こんにちは。ymtetcです。
先日6月10日に始まった『宇宙戦艦ヤマトNEXT スターブレイザーズΛ』。
せっかくなので、第2話も追ってみましょう。
今回も、問いは「第2話として、どう評価するか」にしておきます。
アニメーション作品であれば、第2話はある程度中心キャラクターを揃えて、主人公について若干掘り下げつつ、物語の軸となる枠組みを提示する(しない場合もあります)。これをどう構成しているか、という点が評価の対象になっていくのですが、コミックはどう見るべきなんでしょうね。
最近流行りの『鬼滅の刃』(アニメーション)を観ると割と焦らず物語を展開していくイメージを抱きましたが、あれがコミック原作である故ならば、コミックである本作も焦らずに進めていくのか。私としては、この辺りも勉強になりそうです。
さて、結論から言えば、この第2話も非常に質が高く、「ほぼパーフェクトな第2話」だと感じました。
第1話と同時公開であることを想定してか、非常にテンポよく物語が展開していく。そして物語の軸となる枠組み(今後も繰り返されるであろうセイレーネスとの戦い)、”戦闘観”のようなものを提示する。この辺りは、アニメーションを観ている感覚にとても近いものがありました。セリフの言葉遣いやディテール含めて、このままアニメーション化することも不可能ではないと感じます。
では、もう少しゆったり見ていきましょう。
第2話はまず、国連宇宙軍艦隊がセイレーネスに圧倒されるシーンから始まります。『宇宙戦艦ヤマト』『宇宙戦艦ヤマト2199』を彷彿とさせますね。
それを横目に見てか見ないでか、ジョーンズは司令部にトップネス(専属搭乗者)を集めて出撃を命じます。
ジョーンズ司令はアビー・ヤンや他のトップネス(専属搭乗者)たちの反対論を退け、ユウ・ヤマトにも出撃を命じました。ここでユウは、自ら望んで出撃を決めます。
その動機は、母親です。
そして、ユウのこんな過去が明かされます。
ユウ:こんな人 ママじゃない! オレは10億人を殺した悪魔の子供なんかじゃない!
前話でも登場した、6年前のセイレーネス出現に関する「ディヤウス原因説」(と、それを支持する人々)が、ディヤウスの研究主任だったユウの母親を「悪魔」と見なしていることが分かります。
ユウの祖母(?):ユウ…ママのことを信じてあげて… あなたが信じてあげなかったら一体誰が信じてくれるの…?
この回想シーン、あるいは、
ユウ:ママの命を奪った…お前らを──絶対許さない!
というセリフからして、ユウが出撃した目的は母の仇討ちにあるようです。
吾嬬先生の制作メモにも、そんな記述がありますね。
スターブレイザーΛ第1話、第2話制作メモ|吾嬬竜孝|pixivFANBOX
ただ、セイレーネスを仮に打倒しても、第1話で明かされた、ユウの地球の人々に対する恨みは消えません。そのことを考えると、母親の復讐といっても単にセイレーネスを倒すだけではなく、あるいはそれ以上に、セイレーネスの正体を解き明かし6年前の真相を解き明かすこと、そうして地球の人々が奪っていった母親の名誉を取り戻すこともまた、ユウの目的になっていくように思います(これも一つの「仇討ち」になります)。
この辺りが整理されただけでも、この第2話は第2話として「ほぼパーフェクト」であると評価できそうです。
そして、今回はそれに加えて、本作の一つの軸となる戦闘スタイルも提示されました。
- マーク1(ニーナ・ネルソン):セカンドサイト(ドローン)を飛ばし リアルタイムで戦場の情報収集及び戦術をプロデュースする艦隊の司令塔
- マーク2(レイン・ミズーリ):艦隊最速の機動を誇るスピードスター 最前線で展開し奇襲を得意とするアタッカー
- マーク3(ヒューゴー・リシュリュー):レインと共に最前線で戦う 金属水素を噴射するドローンを駆使し 摩擦により発生する電流で目標を爆砕するフランカー
