ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

新たなる「あなたの物語」:『ヤマトという時代』から『2205』へ

こんにちは。ymtetcです。

今日は(私の中で)「『ヤマト2202』の最高傑作」と名高い『第六章 回生篇』の公開から2年となります。私が「考察」と言っていただけるような記事を書き始めたのがちょうどこの辺りでしたので、私の中では特別な映画の一つです。脚注にいくつか、当時の記事を紹介しておきますね*1。お時間がある方はどうぞ。

今回のテーマは、第六章とは関係がありません(笑)。映画『ヤマトという時代』と来るべき新作『ヤマト2205』の関係について考えてみます。手がかりは、福井さんが『2202』を語る際に使っていた言葉「あなたの物語」です。

〇「あなたの物語」メソッド

福井さんは『2202』を「あなたの物語」だと表現していました*2。そしてこの時、「あなた」とは「40年前と今の時代の違いにストレスを感じている」人間だとされています。つまり『2202』は、本質的には”かつて『さらば』を見た40年前の若者たち”に向けて作られていたことになります。

今日お話するのは、「あなたの物語」の作劇論が『2205』にも応用されるのではないか、ということです。ですが『2205』の「あなた」とは「40年前の若者たち」ではなく、「今の若者たち」なのではないか。私はそう考えています。

〇「苛酷な時代」に飛び込んでいく若者たち

『2205』は、「苛酷な時代」へと飛び込んでいく若者を物語の中心に据えるのではないでしょうか。そこではきっと、あの「土門竜介」の名を持つキャラクターが大きな役割を果たすでしょう。

それはすなわち、『2205』が、そのターゲットを(旧ヤマト世代だけでなく)若者にまで広げるということ。もしその試みに成功すれば、『宇宙戦艦ヤマト』は文字通り、コンテンツとしての「新たなる旅立ち」に成功するはずです。

〇「ネクストジェネレーション」と「新しいステップ」

結城信輝さん(『2205』キャラクターデザイン)によれば、『2205』では「ネクストジェネレーション」にあたるキャラクターの活躍が「かなり描かれる」とのことです*3。もちろん、結城さんが語っていた時の脚本と現在の脚本は異なるかもしれませんが、作品のコンセプトまでは変更されていないものと思います。

また、福井さんによれば、『2205』の前段として公開される映画『ヤマトという時代』は、シリーズ未見の人にとっては「伝説の艦に乗り込む絶好のチャンス」なのだそうです*4

この福井発言は、あくまでプロモーション上「未見の人でも大丈夫ですよ」とアピールするものだと考えてきました。しかし、公式イントロダクションによれば、『ヤマトという時代』は「新しいステップに進むために必要」な作品。これを読む限り、『2202』と『2205』には、我々がスタッフ布陣を見るだけでは気づかない断絶があるように見えます。すなわち、両作には単なる「続編」の呼称だけでは割り切れない作風の違いがあり、それを埋めるために『ヤマトという時代』が必要なのだ、と見えてくるのです。

では一体、『2202』と『2205』にはどんな違いがあるのでしょうか。現時点でヒントになりそうなのが、先に紹介した結城さんの「ネクストジェネレーション」(以下、「次世代」とする)です。

〇『2202』から『2205』へ

『ヤマト2199』はもとより、『2202』もまた、基本的にはお馴染みのキャラクターを中心に物語が進められてきました。『2202』のキーマンは目立ちこそしましたが、役割としては旧『さらば』の真田。いわば「プリビアスジェネレーション(仮)」(以下、「前世代」とする)のキャラクターが、これまでの『2199』シリーズを引っ張ってきたのです*5

中でも『2202』は、これまでの『ヤマト』シリーズの中でも特別と言っていいほど「古代進の物語」でした。それは福井さんが、「古代進」という存在を「あなたの物語」の「あなた」に当てはめる手法を採用していたからに他なりません。

