こんにちは。ymtetcです。
これは私の実感に過ぎませんが、『宇宙戦艦ヤマト2199』の古代進はしばしば、一部の古代進ファンに批判される傾向にあると思います。
ですが、その批判は決して結城信輝さんのデザイン、小野大輔さんの声、『2199』スタッフによって設定されたキャラクター像、といった、"リメイクされたこと"への批判ではありません。もちろんゼロではないと思いますが、相対的には少ない。
多いのは、『2199』における古代進の役割や、その描き方に対するものです。
なぜ『2199』の古代進は、一部の古代進ファンを満足させることができなかったのでしょうか。今日は事象そのものの理由について考えるのではなく、そんな結果をもたらした背景について、探ってみたいと思います。
〇旧作第一作の古代進と『2199』の古代進の違い
旧作第一作の古代進と『2199』の古代進の違いは、その葛藤の有無にあると思います。
旧作の古代進は、ヤマトに乗り込んだ時点で「沖田が兄を連れて帰ってきてくれなかった」「ガミラス人に家族を奪われた」という過去を重く背負っています。その結果、「沖田艦長の下で(ガミラスと戦う、のではなく)イスカンダルを目指す」というミッションに対し、葛藤を抱えています。そして、第一作のシリーズを通じて、古代進はガミラス人への憎しみや沖田への不信感を様々な形で乗り越えていくのです。もちろん、他のキャラクターに焦点が当たる回では、中心人物として進行役も務めました。
一方『2199』では、旧作の古代進が抱えていたその葛藤は山本玲など他のキャラクターに分散されたり、(沖田との確執のように)早々に解決したりします。古代進は「葛藤を乗り越え成長する」というよりも、決め台詞を言ったり、物語を単に進行させたりといった役割が中心になります。
『2199』の古代進は他のキャラクターと一線を画した中心キャラクターである一方、シリーズを通じて成長したり問題を解決したりする「主人公」としての描き方をされていない。現象としては、これが古代進ファンによって批判されがちな理由となるでしょう。
しかし今日の問題は、『2199』がそういった描き方をすることになった背景を考えることです。
〇「二つの軸」
まずは、視野を『宇宙戦艦ヤマト』シリーズ全体に広げてみましょう。
『宇宙戦艦ヤマト』シリーズの作品には、「二つの軸」があると考えています。
ひとつは「宇宙戦艦《ヤマト》の物語」、もうひとつは「古代進の物語」です。
『宇宙戦艦ヤマト』シリーズ作品のドラマ構造については、氷川竜介さんの先行研究「『宇宙戦艦ヤマト』のもっていた二重のドラマ構造 | mine」があります*1。「二つの軸」という考え方も、組み立てとしては氷川さんの議論から影響を受けています。
「二つの軸」とは、『宇宙戦艦ヤマト』作品には、ひとつの軸として「宇宙戦艦《ヤマト》」という劇中の宇宙戦艦及びその乗組員という集団に与えられたドラマ「宇宙戦艦《ヤマト》の物語」があり、もうひとつの軸として、ヤマト乗組員の中心人物である古代進に与えられたドラマ「古代進のドラマ」がある、という考え方です。「宇宙戦艦《ヤマト》の物語」と「古代進のドラマ」とは、言い換えるならば「組織・集団のドラマ」と「個人のドラマ」といったところでしょうか。
そして、『宇宙戦艦ヤマト』シリーズの作品の中では、この「二つの軸」のどちらか一方が常に重視されてきた、と考えます*2。
これを踏まえて、今度は視野をぐっと狭めてみましょう。
〇旧作はどんな物語か
では、旧作『宇宙戦艦ヤマト』(1974年、第一作)はどちらの「軸」を重視したのでしょうか。
言い換えるならば、旧作第一作とはいかなる物語だったのでしょうか。
そこで、「これまでのあらすじ」を語っているナレーションに注目してみます。
時に、西暦2199年。地球は宇宙の謎の星ガミラスから遊星爆弾の攻撃を受け、その放射能汚染により人類滅亡まで1年と迫っていた。
地球で最初の光速を突破した宇宙戦艦《ヤマト》は、放射能除去装置獲得のため、イスカンダルへと出発した。イスカンダルは、地球から14万8千光年の彼方、大マゼラン雲の中にある。
現在の目標は、中間地点バラン星。ヤマトには宇宙の灯台と見えるバラン星が、実は謎の星ガミラスの地球侵略のための補給基地であった。
ドメル艦隊を率いるガミラスの名将ドメル将軍は、太陽系方面作戦司令官として、バラン星に赴任してきた。バラン星を根拠地に、ヤマトを仕留めようと牙をとぐ宇宙の狼・ドメル将軍。
ヤマト、バラン星まであと20日。
これは『宇宙戦艦ヤマト』第16話「ビーメラ星、地下牢の死刑囚‼」のオープニングナレーションですが、注目していただきたいのは、太字にしている主語です。
ここから、第16話までの『宇宙戦艦ヤマト』の要点は、「地球が滅亡まであと1年であること」「ヤマトが放射能除去装置を獲得するためイスカンダルへ旅をしていること」「ドメル将軍がヤマトを仕留めようとしていること」にあることが分かります。
ガミラスの放射能に侵され、人類滅亡まであと1年と迫った地球に、幸せが戻る日はいつか?
