ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

福井晴敏の『ヤマト2202』語り パート4

こんにちは。ymtetcです。

第11話のシナリオを読んでいます。が、これが意外に面白い。伏兵でした。

こちらもいま少し、丁寧に読んでみることにします。

その時間稼ぎというわけではありませんが、引き続き福井晴敏インタビューをさっくり読んでいきます。

さて、さすがの(?)私も、若干『2202』にお腹いっぱいになりつつあるこの頃。

www.oricon.co.jp

『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン』の延期公開日が公表され、いよいよ新作映画も上映開始の雰囲気が漂い始めているようです。

まるで音沙汰のない『2202総集編』『2205』の現状を単なる宣伝戦略によるものなのか、はたまた頓挫の危機と見るかは各々ですが、悲観的な見方が大勢を占める前に、何らかの動きを見せていただきたいところですね。

本日読んでいく記事はこちら。

akiba-souken.com

ヤマトファン御用達(?)のアキバ総研様のインタビューです。

今回は『2202』そのものに対する話よりも、むしろ福井さんと『2202』の関わり合いについて、注目すべき情報が得られたように思います。

  • 宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』とは、福井さんが「最初に思ったものをしっかり形にできた」作品である。

 まずはこちら。福井さんの感想ですね。また、これに続けて、『2202』のラストはおおよそオファーが来た時に想定していたラストになった、と述べています。

 ここでいう「オファー」とは『2199』進行中の最初のコンタクトではなく、おそらく正式に「『さらば』をリメイクしろ。でも主要キャラは殺すな」という注文が付けられた時のことを指すのでしょう。その注文を聞いた福井さんが「『さらば』と同じルートを辿って死を選んでしまうけれど戻ってくる」という方向性のラストを咄嗟に思いついたとすれば、ありそうな話です。

 こうして見ると、『2202』は近年福井さんが携わった作品と同じ俎上に置いて分析することが可能であるように思います。例示するなら、『ガンダムNT』あたりですね。オファーが来てすぐに『2202』的な方向性の結末が頭に浮かんだということは、そもそも福井さんの思想・死生観がそこにあったとみる方が自然だからです。

  • 宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』とは、40年前と今の「違い」という「ストレス」を抱えている「あなたの物語」である。

 福井さんが、ここでいつもの『さらば』解釈を提示します。

 『さらば』のガトランティスとは「力の象徴」であり、「金権主義」の象徴であった。そして『さらば』は、それに「No!」を突きつける日本の若者の戦いを描いた。

 そう福井さんは語ります。

 だけど40年たって、日本はとっくに「力」と「金権主義」に呑み込まれてしまった。今の日本人は、ガトランティスという「力」によって呑み込まれてしまった時代に生きている。だからガトランティスを同じようには描けない。

 こういう論理で、福井さんが『2202』の新設定を構築していったことが分かります。また、ガトランティスと地球の戦いが「力」と「力」の戦いとして描かれた、その思想的背景と言ってもいいかもしれません。

  • 宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』とは、「愛のために人間がどれだけ自分自身を裏切らなくてはいけないか」を描く作品である。

 『2202』の核心に迫る表現が出ています。

 福井さんはこう語ります。

愛というものを知ったがために、本来持っている「正義」であったり、「信念」であったり、人間として理想とするものであったりを、刻一刻裏切りながらでないと、ここまで生きられないのが人間なんですよ、っていうのを描いてきたのがこれまでの話です。

 まさに『2202』の根幹となっているテーマですね。愛する人を守る、国を守るために、自分の心を裏切らなくてはならない。これは古代進や加藤三郎だけではなく、芹沢虎鉄だって、そう描かれていましたよね。最終話で芹沢をああ描いたのは福井さんのアイデアだったと岡さんが語っていたように思いますが、あれはある意味、『2202』が描く『愛の戦士たち』の幅を一気に拡大させた英断だったかもしれません。

 また、福井さんがここで「『愛の戦士たち』というタイトルは皮肉」と語っていることにも注目すべきでしょう。『2202』の何がどう『愛の戦士たち』なのか、という問いは、今まで私も正面きって考えてきたことのなかった問いです。

 この問い、さっくとここに答えを書きたかったのですが、なかなか出てきません。いま少し時間を頂ければと思います。

  • 宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』とは、福井さんが「絵コンテまでは手取り足取り」携わった作品である。

 作品のあり方からうって変わって、話は福井さんと本作の関わり方に移行します。

 『2202』を語る私たちの中では、リアルタイム時から、(私もその一人かもしれませんが) 「脚本善玉論、副監督悪玉論」の論調がありました。つまり「副監督が脚本を台無しにしているのではないか? いや、しているに違いない」という議論ですね。