そして古代進は、まさに「前世代」の象徴とも言うべき存在。「古代進の物語」にこだわった『2202』は、「前世代の物語」に別れを告げる作品だったのかもしれません。

そして、いよいよ「次世代」を投入する『2205』は、物語の根本的な部分も「ネクストジェネレーション」に移行させ、「次世代の物語」を作り上げていくのではないでしょうか。

福井晴敏と『新たなる旅立ち』

この考えを予感づけているものは、「作家・福井晴敏」が『さらば』から導き出した、『2202』そのものです。私には、彼が特別な含意なく「新たなる旅立ち」との言葉を引用してくるとは思えないのです。

『2202』で、福井さんは『さらば』の副題『愛の戦士たち』を引用しました。その時の福井さんの狙いは、『宇宙戦艦ヤマト』シリーズにおける「愛」を再定義すること。つまり視野は『2202』や『2199』シリーズだけでなく、『宇宙戦艦ヤマト』シリーズ全体に及んでいたということになります。

であれば、これと同じ視野の広さが『2205』にあっても不思議ではありません。つまり『新たなる旅立ち』は、単に『2205』や『2199』シリーズの文脈だけではなく、『宇宙戦艦ヤマト』シリーズ全体の中に位置づけられる副題なのではないでしょうか。

そしてもう一つ、福井さんは「苛酷な時代」の枠組みに強いこだわりを持っています。この問題意識のもとに、『2202』や『ヤマトという時代』が作られています。さらに福井さんは、作家として「現実に応用可能なものを今後も提示していきたい」と抱負を述べてもいる。恐らく『2205』も、同じように「苛酷な時代」を描くものとして作られることでしょう。

しかし、「苛酷な時代を生きる大人の物語」は、既に『2202』が描いたものです。もちろん、福井さんが『2202』とは違うアプローチで「苛酷な時代を生きる大人の物語」をやってくる可能性もありますが、それは果たして「新しいステップ」と呼べるでしょうか。繰り返しになりますが、『2205』の副題は『新たなる旅立ち』なのです。

〇次世代の『宇宙戦艦ヤマト』を作る

結城さんの語る「ネクストジェネレーション」に、公式の「新しいステップ」、福井さんの「苛酷な時代」、そして副題の『新たなる旅立ち』。

  • 宇宙戦艦ヤマト2205 新たなる旅立ち』は、「苛酷な時代に飛び込んでいく若者の物語」になる。

そんな予感は、ここから成り立ちます。

福井さんは今回も、「ヤマトの復権」のための挑戦をやってくるでしょう。であればそれは、長年の懸案だった「ファン(とキャラクター)の世代交代」なのかもしれません。

もちろんそれは、「大人の物語」や「前世代」の古代進がないがしろにされる、という意味ではありません。現在の『宇宙戦艦ヤマト』の視聴者層は紛れもなく「大人」であり、古代進に愛着を抱いている人もたくさんいます。であれば当然、『2205』も「大人」を満足させるべく物語を組み立てていくことになるでしょう。

しかし、例えば『2202』が「古代進の物語」に加えて「山南修の物語」などの補助的な「物語」を埋め込んでいたように、『2205』が土門竜介などの「次世代」を取り上げ、「次世代」の視聴者層を満足させるための「物語」を補助的に加える可能性は十分にあり得ます。また、それだけではなく、むしろ「古代進の物語」を補助的な「物語」に位置づけて、「次世代の物語」を中核に据える可能性すらあると私は考えています。

福井さんが『2202』で取り入れた、時代を読み解いて特定の世代に訴えかける手法。これを、今度は若者世代に適用したらどうなるでしょうか。成功するか失敗するかに関わらず、それはとても興味深い実験になるはずです。

『2202』も『2199』も、積極的に「若者向け」を目指した作品ではありませんでした*6。『ヤマト』シリーズが失敗を重ねてきた「世代交代」の課題に、福井さんが挑む可能性は十分にあると考えます。

