ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

福井晴敏と「苛酷な時代」:映画『ヤマトという時代』

2145 第二次世界大戦終結二百年祭

2164 第一次内惑星戦争勃発

2183 第二次内惑星戦争終結

2191 異星文明(ガミラス)と初接触・開戦

こんにちは。ymtetcです。今日は『宇宙戦艦ヤマト』(1974年)の放送開始日ですね。

先日公開したこちらの記事に、たくさんのコメントをいただきました。

ありがとうございます。

ymtetc.hatenablog.com

その中で一つ、ナミガワ様から「内惑星戦争をベトナム戦争の暗喩にすることも?」という旨のお話をしていただきました。今回はその可能性をごく簡単に検討することから始めて、映画『ヤマトという時代』にも無関係ではないであろう福井晴敏さんの時代観について、「90年代」に着目して考えます。

〇「カオスの時代」としての「60年代」「70年代」

ベトナム戦争の歴史は深く、長きにわたります。しかしながら、我々が一般的に想起する「ベトナム戦争」とは、主にアメリカの軍事介入が本格化する端緒となった、いわゆる「北爆」(1965年)以後のイメージが強いのではないでしょうか。

ナミガワ様は上記コメントにおいて、現実世界の1960年代・70年代を「カオスの時代」と表現されています。ベトナム戦争は「カオスの時代」の一翼を担っていた大きなファクターです。

『ヤマトという時代』に話を戻しましょう。細かな年号を設定したのは恐らく福井さんではなく皆川さんだと思いますが、「(第一次)内惑星戦争」の勃発は2164年と設定されています。そして、「第二次内惑星戦争」の終結は2183年と設定されています。

このように眺めた時、2100年代の「60年代」「70年代」はおおよそ「二つの内惑星戦争」の時代だと推測できます。福井さんをはじめとした『ヤマトという時代』の作り手が、この(2100年代の)「60年代」「70年代」を、現実世界の1960年代、1970年代のような「カオスの時代」として描く可能性は十分にあると考えます。

〇<宇宙戦艦ヤマト>が「90年代」に出現

『ヤマトという時代』で描く2100年代は、現実世界の1900年代をモチーフにする。

今回は考えを進めるために、この予測をひとまず「正しい」ものと位置づけてみます。すると、冒頭で提示した年表と、我々の知る現実世界のタイムラインとでは、興味深いズレがあると分かります。

現実世界は、1960年代と1970年代の「カオス」の中で、1974年に『宇宙戦艦ヤマト』を生み出しました。それは1960年代前半の「戦記ものブーム」、1960年代後半の「宇宙」への憧れ、70年代の石油危機といった時代背景と無縁ではありません。

しかし、『ヤマトという時代』が描く劇中世界の2100年代「70年代」に、『宇宙戦艦ヤマト』はありません。しかし劇中世界は、2100年代の「90年代」に<宇宙戦艦ヤマト>を誕生させます

ここまでを読んで、アニメの『宇宙戦艦ヤマト』と劇中の宇宙戦艦<ヤマト>を同じものと見なしていることに違和感を持たれている方もいると思います。ですが、これは、先日吾嬬竜孝さんもTwitterで話題にしていた問題と関係があります。

  • 現実の1974年に生まれた『宇宙戦艦ヤマト』は、なぜ戦艦大和の改造を物語に盛り込み、戦艦大和をモチーフにしたデザインで、何より、なぜ名前が”ナガト”でも”ムサシ”でも”ミカサ”でもなく”ヤマト”なのか。

同じことが劇中世界にも言えます。

  • 劇中の2190年代に生まれた<宇宙戦艦ヤマト>は、なぜ戦艦大和の残骸風のカモフラージュをまとい、戦艦大和の意匠をうかがわせるデザイン・設計で、何より、なぜ名前が”ナガト”でも”ムサシ”でも”ミカサ”でもなく”ヤマト”なのか。

ともすれば「野暮」な問いかもしれません。また、多様なアプローチで答えることのできる問いでもあると思います。しかし一つ、この双方の質問に同じように答える方法があります。それが、

  • 当時の日本人が、その意匠と名前を必要としていたから。

というものです。すなわち、その時代の日本人のナショナル・アイデンティティと関連付けて、「大和」と「ヤマト」を論じる方法です。この方法であれば、現実世界と劇中世界の双方の問いに、ほとんど同じ回答を用意することも不可能ではありません。

ですが、こうして現実世界の1970年代と劇中世界の2190年代を対比すればするほど、それぞれの違いがはっきりと強調されてきます。劇中世界が<宇宙戦艦ヤマト>を生みだすのは「70年代」ではなく「90年代」なのです。これについて、考えてみましょう。

