こんにちは。ymtetcです。
皆川さんの言葉通り、『2202』総集編の情報が突然やってきました。
とはいえ、9月25日は「いつもの」金曜日でしたので、備えておくこともできたかもしれませんね。
ということで、本来26日に投稿予定だった記事を28日に延期し、下書きなしのぶっつけ本番で、『2202』総集編情報の感想を書いていきます。
映画『「宇宙戦艦ヤマト」という時代 西暦2202年の選択」(2021年1月15日公開)
キャッチコピー「世紀を越え、希望の光を灯し続けた伝説の艦──その全記録」
原作:西﨑義展
製作総指揮・著作総監修:西﨑彰司/構成・監修:福井晴敏
脚本:皆川ゆか・福井晴敏/脚本協力:岡秀樹/設定アドバイザー:玉盛順一郎
ディレクター:佐藤敦紀/制作:studio MOTHER
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以上が、本作の基本情報です。
おさらいですが、本作のスタッフは『2202』のスタッフから演出チーム(羽原・小林)を除いた、脚本チーム(福井・岡)を中心に構成されます。そこに『2202』ノベライズの皆川ゆかさんが加わり、ディレクターには『2199』『2202』予告編・『2199』テレビ版後期OP・『方舟』OP、『シン・ゴジラ』などの佐藤敦紀さんが起用されています。そして制作スタジオは、ボイジャーが立ち上げ、元ジーベックの下地志直さんが社長を務める『宇宙戦艦ヤマト』のためのアニメーションスタジオ「studio MOTHER」です。
『2199』総集編との大きな違いは、「監督」に相当する「ディレクター」に、『2202』の演出家ではなく佐藤敦紀さんを置いているところでしょう。あくまで『ヤマトという時代』は福井晴敏と皆川ゆかの構成・脚本を見てください、とのメッセージだと思います。ただ佐藤さんの実力には定評がありますので、こちらの手腕にも期待しています。
それでは次に、イントロダクションを読んでいきましょう。
本作は(略)メインタイトルが象徴するように「ドキュメンタリー映画」に近い手触りを志向している。
中心を『ヤマト2202』全七章に起きつつ*1、随所に新作映像を加え、「ヤマトの歴史」をひとつの視点で真摯に問い直すその姿勢が斬新だ。そのときどきに起きた事象、関わった当事者たちの心情に、距離をおいて新しい光を当てることで、観客は「意味の再発見」をするだろう。時間軸は、宇宙開拓時代の原点から始まる。『ヤマト2199』の前史、イスカンダルへの旅を交えつつ、「人が宇宙に出た意義」を引いた視点で再吟味した点にも、風格がある。
見終えた後は、西暦2202年までの「宇宙戦艦ヤマト史」の凄絶さに呆然としつつ、あらためて「描かれてきたものの本質」に心を打たれているに違いない。これはさらなる新たなステップへ進むために必要な「宇宙叙事詩」としての総括なのである。
え、どうしたんですか?(笑)
これはまさに「書き言葉」の暴走でしょう。あまりに大げさすぎる。
まぁ、もし、もしもこの文章が氷川竜介さんの文章だったならば、まだ、まだこの書きようにも納得できます。氷川さんは「アニメ・特撮研究家」(「評論家」ではない)だからです。
あるいは福井さんだったらば。うーん。だとしたら自分のアイデアに心酔しすぎです。
で、第三のパターン。氷川さんでも福井さんでもない可能性。この可能性が一番高いですよね。だとしたら正直ダサいです。
「斬新」「観客は~だろう」「風格がある」「凄絶さに呆然としつつ(略)心を打たれているに違いない」……。いや、これを公式側から出すのは非常にダサいですよ。
これが作り手サイドではない、第三者の感想・分析・研究ならまだ理解できるのですが……。これに続く福井さんのイントロがいい感じだっただけに、少し残念でした。
さて、次はその福井さんのイントロコメントです。