急げヤマトよイスカンダルへ。地球は君の帰りを、君の帰りだけを待っている。
ヤマトが地球を発してすでに95日。これからの航海予定日数、177日。人類絶滅と言われる日まで、200と67日。人類絶滅と言われる日まで、あと、200と67日。
エンディングナレーションでも、「地球が滅亡まであと1年であること」「地球がヤマトの帰りを待っていること」「ヤマトはイスカンダルへ急がなくてはならないこと」が語られています。
ここに、古代進は登場しません。旧作第一作は「イスカンダルへの航海を続ける宇宙戦艦《ヤマト》の物語」であり、古代進一人の物語ではないのです。
つまり、旧作第一作は「宇宙戦艦《ヤマト》の物語」を重視していたと言えます。
〇『2199』はどうしたか
総監督の出渕裕さんは、『2199』の物語をこう表現します。
『宇宙戦艦ヤマト2199』は、地球を飛び立った宇宙戦艦ヤマトが、惑星イスカンダルまで行って帰ってくるまでの旅の物語です。
また、ヤマト内部のドラマとして『2199』が「群像劇」という形式をとったことは、よく知られています。
オリジナルでは、島が真面目で、古代が熱血という感じになっていましたが、今回はキャラが増えて群像劇になったので、熱血が一人で走ってしまうとおかしくなってしまうんですよ。単独ヒーローならいいんですけど、周りに人がいて、それと化学反応を起こしていくということになると、やはりキッチリとしたキャラクターにしておきたかった。
(出渕裕監督が語る新たなるヤマトの魅力 - 『宇宙戦艦ヤマト2199』、4月7日上映開始 (3) ファンへのメッセージ | マイナビニュース)
旧作第一作の「宇宙戦艦《ヤマト》の物語」を重視する、という方向性を踏まえれば、出渕さんがとったリメイクの方向性は決して間違っていません。
また、「群像劇」を強調したことは「宇宙戦艦《ヤマト》の物語」という旧作の枠組みを拡大したものだと言えます。加えて、古代進個人の物語に焦点を当てるのではなく「宇宙戦艦《ヤマト》のクルー」という集団に焦点を当てるようにした背景には、出渕さん自身が説明しているように、キャラクターの増加があります。
名のあるキャラクターが増えれば増えるほど、ドラマを個人に集約することが難しくなります。「個人の物語」にしてしまえば、その周囲に多数の”存在しているのに存在感のないキャラクター”が乱立して視聴者の視点がばらけ、バランスが崩壊してしまうリスクがある。そう考えれば、出渕さんの発想は合理的です。
〇おわりに──批判は宿命
しかし、旧作第一作には「古代進の物語」も間違いなく存在していました。それは『宇宙戦艦ヤマト』という作品の中心にある「物語」ではありませんが、第一話の古代守から始まって、「病んでいる」13話や艦長代理への任命を経て、ガミラス本土決戦や最終回にかけて完結してゆく、ひとつの「物語」でした。
『2199』が(一部の)古代進ファンを満足させられなかったのは、旧作第一作の「宇宙戦艦《ヤマト》の物語」の裏で流れていた「古代進の物語」を、相対的に軽く見てしまったからだと、現象としては言うことができます。
また、『2199』が「群像劇」化した背景にキャラクターの増加があったとすれば、「キャラクターの増加」を選択したことが全ての始まりでした。
このように議論を発展させていった時、『2199』が古代進ファンを満足させることができなかったのは、キャラクター増加に舵を切った時点で「宿命」だったと思えてきます。
あるいは出渕さんたちも、このような批判は覚悟の上──織り込み済み──だったかもしれませんね。