ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

”パート2”としての『さらば宇宙戦艦ヤマト』と『ヤマト2202』

こんにちは。ymtetcです。

早速ですが、問題です。

「前作で古代は正論を言ったが、それはむずかしいこと」

この言葉は、誰の言葉でしょうか?

 

 

 

 

正解は、西﨑義展さん(以下、西崎さん)です。

直接引用をするとクイズにならないので、少し改変して出してみました。あとできちんと直接引用をします。

さて、この言葉が西崎さんのものだと、分かった方もいらっしゃると思います。あるいは、誰の言葉か分からなかったという方が多いかも(情報少なすぎですし)。

ですが、一部にはこう思った方もいらっしゃるのではないか、と踏んでいます。

「福井さんの言葉?」と。

実は、「『さらば』のリメイク」である『ヤマト2202』に向けた福井晴敏さん(同作のシリーズ構成)のアプローチは、この西崎さんの言葉とそっくりなんですね。

どういうことか、見ていきましょう。

そもそも西崎さんは、なぜ『宇宙戦艦ヤマト』の続編として『さらば宇宙戦艦ヤマト』を作ったのでしょうか。

西崎さんは当時、名古屋で開催された「ファン交流会」でこう述べていました。

パート2をぜひつくってほしいという要望がたくさんありましたが、逆にパート1のイメージがくずれるから、つくってほしくないという希望もたいへん多かったんです。で、事実、ぼくもあまりつくる気はありませんでした。理由は2つです。ひとつは、古代進の人間としての成長ドラマは、パート1でもう描ききっているし、さらに、最後にだいじなのは戦うことでなく愛することだということも言っちゃっている。この2点で、もうパート2はつくる必要がないと考えていたわけです。

(「西崎プロデューサー ヤマト2を語る!!」『ロマンアルバム DELUXE アニメージュ増刊 さらば宇宙戦艦ヤマト徳間書店、1978年9月、90頁。以下『ロマンアルバム さらば』とする。)

さらに、こう続きます。

それを、なぜつくる気になったかというと、ある日、突然、ヤマトの最期を描いてみたいという気持ちが猛烈に起きてきたんです。銀河系のかなたに、静かに美しく消え去っていくヤマト。そういうイメージが浮かんできて、では、これにひとつテーマをくっつけて、もう一度つくってみようかと決心したわけです。

(同上、90頁。)

ちなみに、この時点で既に『2202』との共通点が見出せます。

少し話を脱線させますが、

 ● 最初の頃は毎週金曜に集まって企画の方向性に関してざっくばらんに話していたと思います。3回目の時に全26話の構成を話し合ったんですが、その場で羽原監督から「ラストシーンの光景」についてイメージの開陳がありました。(略)その日のミーティング後、福井さんと居酒屋にこもって「羽原監督のイメージするラストの画にたどり着くお話しの流れ」を話し合ったんです。(略)そこで一つの結論が得られ、福井さんが本格的に航路図を書かれ始めた。(略)5ヵ月くらいの間に福井さんは最終回までの流れを完全に書き上げられました。

SPECIAL┃宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち

『さらば』も『2202』も、ラストシーンのイメージから全体の構成が始まったのですね。

 

さて、話を「なぜ西崎さんは『さらば』を作ったのか?」に戻しましょう。

ラストシーンのイメージが先行し、これに新たにテーマを付け加えることにした西崎さん(たち)は、あるひとつの答えに辿り着きます。

それこそが、『さらば』の要である「」です。

前作で愛というものが最後にでてきたけれど、非常に抽象的にしか描かれていない。これに対して、いわゆる定義づけをしよう。そう考えたんです。つまり、人間は戦うべきではなく愛すべきだといっても、それはあくまで理想です。じゃあ、この理想を夢見ていくのであれば、それに対して、いま、われわれは何をしなければならないかということですね。

(『ロマンアルバム さらば』90頁。)

また、西崎さんはこういう言い方もしています。

前作で古代は、戦えば必ず負けるものが出る、戦いはいけないことだ、愛することが大切だといいました。それは確かに正論ですが、進化の未熟な段階の人間には、それはむずかしいと思います。やはり私たちは、いまできることをして行かなければならない。他人に犠牲を強いるような生存競争は控え、平和や愛を犯すものには断固戦う、ということの正当性を訴えてみたわけです。

(「MESSAGE FROM PRODUCER」『ロマンアルバム さらば』前そで部分。)

「人間は戦うべきではなく愛すべき」だという理想、その理想「に対して、いま、われわれは何をしなければならないかということ」。

私としては、ここに「現実の中で」という言葉を加えたいところです。”人間は戦うべきでなく愛すべきだという理想に対して、いまわれわれは現実の中で何をしなければならないか”。

これを語るために、『さらば』は生みだされたと言えます。すなわち『さらば』は、パート1で語られた「理想」に対し、現実の中で何をしなければならないか。それをパート2の『宇宙戦艦ヤマト』として、語った作品なのです。

そこで当時導き出された答えが、「平和や愛を犯すものには断固戦う」というメッセージだったわけですね。

今回の記事で私が何を言いたいのかは、だいぶこれではっきりとしてきたと思います。

 

なんといってもこの構図、『2202』のシナリオにそっくりなんです。

これまで、私は拙いながら「『2202』は古代進の理想を肯定する物語なんだ」と主張してきました*1

さらにシナリオを読んでいくと、その古代進にとっての理想とは『2199』が語ったテーマそのものなのではないか、とも言えそうなことが分かりました*2

すなわち、

『さらば』は、パート1で掲げられた「理想」を、現実の中でどう実行していくかを描く物語

『2202』は、パート1(『2199』)で掲げられた「理想」に過酷な現実を突きつけながらも、最後にささやかな希望を描いて、「理想」を肯定する物語

どちらの作品も前作で登場した「理想」が現実の中では簡単に実現しないことを踏まえ、「理想と現実の(間の)葛藤」を描いた作品だと言えます。

こうして見た時に、『さらば宇宙戦艦ヤマト』と『宇宙戦艦ヤマト2202』は、「物語」の位置付けとしては、どちらもシリーズの”パート2”と呼ぶに相応しいものなのではないでしょうか*3

ただし、ここから分かるように、『さらば』と『2202』の「理想」に対するアプローチに若干の違いもあります。

これについては話が長くなりそうなので、次回の記事でたっぷり考えてみたいと思います。26日の記事をよろしくお願いします。

*1:【ヤマト2202】最終話は絶対に必要なんです - ymtetcのブログ

*2:【ヤマト2202】古代進は『ヤマト2199』そのもの - ymtetcのブログ 及び「シナリオを読む」第三話

*3:パート1のイメージが崩れる、という歴史を『2202』がなぞっているのも興味深い点です。