福井晴敏の「苛酷な時代」論

福井さんは、口癖のように「苛酷な時代」との表現を使います。今回の映画『ヤマトという時代』のイントロダクションにも、その言葉が登場しました。そして私は、この「苛酷な時代」というキーワードこそが、宇宙戦艦ヤマト>と「90年代」を結びつける大きなヒントになるのではないか、と思いました。

まずは、福井さんの語る「苛酷な時代」とは一体何かを紐解きましょう。今回も、書籍『シナリオ編』を利用させていただこうと思います。

2015年の『2202』「企画メモ」時点において、福井さんは「現代」を「旧来の論理がヒステリックに我を叫ぶ時代」と分析しています*1。「旧来の論理」とは、福井さんによれば「国家・民族主義」です。翌2016年にイギリスがEU離脱を決め、アメリカでは”アメリカファースト”を掲げるトランプ政権が誕生したわけですから、ある程度的を得た分析だと思います。ちなみに「企画メモ」においては”ISIL”が例示されています。

この「旧来の論理」(「国家・民族主義」)に対置される「論理」として、福井さんは「グローバル経済という大論理」を挙げています(220頁)。そして、この「グローバル経済」は「二十年あまり」の間、「国家、民族、宗教といった旧来の論理」を組み敷いていたと指摘します(220頁)。その二十年来の構図が変化し、現在は「旧来の論理がヒステリックに我を叫ぶ時代」になりつつある、と言いたいようです。

では、グローバリズム国家主義民族主義によって排斥されていくのか。

福井さんはそれを否定しています。

福井さんは、「グローバル経済」を「魔物」と表現します(220頁)。それは、現代に再び強調され始めた「国家・民族主義」をも「内に取り込み」、「持つ者と持たざる者の格差を着々と押し拡げている」と福井さんは分析します。グローバリズムは、再び勃興しつつある国家主義民族主義をも吸収して、さらなる拡大を続けていくと認識しているわけです。

さらに福井さんは、「グローバル経済」を「まつろわぬ者を容赦なく排斥し、多様性を拭い去ろうとする資本覇権主義」「現代を支配する冷たい論理」(220頁)と、強い表現で否定します。そして、このような「論理」に対して「ヤマトのクルーが心の底から『否』と叫ぶ」(220頁)ドラマこそ、この『2202 愛の戦士たち』なのだと語ります。

これを読む限り、福井さんの思想の根幹にあるのは、「グローバル経済」、特に新自由主義」と批判される「自己責任論」に満ちた競争社会に対するアンチテーゼです。「グローバル経済」のもたらす格差の拡大こそが「苛酷な時代」を生み、現代社会の「生きづらさ」を生むと福井さんは見ています。ゆえに福井さんの紡ぐ物語は、この「生きづらさ」を克服することに重点が置かれていきます。『2202』もそうでした。

〇「苛酷な時代」と福井晴敏

いったい、この「過酷な時代」とはいつ始まったものなのでしょうか。

福井さんの言う「二十年余り」(220頁)が、どこからどこまでの20年を指しているのか。「企画メモ」からは定かではありません。

そこで、福井さんの経歴に注目してみたいと思います。

福井さんは、1968年生まれ。小説家としてデビューを飾ったのは1998年でした。

小説家になる前のことを振り返って、福井さんは、20代の前半に「いろんな世間」を見たことが、小説を書く上で「良かった」と語っています*2。その後、福井さんは20代半ばに警備員として仕事を始め、それが一つのきっかけとなって、小説家の道へと進むことになったそうです*3

福井さんが小説家としてのキャリアをスタートさせる上で見逃すわけにはいかない、福井さんの「20代」の経験。そして、1968年生まれの福井さんにとって、「20代」の大半は「1990年代」でした。1990年代こそ、<小説家・福井晴敏>の一つの原点だと言えるのではないでしょうか。

福井さんは20代を振り返って、こうも語っています。「見たのはみんな、下から上を見上げる世界ばかり」。そこで学んだのは、「どんなに小さいところでも社会は形成されていて、序列はできる、階級ができる。組織の中でうまく適合していく折り合いのつけ方」*4

バブル経済の果実を社会人としてほとんど味わうことなく、20代の大半を支配したバブル崩壊後の不況を「下から上を見上げる」視点で味わった福井さんには、この頃から世界を支配していた「グローバル経済」は、「格差」を生み出す「冷たい」「覇権主義」に見えたのでしょう。

〇「苛酷な時代」と『宇宙戦艦ヤマト

バブル崩壊以来、自覚的にも無自覚的にも閉塞してしまった多くの日本人の心性を託して、古代を『鬱抜け』させる」*5

これこそが『2202』の大きなテーマだった、と福井さんは語っています。そして、今回の映画『ヤマトという時代』に寄せて、福井さんは「『2199』『2202』で描かれた『宇宙戦艦ヤマト』リメイク・シリーズの世界は(略)この苛酷な時代の中、ともすれば立ち往生しがちな我々に、生きるヒントと希望を投げかけてくれる鏡像」だと述べています*6