- マーク4(マリナ・フレーザー):アタッカー陣と共に戦う前線の盾 大輪の氷花、フロストアスターは 攻撃を一時的に防ぎ目標群を分断する
- マーク5(アイシャ・メジディエ):3Dプリンタ砲でダメージを受けた戦艦の応急処置を行う戦場の女神
- マーク6(ユウ・ヤマト):戦艦最強の火力を誇る後衛アタッカー 一撃必殺の波動砲で戦闘を終結させるエクスターミネータ―
- マーク7(リンネ・アイギス):セイレーネスの「歌」を無効化する
現時点でこの7隻からなるナーフディスの面々が、第2話ではそれぞれの役割を活かしながら戦いを繰り広げます。
戦闘が始まって、まず動いたのはマリナのマーク4でした。
マリナのマーク4がまず見せたのが、フロストアスター。「あの船クラウドコントロールなのか!」というセリフが劇中ありますが、ちなみに「クラウドコントロール」について調べると、
複数の敵を相手にするとき、多数の敵を無力化して味方戦力を1体に集中して各個撃破する戦術、特に「無力化する」部分を指して使われるようだ。
と出ています。本作ではマリナのフロストアスターによって敵を分断し、ナーフディスの攻撃目標をまず「アンサンブルブラボー」に集中させている描写がありますね。
そして、レインのマーク2がその機動力を生かして敵に接近し、「アンサンブル」の一体を落とします。その隙を突いて(?)、ヒューゴーが「アンサンブル」の残り二体を倒す。いわゆる「ヒーラー」の役割を担うアイシャのマーク5は、ユウのマーク6が窮地に陥った際に出番が訪れています。
最後に見せ場を得たのが、何と言っても主人公ユウ・ヤマトのマーク6。
武器は波動砲です。
ですが、ユウはセイレーネスの「歌」に苦戦し、一時ユウは自殺行為に出るほど。
そこでセイレーネスの「歌」を無効化する盾として出撃する(厳密には出撃させられる)のが、リンネのマーク7、でしたね。
リンネの力添えにより、ユウの波動砲が最後の一体「アリア」を倒して、今回の戦闘は一応、ナーフディス側の勝利に終わります。
先ほど「そのままアニメーション化できそう」と申しましたが、こちらの戦闘シーンに関しては「そのままゲーム化できそう」な組み立て方がされていました。役割分担がはっきりとして、各々が必殺技のようなアビリティを持っている。極めてゲーム的です。
21世紀のコミックだなと思いつつ、この要素が今後どのような役割を果たしていくのか。注目していきたいと思います。
最後は、ナーフディス司令官”カルロス・ジョーンズ”の意味深すぎるセリフを見てみましょう。
業(カルマ)の子 アルジュナたるユウ・ヤマト──
その守護者たるヴィシュヌの化身(アヴァターラ) リンネ・アイギス──
我々を法(ダルマ)から解き放ち この宇宙のすべての魂に救済を──
まずここから、ユウとリンネが”ニコイチ”的存在であること、そして、カルロスが二人の力を利用して何らかの大きなミッションを実現しようとしていることが分かります。
吾嬬先生の制作メモには、
今後もジョーンズが所属する裏の組織vsリンネのパワーゲームが続きます。
という今後の展開を予期させる一文がありますね。
恐らく今後、本作ではカルロスが何らかの「裏の組織」に所属していることは隠されず、それを読者と共有した上で、カルロスとリンネの戦いを描いていくのでしょう。
制作メモにもあるようにリンネはマーク7に乗りたくないわけで、とすれば、乗りたくない理由と背景がそこにあります。一方で、カルロスは乗せたい。自分の成し遂げたいことに、それが必要だからですね。
リンネが一貫してそれを拒否することも可能ではあるのですが、今回はそれができない状況でした。ですから吾嬬先生が明かしておられるように、カルロス・ジョーンズとリンネ・アイギスの戦いは、今回はカルロスの勝利に終わったということです。
