こんにちは。ymtetcです。
今日はエイプリルフールですが、何も嘘はつきません(笑)。例年ならばヤマト公式で何らかのエイプリルフール企画を展開して欲しいものですが、今年の情勢だとテンション的にどうなんでしょうね。
さて、今日も普通の記事です。
「ヤマトらしさ」というと、色々なものが挙げられると思います。
ストーリー、キャラクター、メカ、音楽、背景……と、ジャンル分けしただけでも無数の観点がある上に、人それぞれの考え方があるからです。
なので、「ヤマトらしさとは何か」を探究する道のりに終わりはないでしょう。終わりがないからこそ、続けていく価値のある問いなのだと思います。
そこで今日は、『宇宙戦艦ヤマト』を名乗らない作品でありながら「ヤマトらしい」と語られる映画『バトルシップ』(2012年、監督:ピーター・バーグ)を起点に、先日来の「二つの軸」を織り交ぜて、考えていきます。
〇「ヤマトらしい」映画『バトルシップ』
最近では、鳥取県の旧マスク工場再稼働のニュースで再び脚光を浴びている(マスク バトルシップ - Twitter Search)映画『バトルシップ』。一部からは、このニュースを見て「ヤマトっぽい」と考える声もあります(マスク工場 ヤマト - Twitter Search)。
これは、ある意味当然だと言えます。何故なら、映画『バトルシップ』自体が、「ヤマトっぽい」「ヤマトらしい」と評される映画だからです。
これについては、Twitter検索「バトルシップ 宇宙戦艦ヤマト - Twitter Search」の項を見るのもいいのですが、朝日新聞の小原篤さんのレビューを見てみましょう。
小原さんは、映画『バトルシップ』を「まごうことなき真正のヤマト魂があふれて」いると評します。
小原さんのレビューは、あらすじも『宇宙戦艦ヤマト』に即してよく整理されていますので、映画『バトルシップ』をご覧になっていない方も理解していただけると思います。非常に乱雑に言うと、地球が異星人の攻撃を受けて米軍大ピンチ(自衛隊も出てきますが)。艦隊が壊滅する中、記念艦として保存されていたミズーリを再稼働させて、異星人の攻撃を食い止めてエンド。こんな感じの映画です*1。
注目すべきなのは、このような映画の展開を小原さんが「俺たちにはまだバトルシップがある!」と表現したことでしょう。元ネタは、皆さんもよくご存じのはず。
〇『宇宙戦艦ヤマト』における「バトルシップっぽさ」
子供:ねぇ、ヤマトはどうしたの? ヤマトが来たら、あーんなのやっつけてくれるよね! ね!
父親:ヤマト?
群衆:(ざわつく)
男1:そうだ、我々にはまだ、ヤマトがあるぞ!
男2:ヤマトだ!
男3:ヤマトはどこだ! 我々のヤマトは!
群衆:ヤマト! ヤマト!
これはあまりにも有名な『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』のワンシーンです。
アンドロメダをはじめとする新・地球防衛軍艦隊が完成する時代の流れに取り残され、一度は記念艦扱いとなることが決まっていた「宇宙戦艦ヤマト」は、この時、人類最後の希望として復活します。小原さんが『バトルシップ』の展開を『さらば』になぞらえたのも、不思議ではありません。
ですが、『宇宙戦艦ヤマト』がこのような構図をとったのはこの時だけではありません。次の引用を見てみましょう。
ナレーション:一体、14万8千光年という、気の遠くなるような長い旅路に耐えられる宇宙船は、地球にあるのだろうか。そうだ、ヤマト(大和)しかない。だがヤマト(大和)は、260年の眠りから、未だに覚めない。それでも放射能は、刻々と地球を侵し続けている。人類絶滅まで、あと一年もかからないだろう。
これは、旧作第一作である『宇宙戦艦ヤマト』(以下、シリーズとしての『宇宙戦艦ヤマト』と区別して『ヤマト』と略称)のナレーションです。その後『ヤマト』では、沖田が古代に対して語る、という形式のもと、戦艦大和の沈没に至る回想シーンが描かれます。そして、宇宙戦艦ヤマトは発進します。
沈没戦艦として260年もの間眠っていた戦艦大和が「宇宙戦艦ヤマト」として、人類最後の希望として復活する。『ヤマト』はそんな構図をとっていたことが分かります。
これもまた、映画『バトルシップ』がとった構成とよく似ています。小原さんも「老朽戦艦をよみがえらせて宇宙人と戦う」構図が『ヤマト』と同じだと指摘していますね。
〇『宇宙戦艦ヤマト』復権のヒントとなるか
『宇宙戦艦ヤマト』シリーズの第一作『ヤマト』と第二作『さらば』は、今でも普遍的な人気を博し、後世に多大な影響を残す作品となりました。そして、「宇宙戦艦ヤマト」という存在に注目すれば、この二作品は同じ「ヤマト(大和)の復活物語」という「軸」をもっていました。
そして、これと同じ構図をもっている『バトルシップ』(「ミズーリの復活物語」)が「ヤマトらしい」と評価されていながら、『ヤマト2』以降の作品では、その「ヤマトらしさ」(老朽戦艦の復活劇)が『宇宙戦艦ヤマト』に十分に盛り込まれていない現実があります*2。
これを、我々はどう受け止めるべきでしょうか。
『宇宙戦艦ヤマト』復権のヒントが、ここにあるような気がしてなりません。
〇『2202』の勿体なさ
その点からすれば、やはり「『さらば』のリメイク」だった『宇宙戦艦ヤマト2202』が「宇宙戦艦《ヤマト》の復活物語」を採用しなかったことは解せませんし、勿体ないと言わざるを得ません。
『宇宙戦艦ヤマト2199』の場合は、現代において「戦艦大和の復活物語」を盛り込むことが難しい上、そのメリットにも乏しいという現実がありました。
もちろん、『2202』にも「宇宙戦艦《ヤマト》の復活物語」を採用し難かった事情はあります。それは、古代進を精神的に(『2202』が)揺さぶるために「波動砲を再装備する」ことが必要だったということです。「波動砲を再装備する」のですから、旧作『さらば』のように軍を除籍することはできません。その事情は理解できます。
古代進を精神的に揺さぶる構成をとった『2202』は、『さらば』の古代進の深層心理を分析した上で、新しい構図のもと”旧作と同じ結末になるように”古代進を導いた試みだとも言えます。ですから、『2202』に意義がないわけではありません。福井さん独自の『さらば』解釈を提示することで、私たちの『さらば』認識を問い直す大きな契機を生みだしてくれました。
ですが、どこかに「ヤマトらしさ」が欠けていたような気がするとすれば、それこそが「宇宙戦艦《ヤマト》の復活物語」なのかもしれません。
私としては、福井さんが本気で描く「宇宙戦艦《ヤマト》の物語」も見てみたいと思います。『2205』がどのような「物語」になるかは分かりませんが、今の時代に「宇宙戦艦《ヤマト》の復活物語」を描くならば、どんな「物語」になるのでしょうか。
この試みは、シリーズの最盛期を飾った『ヤマト』『さらば』の魅力に向き合うだけでなく、『復活篇』や『2202』が取りこぼしてしまったチャンスを拾い直すことにも繋がります。
映画『バトルシップ』に存在した「ヤマトらしさ」。
これを再話する意味は、十分にあると考えます。