こんにちは。ymtetcです。
記事にするかどうかは自信がありませんが、『鉄腕アダム』を買いました。冒頭部を読む限り、『スターブレイザーズΛ』が”鉄腕アダム2”だというのも何となく理解できますね。まずは楽しんで読みたいと思います。
さて、福井晴敏インタビューを通じて”『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』とは何だったのか?”を考えるシリーズ、第三弾です。
ここまでの内容は未整理ですが、列挙しておくと、
- 『さらば』が訴えていたものを「解体」し、時代的な違いを反映させた作品。
- 愛をヒューマニズム(人間性)として描き、肯定した作品。
- 「戦艦なのに反戦」という「矛盾」を「真正面から受け止めた」作品*1。
- 「人が生きていく中で、誰もが経験すること」を描いた作品。
- 「生きていく上で」の「辛いこと」を「ぶちまけて共有」する作品。
- 「自分たちの中の古代進と向き合って」「意思疎通」する作品。
- 「失いたくない」「と思える何かに出会えた」という「幸せ」を描く作品。
- 「力の論理」が「ぶつかり合った」「バカバカ」しさを描く作品。
- 「『さらば』のリメイク」を筆頭としたお題に100%答えた作品。
この9点を現状、読み取っています。
これを受けて、今日読んでいく記事はこちらです。
前回同様、gigazine様の記事ですね。第一章の前に出されたということで、まだ福井さんのファッションにも緊張感が見られます。最終章近くになってくると、もうUAのヤマト関連アイテムかご自身の面白Tシャツを着ておられますからね(笑)。
では、参りましょう。今回は”引用なし縛り”で進めていきます。
- 『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』とは、『宇宙戦艦ヤマト2199』が逃した「潜在顧客」を掘り起こしていく作品である。
まず福井さんは、『さらば』の観客動員数が400万人だったことを引き合いに出して、『宇宙戦艦ヤマト』には、『宇宙戦艦ヤマト2199』が掘り起こした以上の「潜在顧客」がいる、そして『2202』はそれを掘り起こしていく、と述べます。商業的な観点から『2202』の位置づけを語っているわけです。
また記事の中盤で、こうも述べています。『ガンダムUC』は190万本売れた、『2199』は50万本だった、でも、かつての『ガンダム』は『ヤマト』に数字上及ばなかった。つまり『ヤマト』の「潜在顧客」は『ガンダム』よりも多いのだ、と。
結果が出てしまった後にこの言葉を見ると非常に残念な気持ちにもなりますが、それでも、この考え方は面白いと考えています。あくまで”今を生きる人たち”、と、広く対象を定めて売っていくというやり方ですよね。
これは『宇宙戦艦ヤマト』の普遍性を問い直すことであり、”なぜかつて『宇宙戦艦ヤマト』はブームを巻き起こしたのか?”を考えることでもあります。実験的な意味でも、そのチャレンジ精神は買いたいと思っています。
これも先ほどと同じ発想です。
福井さんは『2202』の製作にあたって、ヤマトの「真の復権」という概念を提起しました。その「真の復権」とは何か、という文脈のなかで、これが語られています。「真の復権」とは、かつて『宇宙戦艦ヤマト』が巻き起こした「社会現象」を越えること。それを果たしてこそ「復権」なのだ、と福井さんは述べるわけです。単なるシリーズ上の『復活』でもなく、単なるコンテンツ的な「復活」でもない、社会現象としての『宇宙戦艦ヤマト』を取り戻すという意味での「真の復権」。これを『2202』が目指していたことが分かります。
- 『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』とは、「愛の戦士たち」という「タイトルに恥じない現在の作品」である。
これは含めるか迷いました。ただ、この後に語っている福井さんの話が面白いです。
福井さんは、『2202』が『愛の戦士たち』ではなく単なる『宇宙戦艦ヤマト2202』だとしたら、それは「『宇宙戦艦ヤマト2199』の8割掛けになっていくだけのこと」だと述べます。これは痛い所を突いています。すなわち、単なる「白色彗星帝国編」ではダメなんだ、と主張しているわけですね。岡さんの「『2199』の続編」案をバッサリ斬ったのも、この発想でしょう。
また、これは別のインタビューで言っていたことですが、そもそも単なる『宇宙戦艦ヤマト2202』(=『2199』の正統続編)を作るなら俺に話は寄こさないだろう、と。開き直りにも見えてしまいますが、福井さんの視点から考えると、これも事実です。”『2199』の続編”がやりたいなら、出渕さんに頼めばいい。俺(福井さん)に”単なる『2199』の続編”を作らせたって、”『2199』の劣化版(8割掛け)”にしかならないよ、と。そういう論理もあると思います。
