こんにちは。ymtetcです。
昨日は『Λ』第7話が公開されましたね。いい回だったと思います。また改めて、じっくり読んでいきます。
今日のテーマは映画『ヤマトという時代』です。本作を考える時、やはりポイントとなるのが戦艦大和の存在。戦艦大和をめぐっては、これまでいくつか「妄想」や「予想」をしてきました*1。今日はその続きといきましょう。映画のキャッチコピーを見てみます。
〇『ヤマトという時代』キャッチコピーを解体する
映画『ヤマトという時代』のキャッチコピーはこちらです。
- 「世紀を越え、希望の光を灯し続けた伝説の艦――その全記録」
では、このコピーを5つの要素に分けてみます。
- 世紀を越え、
- 希望の光を灯し続けた
- 伝説の
- 艦(フネ)
- その全記録
この中で、どうしても引っかかるのが「世紀を越え」の部分だと思います。さりげなく書かれていますが、これは一体何を意味しているのでしょうか。
まず単純に考えれば、「世紀を越え」たのは「伝説の艦」ですから、これは劇中世界の「宇宙戦艦ヤマト(BBY01)」を指していると見ることができます。BBY01は22世紀(2199年)に生まれ、少なくとも23世紀(2205年)まで存在しています。確かに、「世紀を越え」た艦と言えそうです。
ですがこれは、冷静に考えてみると違和感もあります。例えばですが、1999年から2005年まで流行していたものを「世紀を越えて愛されたもの」と呼ぶでしょうか。それは本質的に、1974年から1980年まで流行していたものと大きな違いはありません。2199年から2205年の幅は、「世紀を越え」と呼ぶには少しスケールが小さいのです。
ここから、「世紀を越え」はBBY01だけを指した言葉ではないと推測できます。すると、おおよそ以下の二つの見方が、ここに追加できると思います。
一つ目は、「世紀を越え」ているのは20世紀(1974年)から21世紀(2021年)まで新作を生みだし続けている現実世界のアニメ『宇宙戦艦ヤマト』だという見方です。福井さんは、イントロダクションで「シリーズ未見の方」に向けて「伝説の艦に乗り込む絶好のチャンスをお見逃しなく」と述べています。この時、「伝説の艦」とはアニメ『宇宙戦艦ヤマト』シリーズを指した比喩表現ですから、キャッチコピーにおいてもその意味が込められていると考えた方が自然です。
ちなみに、今回私が語りたいのは二つ目です(笑)。
二つ目は、「世紀を越え」ているのは劇中世界の戦艦大和だという見方です。
戦艦大和そのものが生きたのは20世紀です。そして21世紀の今も、戦艦大和は確実に語り継がれています(現実世界では、戦艦大和の継承に『宇宙戦艦ヤマト』も一役買っています)。その意味で、大和は「世紀を越え」た存在です。
劇中世界に目を向ければ、皆様もご存じの通り、22世紀(2145年)に戦艦大和が再び注目される機会がやってきています。「第二次世界大戦終結二百年祭」です。この時点においても、大和は「世紀を越え」た存在になっているわけです。
こうして「世紀を越え」ているのが戦艦大和だと仮定すると、キャッチコピーのその他の表現もまた、戦艦大和に当てはめて考えることが可能になってきます。映画『ヤマトという時代』で戦艦大和がどのような存在として描かれるのかも、見えてくるわけです。
すなわち、
ということです。
映画『ヤマトという時代』の戦艦大和は、劇中世界において「希望の光を灯し続けた」存在であり、「伝説」でもあるのでしょう。そして、劇中世界において戦艦大和が果たしたその役割の延長線上に、劇中世界に「希望の光を灯し続けた」「伝説」の宇宙戦艦であるBBY01が位置づけられていく。