 アキバ総研様のインタビュアーの方がこれを念頭に置いていたのかは定かではありませんが、福井さんからこの発言を引き出したのは見事です。

 第10話を振り返るシリーズで、絵コンテ段階においてシナリオの魅力が十分反映されていない、という話をしました*1。あの時は、あの量のシナリオを20分にまとめるのは到底無理だということを前提に演出チームの責任は問わず、演出チームに対して的確なサポートができなかった脚本チームの責任を問う形で結論を出しました。

 今回、「絵コンテまで手取り足取り」という言葉が明確に打ち出されたことで、福井さんたち脚本チームの責任は明確になったと考えます。

 さらにもう一つ、注目したいやり取りがあります。

--総じて、大きな破綻みたいなものはなかった感じですか?

 

福井 そうですね。大きな破綻はなかったですが、大きな破綻を回避するために、すごく大変でした(笑)。

「ヤマト2202」最終章について福井晴敏に聞いてみた! - アキバ総研

 「大きな破綻はなかった」という福井さんの発言です。『2202』を厳しく観ている方なら「嘘つけ!」と憤怒しそうな発言ですね(笑)。

 これについていま少し考えてみますと、私も「大きな破綻はなかった」という福井さんの発言には同意します。ただ「大きな破綻を回避するため」か、ぼんやりとした描写で終わらせてしまっている点はたくさん(第9話ラストなど)あるとは思います。

 あるいは、「大きな破綻はなかった」とはいえ、それが本当によい作品をつくることになっていたのかは疑問です。確かに『2202』のシナリオと本編を比べてみると、本編もシナリオのポイントポイントはギリギリのところで回収していますし、だからこそ、物語としてはきちんと成立しています。

 ですが、シナリオにあって本編に決定的に欠けていたものもあったと考えます。

 それが、キャラクターの「人間味」のディテールです。シナリオのキャラクターには、どこか「人間味」があるのですね。

 いくつか例を引いてみましょう。

〇遺跡の内部

石造りの内壁に、無数の壁画が刻まれている。古代たちのかざすライトがそれらを断片的に浮かび上がらせる。

透子「ええ。宇宙考古学って、始まったばかりの学問なんです。少しでも多く実績を積まないと、次のチャンスが……」

古代「わかりますけど、時と場合を考えてもらいたいな」

(「『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』第八話『惑星シュトラバーゼの罠!(仮)』第一稿」『シナリオ編』67頁。)

 「わかりますけど、時と場合を考えてもらいたいな」。

古代「ミサイルだけわいて出るなんて話はないんだ。攻撃方位から敵艦の位置と数を割り出せ。(島に)島――」

島「あれを盾にするか?」

メインパネルを見上げる島。巨大な浮遊岩塊のひとつが大写しになっている。

古代「(頷き)重力干渉に気をつけろ」

島「釈迦に説法ってね(と、操縦桿を引く)」

(「『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』第十一話『デスラーの挑戦! 空洞惑星脱出せよ(仮)』第一稿」『シナリオ編』91頁。)

 「釈迦に説法ってね」。

 どうでしょうか。「古代(島)はそんなこと言わない!」という方もいらっしゃるかもしれませんが、緊張のはりつめた場面に少し緩急をつけてくれる「人間味」がこのシナリオのセリフたちにはあると思いませんか。私はそう思っています。

 『2202』の脚本チームは、一つのセリフでその人のキャラクターを表現するスキルを持っていたと言えます。しかし尺の都合か、こういったセリフはほとんど本編には反映されていません。

 その結果、決してキャラクターたちも破綻してはいないけれど、キャラクターたちが<物語の展開通りに動かされている>ように描写されてしまった、と私は感じます。つまり、キャラクターが生きている感じがしなかったのですね。

 あくまで『2202』は『2199』と違いハードに、という意図もあったのかもしれませんが、リメイクシリーズの観客層は『2199』に愛着を持っている人が少なくありません。緊張感のある場面だからこそキャラクターたちの「人間味」を描く。これはどこか、『2199』的アプローにも見えます。

 『復活篇』も、ディレクターズカット版でキャラクターの「人間味」を追加して好評を得ました。これは『2205』で是非とも取り戻してほしい”雰囲気”ですね。

  • 宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』とは、「40年前の旧作に対して、今の日本はどうなんだ」という作品である。

 これはよく語られていますので、置いておきます。今回のシリーズは福井さんの『2202』観を追っていくものですが、色々な媒体から福井さんの時代観を見ていきたいという野望を今抱いています。福井さんの時代観はきっと『2205』にも通じていますからね。

まとめ

 このシリーズは淡々とまとめていくのが任務だと思っていましたが、どうしても余計なことをたくさん語ってしまいますね(笑)。今はいいのですが、後からまとめ直す時に”あの話いつしたっけ?”と困りそうで不安です。