- 『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』とは、「今いるアニメファン層とは別に、今迷っていることや悩んでいることがある人に向けて、何らかの道筋が見えるような作品」である。
福井さんがストレートに「こんな作品だ」と語っている文章が出てきました。
福井さんがよく語っている、コンテンツの「おかゆ」論ですね。近年のアニメは「つるつる飲めちゃ」うものだけど俺が作りたいのはそうではない、と。「最近のアニメは作品数が多すぎる」という議論もありますが、そこにも通じるものだと思います。そんな近年のアニメーションを愛好するアニメファンに向けて『宇宙戦艦ヤマト』のような硬派な作品を作っても彼らは近寄っては来ないのではないか、と福井さんは言いたいわけです。
私はこの「おかゆ」論は面白いと感じています。というのも、この枠組みは必ずしも世代論ではないんですよね。「今いるアニメファン」と聞くとつい「若者」をイメージしてしまいます(実際福井さんも実例として「若者」を挙げています)が、今のアニメーションの年齢層は10代20代だけで完結してしまうものではなく、30代40代にも広がっています*2。しかも、原作漫画人気を基盤にして10代20代にヒットしている『進撃の巨人』『キングダム』や『鬼滅の刃』などの視聴層は、必ずしも「今いるアニメファン」と同じではありません。
こうして考えた時に一つ言えるのが、どの世代にも「おかゆ」を求める層と、硬派な噛み応えのある作品を求める層の双方が存在しているのではないか、ということです。現在テレビアニメとして毎シーズン展開しているアニメーションを愛好する層がいて、一方で食べ応えのあるアニメーションを求める層もいる。そして、『宇宙戦艦ヤマト』の生存戦略として世代論はひとまず置いておき、この後者の層に売ることを意識する。単純な世代論ではない形でターゲット層を定める意味でも、この枠組みは評価できるものだと私は思います。
- 『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』とは、「思っていた未来と全く違う」状況からどう脱却するかを描きつつ、脱却した先の苦労をも描き、その苦労を乗り越える意味はあったのか? を描く作品である。
ここで躓きました。どういう意味なんでしょうね。
少し考えてみます。「思っていた未来と全く違う」状況は、冒頭第1話~第3話のヤマトクルーに反映されています。ヤマトクルーはその状況に対して反旗を翻して、地球を飛び立った。これを「脱却」としましょうか(微妙)。これを「脱却」とした時、「脱却した先の苦労」とは、波動砲を使ってしまった古代進が抱えた「矛盾」になってくるでしょうか。古代進が苦しんだ矛盾、この苦しみに向きあう意味はどこにあるのか? 戦って失い続ける苦しみに意味はあったのか? これを描く……
と位置づければなんとなく、という感じですかね。
- 『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』とは、当時『さらば』を見た人たちが「どう感じたかということを今風に読み解いて」作った作品である。「『さらば』に触れた人」が、それを「もう一度体験する」作品である。
これは『さらば』が訴えていたものを解体し再構築する、とほぼ同じですね。
まとめ
以上ここまで、gigazine様の福井晴敏インタビューを読んできました。改めて今回読み取ったものを並べると、以下の通りです。
- 『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』とは、『宇宙戦艦ヤマト2199』が逃した「潜在顧客」を掘り起こしていく作品である。
- 『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』とは、『宇宙戦艦ヤマト』が「一度上った高みまで上り詰めて、そこを越え」ることを目指す作品である。
- 『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』とは、「愛の戦士たち」という「タイトルに恥じない現在の作品」である。
- 『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』とは、「今いるアニメファン層とは別に、今迷っていることや悩んでいることがある人に向けて、何らかの道筋が見えるような作品」である。
