こんにちは。ymtetcです。
今月、9月6日は旧『宇宙戦艦ヤマト』における「ヤマト帰還の日」でした。ネット上で話題になっている様子を目にした方も少なくないのではと思います。
この「ヤマト帰還の日」、『2199』では西暦2199年12月8日に設定されました。旧『宇宙戦艦ヤマト』と違い、『2199』では西暦2199年の間に帰還したわけです。
「ヤマト帰還の日」は、作劇上「沖田艦長の命日」とほぼイコールになります。この『2199』の設定改変は、巡り巡って『さらば』と『2202』の舞台設定の違いにも影響を与えました。『2202』序盤で描かれたクリスマスパーティーや降雪の描写は、『2199』シリーズならではの演出だと言ってもいいでしょう。
さて、この<西暦2199年12月8日>の宇宙戦艦ヤマト帰還。これを私たちはどう見ていけばよいのでしょうか。
「12月8日」という日付は、我々にとっては「単なる365分の1」ではありません。
①3つの見方
「12月8日」のヤマト帰還(と沖田の死)に対しては、『2199』以来三つの見方があったと思います。
一つは、出渕さんの誕生日(12月8日)説。
もう一つは、沖田艦長の誕生日(12月8日)説。
そして、真珠湾攻撃の日(12月8日)説です。
これらは、必ずしも並列されるものではありません。例えば「沖田艦長の誕生日」は空想上のものであるのに対して、他の二つは現実世界に起きた出来事です。ですから、”そもそも、沖田の誕生日が12月8日なのはなぜだろう?”と突き詰めた時、その理由を出渕さんの誕生日や真珠湾攻撃に求めることもできます。
いずれにしても、管見の限り結論は出ていないものと思われます。
②出渕さんの誕生日なら「私物化」に近い
「12月8日」という日付に『2199』が込めたものは、一体何だったのでしょうか。
これを「出渕さんの誕生日」と解釈した上で、肯定的に捉える意見も見たことがありますが、私はそれには同意できません。もし仮に、出渕さんが「自分の誕生日だから」を理由に沖田の誕生日やヤマトの帰還日を「12月8日」と設定したのだとしたら、それは限りなく「私物化」に近いと考えるからです。
無論、『2202』で小林さんが批判を受けた「私物化」とは全く次元の異なる話ではあるのですが、もしも小林さんが同じことを『2202』でやったとすれば炎上の火種になるはずです。
もちろん、個人的な心情としては、出渕さんの『2199』に対する貢献を思えばそれくらいのボーナスがあってもいい、とは思いますが、判断基準が明確化されていない今の段階においては、ダブルスタンダードに陥ってしまいかねません。
とはいっても、出渕さんが自分の誕生日をわざわざ作品に盛り込むとも思えないので、この問題についてはここで話を止めておきましょう。
③あの戦争の始まりと終わり
ここからは、私の勝手な推測です。『2199』にとって「12月8日」とは、出渕さんの誕生日ではなく、真珠湾攻撃の日なのではないでしょうか。なぜなら、『2199』で設定されたキャラクターの誕生日は、どうも「あの戦争」を意識しているように思えるからです。
これは『2202』完結後に発表された、主要キャラクターの誕生日一覧です。
私の記憶が正しければ、『2199』の時点で誕生日が設定されていたのは沖田(12月8日)、森雪(12月24日)、古代(7月7日)、島(8月15日)でした。
森雪の12月24日はよく分からない(クリスマス・イブ?)ので、置いておきます*1。問題は他の二人です。
島の誕生日である「8月15日」。これは終戦記念日として日本では知られています。
12月8日と8月15日。
こうしてフラットに並べれば、太平洋戦争の始まりと終わりの日であることが想起されるはずです(厳密にいえば8月15日は「戦争が終わった日」ではありませんが)。
ですが、それだけではありません。
古代進の誕生日である「7月7日」。これは七夕として知られていますが、7月7日はもう一つ、重大な意味を持つ日付です。1937年の盧溝橋事件です。
盧溝橋事件が直ちに日本と中国(中華民国)の全面戦争に結びついたわけではありませんが、結果的に、全面戦争の端緒にこの事件は位置づけられました。かつては満州事変から含めて「15年戦争」とする呼称が流行ったこともありましたが、日本では現在、日中戦争は「1937年から1945年の戦争」として理解されるのが一般的でしょう。
すなわち、7月7日と8月15日を並べると、これは日中戦争の始まりと終わりに位置づけられるのです。
よく知られているように、太平洋戦争の前に行われていた日米交渉は、日中戦争の終結条件をめぐる対立が一つの論点となりました。この二つの戦争は、結果的には不可分の戦争であったとも考えられています。
これらのことから、私は、『2199』の誕生日設定はかなりの部分で「あの戦争」を意識していたと考えます。ゆえに、『2199』にとっての「12月8日」は「真珠湾攻撃の日」=「太平洋戦争開戦の日」であったと解釈したいのです。
古代進の誕生日である7月7日を盧溝橋事件の日と捉えるのはいささかゴシップ的ではありますが、ここはあくまで私見ということでご了承ください(笑)。
とはいえ、『宇宙戦艦ヤマト』の歴史は、「あの戦争」の時代を生きた戦艦大和とは切っても切り離せません。仮に『2199』が戦争にまつわる日付を作品に盛り込んだとして、それに何のメリットがあるのかは分かりませんが、ここまで揃ってしまうと、”どこかで「あの戦争」が意識されていたのかな”と思ってしまいますね。
*1:そういえば、『2202』の古代は雪の誕生日をきちんと祝えたのでしょうか。2202年12月の古代にそんな余裕があったとは思えませんが……