〇おわりに:映画『ヤマトという時代』

最後に、映画『ヤマトという時代』についてお話しておきましょう。

この映画は、「世界」に着目して『2199』と『2202』を俯瞰し、両作品から「意味の再発見」をすることを目的にしています。また、後継作である『2205』の地ならしをする役割も担っています。

当然、「若者世代向け」を『2205』で志向する場合の一番大きな課題は「どのようにして興味を持ってもらうか?」ですが、今回はそちらについては考えません。

仮に興味を持ってもらえたとして、いわゆる「次世代のファン」の目線はどう推移するのかを考えてみましょう。

プロモーション上、『2205』から『2199』シリーズに加わる「次世代のファン」が、まず目にするのは映画『ヤマトという時代』です。なぜなら、公式が「それで大丈夫」と言っているからです。「次世代のファン」は『ヤマトという時代』で両作品を俯瞰してから、『2205』へと進むことになります。

この時点で、「次世代のファン」は『2199』と『2202』に深く入り込んではいません。彼ら彼女らは、「ドキュメンタリータッチ」を介して両作品を客観的に俯瞰しただけ。『2199』の細かなエピソードや『2202』の「古代進の物語」を追体験したわけではありません。

ここが重要です。

翻って、劇中世界に視点を変えてみます。

土門竜介をはじめとする「次世代のキャラクター」たちは、言うまでもなくイスカンダルへの航海を経験しておらず、ガトランティスとの戦いにも加わっていません。彼らはイスカンダルへの航海で起きた細かな出来事は知らず、古代進の苦悩も知らない。敢えて言えば、彼らが劇中世界のドキュメンタリー映画『ヤマトという時代』を介して、イスカンダルへの航海とガトランティスとの戦いを俯瞰した可能性はあります。

お分かりいただけたでしょうか。『2205』が「次世代のファン」に向けた物語を作品に盛り込む時、『2205』に登場する「次世代のキャラクター」は、「次世代のファン」と同じ目線を持っているのです。『2205』に参加する「次世代」の人々にとって、「宇宙戦艦ヤマト」(宇宙戦艦)と『宇宙戦艦ヤマト』(アニメーション作品)は”これから乗り込む”存在。彼らがまだ十分に知らない、独自の歴史も世界観を持った存在であるとも言えます。

シリーズものの作品に、途中から新規層を動員する。それは並大抵のことではありません。うまくいく可能性は低い。ですが、諦めていては何も実現できません。

商業的には”『ヤマトという時代』⇒『ヤマト2205』”の最短ルートを提示しつつ、作劇的には”これまでの歴史を俯瞰し⇒これから乗り込む”という、新規層が作品世界に入りやすくなるような目線を用意してあげる。そうすれば、(実際に入ってくるかは別として)「入りやすい」作品になることは間違いないでしょう。

2021年公開予定の二つの作品がこれに挑戦するとすれば、それはとても興味深い試みになるのではないでしょうか。

*1:

【ヤマト2202】第六章はいかにして「ヤマト映画」となったか その2【ネタバレ含む】 - ymtetcのブログ

【ヤマト2202】第六章はいかにして「ヤマト映画」となったか その3 - ymtetcのブログ

【ヤマト2202】第六章の「ガンダム」的操作 - ymtetcのブログ

*2:この時に整理しています:福井晴敏の『ヤマト2202』語り パート4 - ymtetcのブログ

*3:この時に取り上げました:【ヤマト2205】まずは既出情報を整理したい - ymtetcのブログ

*4:公式HP:「宇宙戦艦ヤマト」という時代 西暦2202年の選択

*5:補足:『2199』シリーズの中でも、沢村や桐生を主役級として活かそうとした『方舟』は異彩を放っています。物語的なインパクトの弱さは否めないものの、改めて、挑戦的でいい映画だったと思います。

*6:補足:『2199』は「若者向け」を目指していたと言えますが、あくまで消極的に「若者の視聴に堪える」ものを目指していたと考えます。