- 『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』とは、「思っていた未来と全く違う」状況からどう脱却するかを描きつつ、脱却した先の苦労をも描き、その苦労を乗り越える意味はあったのか? を描く作品である。
- 『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』とは、当時『さらば』を見た人たちが「どう感じたかということを今風に読み解いて」作った作品である。「『さらば』に触れた人」が、それを「もう一度体験する」作品である。
では、前回までの整理と重ねてみます。
- 『さらば』が訴えていたものを「解体」し、時代的な違いを反映させた作品。
- 愛をヒューマニズム(人間性)として描き、肯定した作品。
- 「戦艦なのに反戦」という「矛盾」を「真正面から受け止めた」作品。
- 「人が生きていく中で、誰もが経験すること」を描いた作品。
- 「生きていく上で」の「辛いこと」を「ぶちまけて共有」する作品。
- 「自分たちの中の古代進と向き合って」「意思疎通」する作品。
- 「失いたくない」「と思える何かに出会えた」という「幸せ」を描く作品。
- 「力の論理」が「ぶつかり合った」「バカバカ」しさを描く作品。
- 「『さらば』のリメイク」を筆頭としたお題に100%答えた作品。
- 『宇宙戦艦ヤマト2199』が逃した「潜在顧客」を掘り起こしていく作品。
- 『宇宙戦艦ヤマト』が「一度上った高みまで上り詰めて、そこを越え」ることを目指す作品。
- 「愛の戦士たち」という「タイトルに恥じない現在の作品」。
- 「今いるアニメファン層とは別に、今迷っていることや悩んでいることがある人に向けて、何らかの道筋が見えるような作品」。
- 「思っていた未来と全く違う」状況からどう脱却するかを描きつつ、脱却した先の苦労をも描き、その苦労を乗り越える意味はあったのか? を描く作品。
- 当時『さらば』を見た人たちが「どう感じたかということを今風に読み解いて」作った作品。
- 「『さらば』に触れた人」が、それを「もう一度体験する」作品。
そして今日は、これをさらに再整理してみます。
- 『さらば』関連:『さらば』が訴えていたものを「解体」し、時代的な違いを反映させた作品。「『さらば』に触れた人」が、それを「もう一度体験する」作品。「『さらば』のリメイク」を筆頭としたお題に100%答えた作品。当時『さらば』を見た人たちが「どう感じたかということを今風に読み解いて」作った作品。「自分たちの中の古代進と向き合って」「意思疎通」する作品。
- 『愛の戦士たち』関連:愛をヒューマニズム(人間性)として描き、肯定した作品。「愛の戦士たち」という「タイトルに恥じない現在の作品」。
- 『ヤマト』シリーズ関連:「戦艦なのに反戦」という「矛盾」を「真正面から受け止めた」作品。
- 現代日本社会に向けて:「人が生きていく中で、誰もが経験すること」を描いた作品。「生きていく上で」の「辛いこと」を「ぶちまけて共有」する作品。「思っていた未来と全く違う」状況からどう脱却するかを描きつつ、脱却した先の苦労をも描き、その苦労を乗り越える意味はあったのか? を描く作品。「今いるアニメファン層とは別に、今迷っていることや悩んでいることがある人に向けて、何らかの道筋が見えるような作品」。「失いたくない」「と思える何かに出会えた」という「幸せ」を描く作品。
- 商業的観点から:『宇宙戦艦ヤマト2199』が逃した「潜在顧客」を掘り起こしていく作品。『宇宙戦艦ヤマト』が「一度上った高みまで上り詰めて、そこを越え」ることを目指す作品。
- 本編の描写について:「力の論理」が「ぶつかり合った」「バカバカ」しさを描く作品。
暫定的に、こう整理してみました。旧作『さらば』との関連から語っている部分が現代日本社会を語る議論と重なっていたり、商業的観点と重なっていたりしますが、一旦はこのように整理しておきたいと思います。
今回は第一章前のインタビューを読んだということで、理念的な側面から語る内容が多かったと思います。よって、今の段階では「本編の描写について」が少なくなっていますね。
先月FGT2199様が投稿された座談会動画の中で、ゲストの「我が家の地球防衛艦隊」様が”実はシナリオの段階ではAIのドラマは本編ほどの比重を占めていない”というご指摘をされていました。
こんな風に、映像化をしていく段階で福井さんが「これを強調しよう」と考え直したテーマも、いくつか『2202』にはあるものと思います。そのあたりの問題についてもインタビューを読むことを通じて分かればいいな、と考えているところです。
*2:日本におけるアニメ視聴の概況 | eb-i 30代40代も十分「若者」かもしれませんが。