ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

休日:前回の記事「福井晴敏と『苛酷な時代』」について

こんにちは。ymtetcです。

今日はお休みです。

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前回の記事が(作業時間も、文字数的にも)とても長かったので、今回はその記事を解説するような、簡単なお話をしたいと思います。

私が指摘しておきたかったことは、いくつかあります。

まずはこれです。これについては、映画『ヤマトという時代』の公式イントロダクションで説明がつきます。

ちなみに「鏡像」とは文字通り、「鏡に映る像」です。福井さんは、リメイク『ヤマト』を「生きるヒントと希望を投げかけてくれる鏡像」と表現していました。ここに、福井さんの作家性が込められていると私は考えています。つまり、新作ヤマトは「苛酷な時代」を描き、それを克服する物語を描くものであるべきだ、との主張です。

次にこれです。これを説明するために、『IN POCKET』に掲載されている昔の福井さんインタビューを紐解いてみたり、『2202』のパンフレットを引用したりしました。

「今も続く」という部分については、『2202』企画メモの2015年時点で分析されている情勢が今も大きくは変わっていないことから、そのように判断いたしました。

  • 指摘③:『2199』世界の「苛酷な時代」は2191年に始まり、今も続く。

これは解釈の分かれるところだと思います。ただ、少なくとも『2199』世界の22世紀末から23世紀初頭にかけてが、「苛酷な時代」として描かれるのは間違いありません。

2191年をいかなる時代の始まりと解釈するかは、色々なアイデアが当てはまるだろうと思います。事実として揺らがないのは、ガミラスとの戦いが始まった年だということです。問題は、それをどう解釈するかです。

前回の記事で私は、二度の内惑星戦争を経験した人類にとっては、2160年代・70年代・80年代前半はナミガワ様のいう「カオスの時代」であり、2191年以降もまた「苛酷な時代」であると考えました。ゆえに、2180年代後半から2190年代初頭までを相対的に「平和な時代」とし、2191年のガミラスとの開戦を「平和な時代の崩壊」と位置づけました。

  • 仮説:『ヤマトという時代』は、2190年代を「現実の1990年代」のように描くのではないか。

そして、前回の記事の柱だった私の仮説(妄想とも)がこちらです。

今私たちが生きているのは2020年であり1990年代ではないので、この仮説に違和感を持たれる方もいらっしゃるかもしれません。

ですから、先ほどまでに提示してきた「『苛酷な時代』は90年代に始まり、今も続く」の中の「今も続く」という点が重要になってきます。

福井さんの考える「苛酷な時代」は、バブル崩壊に始まり、リーマンショックや震災を経て、コロナ禍の今も続いていると思われます。つまり、今も続いている「苛酷な時代」にとって、1990年代は過去であり、原点でもあるわけです。

これをリメイク『宇宙戦艦ヤマト』に置き換えてみましょう。リメイク『宇宙戦艦ヤマト』は『2199』に始まり『方舟』、『2202』を経て、『ヤマトという時代』『2205』という形で、今も続いています。リメイク『宇宙戦艦ヤマト』にとって、『2199』は過去であり、原点でもあるわけです。

過去であり原点でもある『2199』が、まさに2190年代の地球を(『2199』なりに)「苛酷な時代」として描いた。『2199』というアニメそのものは現実世界にとって過去の作品であり、『2199』で描かれたものは劇中世界にとっても過去の出来事になっています。『2199』が描いた(と福井さんが主張する)劇中世界の「苛酷な時代」は『2205』が描く劇中世界の西暦2205年にも続き、『2199』が始めたリメイク『ヤマト』シリーズは『2205』として、今も続く。その『2205』は、現実世界にとってはの出来事であり、劇中世界にとっても、の出来事。すなわち、

  • 1990年代(過去)と2020年代(現在):現実世界のタイムライン
  • =2190年代(過去)と2200年代(現在):劇中世界のタイムライン
  • =アニメ『2199』(過去)とアニメ『2205』(現在):現実世界のタイムライン

のような形で、『2199』と『2205』の立ち位置は現実世界及び劇中世界の「苛酷な時代」と(幅の大小は違えど)リンクさせることができると考えます。少々苦しいですが、これが、私が2190年代と「現実の1990年代」を結びつけたくなる所以です。

 

このようにして、『ヤマトという時代』の枠組みに仮託する形で妄想を加速させたのが、前回の記事でした。当然、この妄想が実際に的中する可能性は高くありませんが、全てが間違っている可能性も、また高くないと考えています。

あくまで問題意識として「福井さんがやりそうなこと」を伝えたい。

そうして書いたのが、前回の記事でした。