 さて、今回読み取った点は以下の通りです。

  • 宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』とは、福井さんが「最初に思ったものをしっかり形にできた」作品である。
  • 宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』とは、40年前と今の「違い」という「ストレス」を抱えている「あなたの物語」である。
  • 宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』とは、「愛のために人間がどれだけ自分自身を裏切らなくてはいけないか」を描く作品である。
  • 宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』とは、福井さんが「絵コンテまでは手取り足取り」携わった作品である。
  • 宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』とは、「40年前の旧作に対して、今の日本はどうなんだ」という作品である。

 そして前回、こんな風に整理していました。

  • 『さらば』関連:『さらば』が訴えていたものを「解体」し、時代的な違いを反映させた作品。「『さらば』に触れた人」が、それを「もう一度体験する」作品「『さらば』のリメイク」を筆頭としたお題に100%答えた作品。当時『さらば』を見た人たちが「どう感じたかということを今風に読み解いて」作った作品。「自分たちの中の古代進と向き合って」「意思疎通」する作品
  • 『愛の戦士たち』関連:愛をヒューマニズム人間性)として描き、肯定した作品。「愛の戦士たち」という「タイトルに恥じない現在の作品」。
  • 『ヤマト』シリーズ関連:「戦艦なのに反戦」という「矛盾」を「真正面から受け止めた」作品
  • 現代日本社会に向けて:「人が生きていく中で、誰もが経験すること」を描いた作品。「生きていく上で」の「辛いこと」を「ぶちまけて共有」する作品。「思っていた未来と全く違う」状況からどう脱却するかを描きつつ、脱却した先の苦労をも描き、その苦労を乗り越える意味はあったのか? を描く作品。「今いるアニメファン層とは別に、今迷っていることや悩んでいることがある人に向けて、何らかの道筋が見えるような作品」。「失いたくない」「と思える何かに出会えた」という「幸せ」を描く作品
  • 商業的観点から:『宇宙戦艦ヤマト2199』が逃した「潜在顧客」を掘り起こしていく作品。『宇宙戦艦ヤマト』が「一度上った高みまで上り詰めて、そこを越え」ることを目指す作品
  • 本編の描写について:「力の論理」が「ぶつかり合った」「バカバカ」しさを描く作品

 重ねてみます。

  • 『さらば』関連:『さらば』が訴えていたものを「解体」し、時代的な違いを反映させた作品。「『さらば』に触れた人」が、それを「もう一度体験する」作品「『さらば』のリメイク」を筆頭としたお題に100%答えた作品。当時『さらば』を見た人たちが「どう感じたかということを今風に読み解いて」作った作品。「自分たちの中の古代進と向き合って」「意思疎通」する作品。40年前と今の「違い」という「ストレス」を抱えている「あなたの物語」。「40年前の旧作に対して、今の日本はどうなんだ」という作品
  • 『愛の戦士たち』関連:愛をヒューマニズム人間性)として描き、肯定した作品。「愛の戦士たち」という「タイトルに恥じない現在の作品」。「愛のために人間がどれだけ自分自身を裏切らなくてはいけないか」を描く作品
  • 『ヤマト』シリーズ関連:「戦艦なのに反戦」という「矛盾」を「真正面から受け止めた」作品
  • 現代日本社会に向けて:「人が生きていく中で、誰もが経験すること」を描いた作品。「生きていく上で」の「辛いこと」を「ぶちまけて共有」する作品。「思っていた未来と全く違う」状況からどう脱却するかを描きつつ、脱却した先の苦労をも描き、その苦労を乗り越える意味はあったのか? を描く作品。「今いるアニメファン層とは別に、今迷っていることや悩んでいることがある人に向けて、何らかの道筋が見えるような作品」。「失いたくない」「と思える何かに出会えた」という「幸せ」を描く作品
  • 商業的観点から:『宇宙戦艦ヤマト2199』が逃した「潜在顧客」を掘り起こしていく作品。『宇宙戦艦ヤマト』が「一度上った高みまで上り詰めて、そこを越え」ることを目指す作品
  • 本編の描写について:「力の論理」が「ぶつかり合った」「バカバカ」しさを描く作品
  • 福井さんと作品の関わりについて「最初に思ったものをしっかり形にできた」作品。福井さんが「絵コンテまでは手取り足取り」携わった作品

 こんな風にまとめてみました。最後は新たに追加した部分ですね。

 ひとつ引っかかったのは、福井さんが「愛の戦士たち」を皮肉だと語ったところです。単純に『2202』を「愛を肯定する話」と読み取っていた私ですから、これはもう少し考えてみたいポイントですね。次のテーマになれば、と考えているところです。