こんにちは。ymtetcです。
先日、ついに情報が解禁された『宇宙戦艦ヤマト』シリーズの最新作(敢えてこう呼びます)、『「宇宙戦艦ヤマト」という時代 西暦2202年の選択』。
今日は、こちらの公式によるイントロダクションを読み、本作『ヤマトという時代』のキーワードに着目しつつ、本作が「120分」(!)の枠組みで描くものについて考えます*1。
- 〇『ヤマトという時代』キーワード
- 〇「これまでのダイジェスト」の壁を克服したい
- 〇意図的に無視されている「愛」、強調される「歴史」
- 〇「宇宙史」
- 〇「世界史」のなかの「宇宙戦艦ヤマト史」
- 〇「これまでのダイジェスト」との違いが独自性に
〇『ヤマトという時代』キーワード
まずは、公式イントロダクションに見える本作のキーワードを抽出してみましょう。
「『ヤマトの歴史』をひとつの視点で真摯に問い直す」
「そのときどきに起きた事象、関わった当事者たちの心情に、距離を置いて新しい光を当てる」
「意味の再発見」
「『人が宇宙に出た意義』を引いた視点で再吟味」
「宇宙戦艦ヤマト史」
「描かれてきたものの本質」
「(新しいステップに踏み出すために必要な)宇宙叙事詩」
「(『現実への暗喩と風刺によって構築された』)”世界”を0から見つめ直す旅」
「新作映像をもって現実から分岐し、銀河の外へと飛び出す未知の旅」「人類史・宇宙史に刻まれる歴戦の全記録」
それではここから、色々と考えてみます。
〇「これまでのダイジェスト」の壁を克服したい
「意味の再発見」「描かれてきたものの本質」。これを語ることは、実はすでに、福井さん自身が『2202』の「これまでのダイジェスト」でやってきたことなのです。最終章の冒頭に追加されていたこの「ダイジェスト」も、「愛=ヒューマニズムの意味」に着目して『2199』『2202』から「意味の再発見」を行い、『2202』にとっての「描かれてきたものの本質」を語っています*2。
そんな中で、この『ヤマトという時代』には今更どんな意義があるのか。『2202』の「これまでのダイジェスト」とどう違うのか。まずはこの点が、映画『ヤマトという時代』を考える上での一つの論点になってくるだろうと考えます。
簡単に言えることとして、『ヤマトという時代』と「これまでのダイジェスト」との違いとは、『2199前史』を含めた「ヤマトの歴史」に着目することでしょう。
〇意図的に無視されている「愛」、強調される「歴史」
また、先ほども申し上げた通り、『2202』の「これまでのダイジェスト」においては「愛=ヒューマニズムの意味」が着目されていました。
反面、『ヤマトという時代』の公式発表や様々なメディアの記事では、全くと言っていいほど「愛」という言葉が見られません。「『愛の戦士たち』の総集編」なのに、です。ここに、この映画が持つ大きな意義があると私は考えます。
さらに他のキーワードにも着目してみましょう。
「『ヤマトの歴史』をひとつの視点で真摯に問い直す」「『人が宇宙に出た意義』を引いた視点で再吟味」「宇宙戦艦ヤマト史」「(新しいステップに踏み出すために必要な)宇宙叙事詩」「人類史・宇宙史に刻まれる歴戦の全記録」
叙事詩、とはよく聞く言葉ですが、改めて定義を調べてみますと「歴史的事件、英雄の事跡、神話などを題材に、民族または国民共同の意識を仮託した長大な韻文」だそうです*3。
こうして見ると、『ヤマトという時代』の一つの特色として、「歴史」への着目があると言えます。
「歴史」が一つのキーワードとして浮かび上がりましたが、次に疑問となるのが、それが一体「何」の歴史なのかということです。
その観点から改めて見ますと、「宇宙戦艦ヤマト史」「人類史」「宇宙史」の三つのキーワードが浮かび上がってきます。
〇「宇宙史」