『2199』『2202』で描かれてきた『宇宙戦艦ヤマト』リメイク・シリーズは、単に旧作をアップデートしたものではなく、現実への暗喩と風刺によって構築された文字通りの”世界”です。そこには分断と、誤解と、望まぬ変化に戸惑う人の生があります。それはこの苛酷な時代の中、ともすれば立ち往生しがちな我々に、生きるヒントと希望を投げかけてくれる鏡像でもあります。
最新作『2205 新たなる旅立ち』をご覧いただく前に、この”世界”を0から見つめ直す旅にみなさんをお連れします。そう、1からではなく0から。月面到達、火星入植、異星文明との初接触。新作映像をもって現実から分岐し、銀河の外への飛び出す未知の旅です。ファンの方、総集編と侮っていると目を回しますのでご注意を。そしてシリーズ未見の方は、伝説の艦に乗り込む絶好のチャンスをお見逃しなく。
書き写しながら、冒頭のイントロとは違う人が書いているんだろうなと感覚として思いました。『2202総集編』がドキュメンタリー映画方式となった黒幕であり、本作のオーガナイザー的な役割の福井さんですから、「旅にみなさんをお連れします」との大仰な表現もぎりぎりアリです。プラネタリウムのイントロダクションみたいでいいんじゃないですか。「目を回しますのでご注意を」は人によっては”ウザい”と思うかもしれませんが、まぁいつもの福井節です。
一つ気になるのが、『2199』と『2202』を「単に旧作をアップデートしたものではなく、現実への暗喩と風刺によって構築された」と解釈している点です。『2202』に関してはそれでいいと思うのですが、『2199』に関してはどうかな?と。ここで私が思ったのは「『2199』の物語も福井さんの独自解釈で塗り替えられるのかな」です。これはありそうですよね。福井さんがどこまで『2199』を理解した上で、新たな解釈を提示できるのか。お手並み拝見といきましょう。
もう一つ気になるのが、「月面到達、火星入植、異星文明との初接触。新作映像をもって現実から分岐し、銀河の外への飛び出す未知の旅」との表現。これに挑戦するのは大変結構なのですが、この内容って『2202』レベルのSF考証でやったらマズいですよね。「現実から分岐」する以上は、きちんとディテールを描けていないといけません。そこをどこまで『ヤマトという時代』は高めてくれるのか。ここもお手並み拝見です。
そして、氷川さんのコメント。
『ヤマト2199』からのシリーズには、毎回「なるほど、この手で来たか」という新鮮な驚きと喜びがあります。『2202』でも『さらば宇宙戦艦ヤマト』の再構築なる、誰がやっても難しい課題を苦悩とともに突破しつつ、「どこへ向かうのか?」と新規の興味と納得性ある落着を提示してくれました。気が遠くなるような物量戦はまだ記憶に新しいのに、改めて「1本にまとめる」という難題を予想外のアプローチでクリアしたスタッフの皆さんに、まずは感謝です。思い起こせば『ヤマト』第1作は宇宙開発に大きな夢を見た時期の産物でした。その後の長い停滞期を経て、宇宙に熱い視線が戻ってきた「いま」だからこそ、必要とされる作品になったと確信しています。
氷川さんの言葉って、本当に無駄がないんです。着眼点が鋭く、言葉選びも的確。その上、氷川さんはほとんど「否定」しないんですね(『ヤマト』の場合は公式からオファーを受けて書いているのでそうなるのでしょうが)。本当に素晴らしい。
例えば『2202』に対する「新規の興味と納得性ある落着」との表現。こうして分析をしようとするとどうしても書き手の主観が入らざるを得ず、また氷川さんの言葉も例外ではありません。ですが氷川さんの場合、かなりの部分で主観的評価がそぎ落としてあるんですね。この文章だけでは氷川さんが『2202』を「好き」なのか「嫌い」なのかは分からないんですよ。だから分析として客観性が高いんです。これは本当にすごい。私には真似できません。
