ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

『リメイク・ヤマト』は「ヤマトファン」を増やすのか?

こんにちは。ymtetcです。

リメイク版の『宇宙戦艦ヤマト』シリーズ(特に『2199』)は、「新規層を獲得する」という大目標を背負っていたと言ってもいいと思います。それ故に、ファンの間でも「いかにして新規層を獲得するか」との議論が繰り返されてきました。

しかしながら、その「新規層」をいかなる存在として獲得するか”については、必ずしも議論の中心にはなっていませんでした。今日は『ガンダム』シリーズと2016年の映画たちを踏まえつつ、これについて考えてみます。

「ヤマトファンを増やす」のか、そうでないか

「新規層」をいかなる存在として獲得するか。

そもそも、この問い自体が抽象的で分かりにくいと思います。これについては、先に答えの方をお伝えした方が、問いの意味も分かりやすくなると考えます。

私は、二つの答えがあり得ると思っています。それは、

  • 新規層を「ヤマトファンとして」獲得する。
  • 新規層を「一般人として」獲得する。

この二つです。すなわちこの問いは、「新規層」を「ヤマトファンとして」獲得するのか否か、を問うているものだというわけです。

ガンダム』シリーズは「ガンダムファン」を増やしている?

先に申し上げておくと、『ガンダム』シリーズは全くの専門外です。私は『ガンダム』好きに『ヤマト』を散々ディスられた経験がありまして(笑)、そのせいか、どこか『ガンダム』シリーズの作品を敬遠して人生を送ってきました。故にバイアスがかかっている部分と、勉強不足な部分があると思います。この点を予めご理解いただきたく思います。

では私は『ガンダム』を憎たらしく思っているか?というと、そんなことはありません。逆に、羨ましく思いながら過ごしてきました。”なぜ『ヤマト』は『ガンダム』のように息の長いコンテンツになれなかったのだろう”と。

ガンダム』シリーズは、1979年の「ファースト」から今日に至るまで継続的に作品を送り出しています。そして「ファン」の世代交代を着実に推し進めている。羨ましいのも当然ですね。

ですが、『ガンダム』は必ずしも現代において「一般受け」をしているわけではありません。『機動戦士ガンダム』を知っている人は一般に大勢いると思いますが、では彼らが『ガンダム』シリーズの最新作を把握しているかというと、そうではない。むしろ『ガンダム』シリーズは、一定程度の魅力を持つ作品を継続的に送り出すことで

  • 新規層をガンダムファンとして」獲得する。

ことに、世代の垣根を超えて成功しているのではないでしょうか。

「一般受け」した2016年のヒット映画たち

これと対照的なものとして解釈したいのが、度々私がこのブログで引き合いに出している2016年の映画たちです。『君の名は。』『シン・ゴジラ』『この世界の片隅に』、『聲の形*1

いずれも、既存の新海誠ファン・『ゴジラ』ファン・片渕須直ファン・京アニファンの枠を超えたヒット作になった映画だと思います。これらの作品は着実に「新規層」の獲得に成功していると言えるでしょう。

ですが、この映画を観た「新規層」は、果たしてそれぞれの作り手やシリーズの「ファン」になったと言えるでしょうか。私は必ずしもそうは思えません。

当然、ゼロではないけれど……

もちろん、考えていけば色々な考え方はできます。『この世界の片隅に』がヒットしたことで少なからず片渕監督の過去作『マイマイ新子と千年の魔法』が注目されましたし、『聲の形』を観て京都アニメーション制作の他作品へ手を伸ばした人もいるでしょう。そして『君の名は。』を観た観客の多くは『天気の子』も観ているでしょう。あるいはそもそも論として、『シン・ゴジラ』のヒットには既存の庵野秀明ファンの貢献が少なからずある、と考えることもできます。

しかしながら、例えば『君の名は。』を好きになった人が、そこを入り口にして『秒速』や『星を追う子ども』『雲の向こう、約束の場所』などの過去作を愛好するとは少し考えにくいものがあります。『シン・ゴジラ』も同様で、この映画そのものが旧『ゴジラ』シリーズの文脈で高く評価されることはあっても、必ずしも旧『ゴジラ』シリーズの再評価には繋がっていない(特に、最初の『ゴジラ』以外の『ゴジラ』作品への再評価には繋がっていない)と考えます。

2016年に動員された「新規層」は現在、新海誠ファンでも『ゴジラ』ファンでも片淵須直ファンでも京アニファンでもない、ただの「一般人」なのではないでしょうか。

すなわち、これが

  • 新規層を「一般人として」獲得する。

ということなのです。

「いかなる存在として」……このプランによって作品は変わるはず

タイトルの問いにも目を向けてみましょう。

”『リメイク・ヤマト』は「ヤマトファン」を増やすのか?”

さらに言えば、”「ヤマトファン」を増やすために作るのか?”ということです。

同じ「新規層」を獲得するのでも、「ヤマトファン」を増やすために作品を作るのか、そうではなく「一般受け」を狙うのか、では、作品の方向性が微妙に変わってくると考えます。

「ヤマトファン」を増やすために作品を作るのであれば、最初に目を向けるべきなのは既存の「ヤマトファン」です。まずは彼らを満足させなければ、「ヤマトファン」が減ってしまうからです。そして次に、「ヤマトファン」になり得る存在をターゲットとして定める。アニメファンだけでなく、ミリタリーファンやSFファンは「ヤマトファン」と親和性が高そうです。すると作品の向かう道は、「既存のヤマトファン」を満足させながら「新規のヤマトファン」を獲得していく、やや保守的な道になるはずです。

一方で「一般受け」を狙うのであれば、目を向けるべきなのは「ヤマトファン」ではなく、この作品を目にする可能性のある全ての人(当然「ヤマトファン」も含む)、となるでしょう。ただし、中核となる観客層は必要ですから、「ヤマトファン」への目配りは欠かせません。その上で、宇宙戦艦ヤマト』が持つ普遍的な魅力とは何かを追い求めて、ひたすらに「より多くの人が受け入れられる『宇宙戦艦ヤマト』」を目指して、途方もないチャレンジをすることになります。大変困難な道になるはずです。

この二つの道は必ずしも単純に対比できるものではないと思います。ただ、この二つの道のどちらに重点を置くかによって、作品の形は変わってくると考えます。

例えば、「一般受け」を狙うのであれば、必ず予備知識の不要な作品にしなければなりません。一方で「ヤマトファン」を増やすのであれば、そういった細かな配慮よりも、ひたすらに宇宙戦艦ヤマト』の魅力を『宇宙戦艦ヤマト』らしく(時代に合わせつつ)描写して突き進んでいけば充分なわけで、そちらにリソースを使った方がよいのです。

作り手のリソースは限られています。そのリソースをどこに投下するのか。この問題は、具体的にはこの辺りに関わってくると思いますね。