「宇宙史」との言葉には個人的に耳馴染みがありませんでしたので、少し検索をかけてみました。すると、おおよそ二つの意味で用いられているようです。
では、『ヤマトという時代』はどちらのアプローチをとるのか。
仮に、本作が「アケーリアス文明」に着目して宇宙の誕生以来のドラマを描くのであれば前者かもしれませんが、ここまでの情報を見る限り、本作は後者だと言えそうです。「人が宇宙に出た意義」に着目することも、本作の特徴だとされているからです。
しかしながら、「『人が宇宙に出た意義』を引いた視点で再吟味した点にも」の「にも」からして、「人が宇宙に出た意義」は、あくまで二次的なテーマだと考えます。
〇「世界史」のなかの「宇宙戦艦ヤマト史」
現時点の情報を見て、私は『ヤマトという時代』の一次的なテーマは、
- 「人類」と「社会」の歴史(=「『2199』『2202』世界」史)から「宇宙戦艦ヤマト史」を再解釈する
ことにあると考えます。
「『ヤマトの歴史』をひとつの視点で真摯に問い直す」と公式情報にはありますが、この「一つの視点」とはいわば「世界史」なのではないでしょうか。
福井さんの語る「(『現実への暗喩と風刺によって構築された』)”世界”」の「世界」とは、『2199』『2202』で描かれた「世界」を指します。これを「0から見つめ直す旅」(=『2199』『2202』世界の成り立ちから振り返る映画)なのですから、さらに言えば「『2199』『2202』世界」の「世界史」であると考えられます。
「宇宙戦艦ヤマト」(BBY-01)という存在がこの名前で、あの擬装で、あの形でこの世に誕生し、あの旅とこの戦いを乗り越えて地球を救った歴史。この「宇宙戦艦ヤマト史」と、その周囲を取り巻いていた人類と社会の「世界史」を掛け合わせる、すなわち
- 「世界史」×「宇宙戦艦ヤマト史」
の形で、本作は『2199』と『2202』を再構築することになるのではないでしょうか。
実は近年、こういった「二つの歴史の掛け合わせ」はすごく流行ってるんですね。「世界史のなかの日本史」とか、逆に「日本史から見る世界史」とか(昔からある発想ではありますが)*6。これまた流行りの「縦割り打破」的な発想です。こういった発想に近いものが、本作には持ち込まれていると考えられそうです。
〇「これまでのダイジェスト」との違いが独自性に
『ヤマトという時代』と「これまでのダイジェスト」は、『2199』及び『2202』に通底する新解釈を提示し、観客に「意味の再発見」をさせるという点で一致しています。
ただし、以下の二点において、『ヤマトという時代』と「これまでのダイジェスト」は異なっています。
- 「これまでのダイジェスト」:『2199』『2202』に着目
- 『ヤマトという時代』:『2199前史』『2199』『2202』に着目
と
の二点です。「視点」の違いだと総括できるでしょう。これが『ヤマトという時代』の最大の特徴であり、本作を『宇宙戦艦ヤマト』シリーズ上において特別な立ち位置の作品たらしめている最大のポイントである、と言えそうです。
それでは次回は、もう少しこの見方から発展させて、『ヤマトという時代』の在り方について考えてみたいと思います。
--------------------
<コメント返信しました>
『ヤマト2202』の出現をめぐって - ymtetcのブログ
『宇宙戦艦ヤマト2199』と「12月8日」 - ymtetcのブログ
*1:特別総集編『「宇宙戦艦ヤマト」という時代 西暦2202年の選択』上映日決定、新作カット・新録ナレーションを織り交ぜリビルド - GIGAZINE
*2:ドメル将軍を「愛国」の観点のみから語っている(しかも「君たちテロンと」の部分をカットしてまで)ことには少し物足りなさを覚えますが。