こんにちは。ymtetcです。
『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』の新キャラクターだったクラウス・キーマンは、旧作『さらば』における真田志郎の代替品として生みだされたキャラクターです。
『さらば』における真田の死がもたらした古代進の喪失感、観客の喪失感を再現するために福井さんが行った「キャラを育てて、育てて、殺す」という手法は、『2202』スタッフの岡秀樹さん(脚本)の怒りも買ってしまうほどの”劇薬”でした。
岡 (略)その話を聞いた瞬間、血管切れそうになりましたね。「キャラクターは殺すために生みだすものじゃねぇ!」と会議テーブルを飛び越して殴りかかりそうになった。(略)
福井 鈍感なので、その殺気を自分は関知できず(笑)。
(「対談・インタビュー 福井晴敏×岡秀樹」『シナリオ編』347頁。)
このように「死ぬために」生まれたキャラクターとしての側面が強かったキーマンという存在。ですが、「リメイク・ヤマト」シリーズ全体を見渡した上ではどうでしょうか。
キーマンは、「死ぬ」こと以外にどのような役割を果たしたのでしょうか。
私は、『2202』におけるクラウス・キーマンは、「リメイク・ヤマト」の次回作以降に向けて、アベルト・デスラーと古代進を違和感なく繋ぐための存在だったと考えます。
デスラーと古代の友情
旧作『宇宙戦艦ヤマト』シリーズの後期作品で、ひとつの人気要素となっているのが「デスラーと古代の友情」です。
『新たなる旅立ち』から『ヤマトⅢ(ヤマト3)』、そして『完結編』まで「デスラーと古代の友情」の要素が作品に取り込まれ、今なお根強い人気を誇っています。
ですが、『2199』がそのままリメイクしたように、『宇宙戦艦ヤマト』第一作においては「デスラーと古代の友情」という要素はありません。
「デスラーと古代の友情」の起点となった作品こそ、『2202』の原作のひとつである『宇宙戦艦ヤマト2』でした。
第23話「宿命の対決!」から第24話「死闘 二人の勇士!」に至る「デスラーと古代の対決」が、「デスラーと古代の友情」の前振りとなっているのです。
『宇宙戦艦ヤマト2』第24話「死闘 二人の勇士!」では、瀕死の負傷を負って倒れた古代の元に森雪が駆け寄り、雪は古代の銃をデスラーに向けるという行動にまで出ます。これらを見たデスラーは、銃を下ろしてこう語ります。
デスラー:今私は見た。地球のために、命をかけているお前たちの姿をな。しかも、今お前たちが見せたものは何だ……? ガミラスのためとはいえ、これまで私は、破壊と暴力にのみひたすら美しさを求めて生きてきた。私は、孤独だった……。私の目には、愛する者の姿が映らなかった……。
そして、こう続けます。
デスラー:確かに私はヤマトに勝った。しかし今、私は、この身を彗星帝国に寄せていたことが恥ずかしい。侵略と略奪に明け暮れる彼等に比べれば私の心は……私の心は遥かに地球人類に近い。もう、ヤマトへの恨みは消えた。
その後デスラーは、都市帝国攻略のヒントを古代に授けて「さらばだ、いつの日かまた会おう」と言って去ります。
旧作において重要なのは、森雪が果たした役割です。古代を守ろうとする雪の行動が、デスラーの心に大きな影響を与えているのです。
しかし、「リメイク・ヤマト」ではどうでしょうか。実は、デスラーと雪は『2199』完結時点で面識があります。第25話で「偽りの姫君」と呼んでいましたよね。
すなわち、古代とデスラーを結びつける上で、「リメイク・ヤマト」の森雪は少し扱いにくいのです。では、どうやって古代とデスラーを結びつけるのか。
ランハルト・デスラー
そこで、旧作の森雪に代わる役割を果たしていくのがクラウス・キーマン、またの名をランハルト・デスラーというわけです。
アベルトの甥であり、古代の良き友(?)となっていくクラウス・キーマンは、デスラーにとっては古代を、古代にとってはデスラーをより強く意識させるための存在として描かれました。その結果、ついに第23話では、
デスラー:古代に伝えてくれ。我がノイ・デウスーラが、トランジット波動砲のエネルギー輻射から、ヤマトを守ってくれよう。このまま行け。
(略)
デスラー:(ヤマトを見つめて)なぜ戦った……なぜ愛し合おうとしなかったのだ……。
と古代進を名指しして都市帝国攻略の手助けをし、「もうヤマトへの恨みは消えた」に対応する言葉「なぜ戦った」をこぼします。
『2202』で「宿命の対決」は、ランハルトとアベルトの対決に置き換えられました。また、キーマンと古代が友情じみたものを育んだという意味で、「デスラーと古代の友情」が「(ランハルト)デスラーと古代の友情」に置き換わったような感も否めません。この点に、「デスラーと古代の友情」ファンが不満だったということも理解できます。
ですが、事実として第23話ラストでは、デスラーが旧作『ヤマト2』と全く同じ構図、同じような意味合いのセリフを古代進に対して、宇宙戦艦ヤマトに対して発します。そしてキーマンは、このささやかな旧作リメイクを違和感なく演出する、という役割を果たしているのです。
もちろん、『2202』とは違うやり方で、『2199』を踏まえた上で旧作『ヤマト2』の古代とデスラーの対決を再現するやり方も(それだけを目的とするならば)存在していたでしょう。ですが、キーマンは真田の代替品としての役割もあり、なおかつ『2199』の”狂った独裁者”からの「デスラーの復権」を行うためのドラマとも連動したキャラクターです。キーマンの存在を前提とすれば、私は彼がデスラーに取って代わる存在ではなく、デスラーを引き立て、古代とデスラーをつなぐ役割を果たしていると考えます。
結果、『2205』が旧作同様の「デスラーと古代の友情」を描いたとしても、ある程度は違和感なく二人のドラマを盛り上げることができます。
『2202』の「宿命の対決」は、「リメイク・ヤマト」版の「デスラーと古代の友情」の前振りになっていると解釈することもできるのではないでしょうか。