順番が前後しましたが、次に例の年表を見てみましょう。
1969 人類 月面に到達
2011 国際宇宙ステーション完成
2042 人類 火星に到達
2111 火星への入植開始
2164 第一次内惑星戦争勃発
2183 第二次内惑星戦争終結
2198 第二次火星沖海戦
2199 宇宙戦艦ヤマト進宙・人類初の超光速航行に成功
2201 時間断層の存在を確認
2202 ガトランティス戦役始まる
ガミラスとの戦いを「ガミラス大戦」と表現する辺りがいかにも「『2202』史観」ですよね。また、一部では第二次火星沖海戦の時期が公式設定で確定されたことも話題になっていました。『2199』では「この戦いの後にガミラスは遊星爆弾のロングレンジ爆撃に切り替えた」との設定が公式にありました。故に、2198年という時期設定には異論も出てきているようですね。ただ、福井さんならともかく(笑)皆川さんが『2199』の本編で語られた設定を見落としているとは思えないので、ここは『ヤマトという時代』独自の新解釈が加えられるものとして、期待しておきたいと思います。
また、先ほどの福井さんも言っていた「現実との分岐」問題ですが。ヤマトファンとして結構気になるのは1974年の扱いなんです。『2199』『2202』世界には、アニメとしての『宇宙戦艦ヤマト』は存在していないはずですよね。でも、もし『宇宙戦艦ヤマト』が存在していなかったとすれば、世界も多少違っていたはずなんです(特に本作を観にくるであろうヤマトファンにとっては)。非常に興味深い思考実験が可能なのですね。映画には直接絡んでこないとは思いますが、福井さんや皆川さんの「もしもテレビアニメ『宇宙戦艦ヤマト』がなかったら」の語りは聞いてみたいですね。
そして、私がこの中で一番大事だと思っているのは「第二次世界大戦終結二百年祭」(2145年)です。これをわざわざ設定してここに書いたということは、映画に直接絡んでくる要素なのでしょう。『2199』の「戦艦大和風の擬装」に新解釈を加える可能性もあります。見方を変えれば、あれも『2199』の宿題ですからね。直後に内惑星戦争が始まっている点も含めて、ここはどう構想されているのか。楽しみですね。
この年表を見た時、あるいはそれを見た上で「ドキュメンタリー映画」風の総集編を想像してみた時に、一番マズいのは『2520』Vol.0のアレだと思います。年号がドーンと画面に表示され、淡々とナレーションで歴史が語られるアレです。でも、これだけ長いタイムラインを一つの映画で扱うとした時には陥りかねない落とし穴なんですよね。これこそ、まさに脚本家・小説家としての福井さん・皆川さんの腕の見せ所です。また、シナリオが単調でも佐藤さんが「佐藤マジック」を見せてくれるかもしれません。この辺りは、各スタッフがどこまで力量を見せてくれるか、期待したいと思います。
はい。今は日付で26日、深夜の1時です。頑張りました。明日のパフォーマンスは犠牲になりました(笑)。ですが楽しいです。新作情報はやはりいいですね。ただ、内容はかなり散漫だと思いますので、改めて若干の修正を入れるかもしれません。
冒頭こそ、イントロのメッセージの大仰な表現に驚いて「ダサい」などと書いてしまいましたが、その後の論調を見てもお分かりのように、基本的には「期待」のスタンスでいます。本作は「studio MOTHER」のデビュー作でもあるので、スタッフロールまで見逃せない映画になりそうですね。
交響組曲も2021年1月発売、そしてかなりお得な『2199』と『2202』の劇場上映版BDボックスの発売。『2205』は2021年公開予定。現時点では何も頓挫していないということで、良いニュースが続きました。全てが予定通りに、上手くいくことを願っています。
*1:ママ