるいは上述の「誠意あるスタッフ」を褒める文脈で、「2202は2199を否定(無視)していない。2199をリスペクトしながら2202を作り上げたスタッフもいる。でも、全体としては軽視しているきらいがある」と述べることもできます。

また、「続編なのに、2202は旧作ばかり意識して2199を軽視している! 続編が前作を重視しないなどあり得ない!」と批判することもできます。

「軽視」という、批判においても擁護においても、”どちらも正解”な表現を使ってこそ、単なる「信者」「アンチ」の言い争いではない議論(例えば、続編は前作を重視すべきか否か、など)が進展するのではないでしょうか*2

*1:既に、当ブログのコメント欄における返信などで使用している表現です。

*2:娯楽作品に議論は必要なのか、という問題もありますが。