ここから分かるのは、今回の『ヤマトという時代』が、『リメイク・ヤマト』の世界を現実の「苛酷な時代」を映す鏡像として描くことです。もちろんそこには、ガミラスとのファーストコンタクトを(偶然にも)「2191年」に設定した『2199』も含まれます。

本節の冒頭で掲げたように、福井さんの語る「苛酷な時代」の起点は、「1991年」バブル崩壊にありました。また、ここで当該記事の内容を吟味することは(浅学にて)できませんが、1991年末のソヴィエト連邦崩壊から「グローバリゼーション」が拡大した、との見方もあるようです*7。福井さんの言う「苛酷な時代」とは、1991年に始まり、少なくとも2015年までは続いているものだと考えられます。

『ヤマトという時代』で描かれる劇中世界に視線を戻すと、2160年代から70年代、2183年に至る戦争の時代から、「2191年」(!)のガミラス来訪までの間には、少し時間があることが分かります。すなわち、80年代半ばから後半、そして「91年」のガミラス来訪までの、束の間の「戦間期(仮)」がここにあるのです。22世紀後半の地球にとって、「80年代後半~91年」数少ない平和な時代だったのではないでしょうか。

ところが、「2191年」にガミラスが来訪。地球側から戦端が開かれ、「ガミラス大戦」へと突入。平和な時代は崩壊し、「苛酷な時代」がやってくるわけです。あたかも1980年代後半に始まったバブルが、1991年に崩壊したようにです。

このような形で、『ヤマトという時代』が、ガミラスとの戦端が開かれた2191年をバブルの崩壊(1991年)に見立てて、「90年代」を原点とした社会派アニメーションとして『宇宙戦艦ヤマト』を再構築することも、全くあり得ないことではないと考えます。

〇あとがき

『ヤマトという時代』の「年表」は、2145年を1945年に見立てた、現実世界を映し出す鏡としての解釈もできるのではないか。

ナミガワ様のコメント「内惑星戦争をベトナム戦争の暗喩に」から大きなヒントをいただき、そこからは勝手な思考の赴くままに、今回の記事を書きました。

『2199』が「2190年代」を描いた物語であることは、単に1974年の旧作がそうだったからだという偶然でしかありません。しかしながら、そこを敢えて利用し、1990年代以降の『苛酷な時代』を映す鏡として、『2199』から『2202』に至る「人類」「世界」を再解釈することも不可能ではないと私は考えています。

要は、「1970年代」のアニメ作品だった『宇宙戦艦ヤマト』を「1990年代以降」のアニメ作品に書き換える試みを行うのではないか、ということです。福井さんってこういうの好きそうだし、やりそうだなぁと(笑)。そう思います。

また、この考え方は、『2205』を展望する上でもヒントになるのではないかと思っています。今回も「苛酷な時代」との表現を使った以上(むろん、コロナ禍を念頭に置いた表現でもあるとは思いますが)、福井さんは、1991年に始まる現実世界の「苛酷な時代」は今も続いている、と考えているのではないでしょうか。

とすれば、『ヤマトという時代』だけでなく『2205』も、この「苛酷な時代」を映し出す「鏡像」としての役割が与えられることになります。こうすると、福井さんの提示する”『ヤマトという時代』⇒『2205』”という最短ルートも、「苛酷な時代」というテーマで貫かれるという意味では妥当性を帯びてきます。

今回書いた「2190年代は1990年代をモチーフにする?」との予想は当たらないかもしれませんが、少なくとも、『ヤマトという時代』と『2205』には、バブル崩壊以後の『苛酷な時代』」のモチーフが必ずどこかに盛り込まれてくるだろうと思います。なぜなら、それが福井さんの時代観だからです。

『ヤマトという時代』や『2205』をめぐっては、こうした福井さんの価値観、時代観、作家性のようなものも、きちんと議論の俎上にのせていきたいですね。

今回は通常の3倍(以上)の時間をかけて書いたので(笑)、次回はお休みします。申し訳ありません。かなり長い記事になりましたので、「お休み」記事は今回の記事を簡単に要約する内容にしようかな、と考えております。

<今回はこちらの書籍を利用しました>

*1:福井晴敏「『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』(仮)企画メモ」『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち――全記録集――シナリオ編 COMPLETE WORKS』(2019年、KADOKAWA)220頁。以下、ページ数は同書。

*2:福井晴敏スペシャル・インタビュー「魔女と暮らした日々」『IN POCKET』講談社、2005年1月号、20頁。

*3:同上、20頁。

*4:同上、20頁。

*5:福井晴敏「INTRODUCTION」『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』第七章「新星篇」劇場用パンフレット、3頁

*6:「宇宙戦艦ヤマト」という時代 西暦2202年の選択

*7:「右か左か」ではなく「上か下か」が呼び覚ます社会主義ノスタルジー