カルロス・ジョーンズとは何者で、何が目的か。リンネ・アイギスとは何者で(只者ではないらしい描写が第1話第2話に満載でしたね)、何が目的か。そして、そこにユウ・ヤマトがどんな立ち位置でいるのか。場合によっては、カルロスが成し遂げたい大きなミッションと、ユウが成し遂げたい個人的なミッションが奇妙に符合することで、ユウとリンネの間に葛藤が生じることもあり得るでしょうか。
いずれにせよ、この三者のドラマが、一つ本作の中核になってくるでしょう。
このようにして、第2話では、この作品のドラマを長期的に楽しんでいく上での軸のようなものが提示されているように思います。
また、「木星圏に出現するセイレーネスを迎え撃つ」という枠組みが本作の物語進行面での軸となるならば(『宇宙戦艦ヤマト』でいえば「イスカンダルへの旅をする」にあたる物語進行面での軸)、その意味でも、本作を特徴づけるものが明かされたと言えます。
何より、この物語を思想面から支えるインド哲学の用語も最後に登場しましたからね。
業(カルマ)の子 アルジュナたるユウ・ヤマト──
その守護者たるヴィシュヌの化身(アヴァターラ) リンネ・アイギス──
我々を法(ダルマ)から解き放ち この宇宙のすべての魂に救済を──
- カルマ(業):結果をもたらす力を持つとされる行為。
- アルジュナ:インドの大叙事詩『マハーバーラタ』に登場する英雄。有名な『バガバッド・ギーター』は、彼に対するクリシュナ(ビシュヌ神の権化)の教えである*1。
- ヴィシュヌ:ヒンドゥー教三神の一つ。リグ‐ヴェーダでは太陽の活動を象徴、のち宇宙維持・世界救済の神となる。
- アヴァターラ:不死の存在、または究極に至上な存在の「化身」「権現」(肉体の現れ)である*2。
- 輪廻(りんね):因果応報・自業自得によって、ある生活における行為が積み重なって業(カルマ)となり、それが原因となって次の生活の形や運命を決める。
- ダルマ(法):インド思想の概念で、宗教・倫理・法律・慣習など人びとが守るべき規範を指す。
まぁこれらは単なるコピー&ペーストにすぎませんが、思想的には、一つの宇宙論で本作が貫かれていると言えそうです。
『宇宙戦艦ヤマト』ファンにインド哲学に詳しい方がいらっしゃるのかどうかは分かりませんが、もしいらっしゃるのであれば、ぜひ解説を聞いてみたいものですね。
さて、結論は「ほぼパーフェクトな第2話である」でした。
なぜ「ほぼパーフェクト」なのかというと、本作の世界観や枠組みが十分に、ドラマの中で説明されているからです。それも説明説明という退屈なものではなく、テンポよく展開していく戦闘を通じて紹介されているのですから、第2話として「パーフェクト」に近いと言えます。
では、例によって最後は『宇宙戦艦ヤマト』の文脈から一言。
私にとって本作は、近年の『宇宙戦艦ヤマト』では唯一無二の感情を抱かせてくれる作品だと感じています。というのも本作は
「21世紀になって初めて、心配をせずに見ていられる『宇宙戦艦ヤマト』」
なんです(笑)。
『復活篇』はともかく、『実写版』も『2199』も『2202』も、まぁ観ている間は心配が絶えませんでした。「この後どうなる?」「この展開大丈夫か?」「作画大丈夫?」「これ批判されない?」とか。楽しみ半分ヒヤヒヤ半分ですよね。
その点本作は、すごく安心ができます。
『鉄腕アダム』は未読なのでまだ何も言えませんが、全4巻で完結してなおかつ評価が高い、という『鉄腕アダム』における吾嬬先生の実績は、これ以上ない説得力を持っています。
この『Λ』を読むかぎり、作品全体をコントロールしてそこに一つ一つのドラマを位置づけていく、という作業を非常に丁寧に行っている方なのかな、と個人的には感じているところです。
結果的に面白いかどうか、結果的に人気作となるかどうかは私にはまだ判断できませんが、本作は一本筋の通った骨太な作品になっていくでしょうね。
第3話も楽しみに待ちたいと思います。