こんばんは。ymtetcです。
『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』について、「あの最終話は必要ない」という考え方があります。今日はこの「最終回問題」について、考えていきます。
はじめに
『2202』は「『さらば』のリメイク」を謳っています。ですからもちろん、「『さらば』のリメイク」のラストシーンは『2202』第25話のラストシーンのような形であるべきだ、という意見は否定しません。
しかしそれは、そのラストシーンに向けて作品が作り上げられているならば、の話です。
『2202』は、そうではありませんよね。
『2202』が序盤から積み上げてきたドラマを考えると、最終話は絶対に必要なんです。
『2202』の最終話とは
高次元世界に取り残された古代進と森雪が、時間断層と引き換えに救出される。
『2202』の最終話は、一言で言うならこんな話です。
「だってね、あらすじだけ見たらメチャクチャじゃないですか。死ぬけど帰ってくる(笑)」と、シリーズ構成・脚本の福井さんは言います。
ヤマトの艦長代理として戦った古代は、『さらば』と同じように、自ら死を選びました。しかし、高次元世界で彼は「明日への希望」を見つけ、ヤマトに乗って帰還しました。
注目すべきは太字の部分。ヤマトの存在です。
ヤマトはなぜ飛んだのか
そもそも『2202』の宇宙戦艦ヤマトは、なぜ飛んだのでしょうか。
以下『シナリオ編』に沿って考えていきましょう。
まずは第4話です。
藤堂長官は、古代艦長代理をこう諭します。
藤堂の声(通信)「君たちの気持ちはわかる。リバース・シンドロームの一件はショックだっただろう。イスカンダルに救われた我々には、救いを求める異星の声に応じる義務がある、とする考え方にも賛同はできる。しかし考えてほしい」
さらに藤堂は続けます。
藤堂「未知の通信を受け取ったというだけで、まだ確かなことはなにもわかっていない。地球の将来を憂えるがあまり、君たちは性急になりすぎている」
これに対して、古代進はこんな言葉を口にします。
古代の声「長官の仰ることも正しい。だがヤマトは予定通り出航する。行かなければならないんだ。そこに救いを求める誰かがいる限り。義務からではなく、地球人はそうであってほしい、という願いに懸けて」
「地球人はそうであってほしい、という願いに懸けて」。
これが、『2202』の航海の肝です。
第7話にも目を向けましょうか。
古代「(不意に椅子を蹴り)真田さん、おれは、おれはね、当たり前のことを当たり前にしたいだけなんですよ。約束は守る。助けを求められたら手を貸す。みんな当たり前のことでしょう……⁉」
(略)
古代「それができない地球なら……おれは、そんな星の人間であることが恥ずかしい。地球人みんながそうじゃないって、証明できるものならしたい。そのためにヤマトは……それなのに、自分から約束を破って、何万もの人間を(殺すなんて)……」
「地球人みんながそうじゃないって、証明」する。「そのためにヤマトは……」
と、古代進は述べます。古代進にとっては、このヤマトの航海は、「当たり前のことを当たり前にする」という、理想を貫くための航海だったのです。
しかし、現実の世界はそう甘くはありません。
最終話で真田が言ったように、古代は誰よりも波動砲の引き金を引くことになったのでした。
ヤマトはなぜ再び飛んだのか
最終話の航海はヤマトにとって、『2202』内では二度目の航海です。
最終話の航海では、ヤマトは何のために飛んだのでしょうか?
それは一言で言うならば、「生きたいと願う人を救うため」です。
そこで生きている人、生きたいと願う人、だけど助けなくては帰ってこられない人……そんな人を救うために、宇宙戦艦ヤマトは再び飛び立ちました。
しかも、
地球人類の支持のもとに。人類の選択によって。
そうして、
古代進が救われる。
それが、『2202』の最終話なのです。
おわりに
高次元世界に取り残された人物が古代進ではなく、名もなき地球人の一人だったとしましょう。
私は、あの演説の場に立っていたのは古代進だったと思います。
誰よりも先頭に立って、その人の救出を叫んでいたでしょう。
理想を貫くために地球を飛び出し、現実に裏切られ……。
それでも最後は、「理想」を選択した「地球人」によって命を救われる。古代進が救われたのは命だけではありません。あの人類の選択は、「地球人みんながそうじゃない」ことを証明する、古代進の心をも救う選択だったのです。