このようにして、映画『ヤマトという時代』は戦艦大和と宇宙戦艦ヤマトを「世紀を越え、希望の光を灯し続けた伝説の艦」として一体化させるのではないでしょうか。
〇宇宙、戦艦、ヤマト
11月12日の記事で、「宇宙戦艦ヤマト」の7文字が持つ有形無形の力について言及しました。「宇宙戦艦ヤマト」とは、劇中のメカだけではなく作品のタイトル(『宇宙戦艦ヤマト』)を指す文字列でもありますが、この7文字は、
- 宇宙
- 戦艦
- ヤマト
という三つの要素を持っています。
最初の『宇宙戦艦ヤマト』(1974年)は、戦艦大和と宇宙戦艦ヤマトの繋がりを濃く描いた作品でした。このナレーションがそれをよく示しています。
ナレーション:一体、14万8千光年という、気の遠くなるような長い旅路に耐えられる宇宙船は、地球にあるのだろうか。そうだ、ヤマト(大和)しかない。だがヤマト(大和)は、260年の眠りから、未だに覚めない。それでも放射能は、刻々と地球を侵し続けている。人類絶滅まで、あと一年もかからないだろう。
このナレーションが象徴しているように*2、最初の『宇宙戦艦ヤマト』における「宇宙戦艦ヤマト」の文字列は、「宇宙、戦艦ヤマト」だと認識されています。言い換えるなら、「宇宙の戦艦ヤマト」。「宇宙戦艦ヤマト」とは、「戦艦大和が宇宙を飛んでいる」ものでもあるのです。
一方、これをリメイクした『宇宙戦艦ヤマト2199』(2012年)は、戦艦大和と宇宙戦艦ヤマトの繋がりを意図的に、敢えて曖昧な形で描きました。それ自体を批判しようとは思いません。しかし、『2199』における「宇宙戦艦ヤマト」の文字列は、あくまで「宇宙戦艦、ヤマト」だったと言えます。言い換えるなら、「宇宙戦艦のヤマト」。『2199』の「宇宙戦艦ヤマト」とは、ただ「ヤマトの名を持つ宇宙戦艦」だったのです。
〇”当たり前”を再定義する
「宇宙戦艦ヤマト」。試しに、声に出して読んでみましょう。
何も違和感はないはずです。
ファンにとって、「宇宙戦艦ヤマト」はとてもとても”当たり前”の言葉であり、我々はこの言葉を口にする時、その意味を深く考えることなどしません。
ですが、この7文字の意味を解釈しようとした時、それは「宇宙の戦艦ヤマト」なのか、「宇宙戦艦のヤマト」なのか。あるいは(第一作『ヤマト』がそうだったように)両方の意味を含めて考えるのか。作り手が「宇宙戦艦ヤマト」をどう解釈・定義するかによって、劇中で描かれる「宇宙戦艦ヤマト」の姿は変わってくるはずです*3。実は、この7文字をどう解釈するか、どう定義するかは大切な問題なのです。
そして、これは『宇宙戦艦ヤマト』という作品のアイデンティティに関わる問題です。新作のメインテーマに据えることも可能だと思います。特にこれは『2199』が敢えて避けた問題なので、挑戦することはそれなりの意味があると言えます。
福井晴敏さんは『2202』で、シリーズ最大のヒット作『さらば宇宙戦艦ヤマト』のサブタイトル「愛の戦士たち」の再定義に挑戦しました。そして『2205』では、「新たなる旅立ち」の再定義をしてくることでしょう。ならば、映画『「宇宙戦艦ヤマト」という時代 西暦2202年の選択』においても同様の再定義があるかもしれません。
このような流れを踏まえた時、私は、この映画で福井さんが
- 「宇宙戦艦ヤマト」の再定義
に挑戦する可能性もあるのではないかと思えてきます。それも、旧作と同じ「宇宙の戦艦ヤマト」像を取り入れることによって再定義するとしたら、その手法は、
使い古されようが陳腐化しようが、オリジナルが発信した言葉をテーマごと引き受けなければ、一時代を画したその力を取り込むことはできない。
と宣言して、「愛の戦士たち」を再定義した『2202』の手法とよく似ています。「宇宙戦艦ヤマト」という言葉をテーマごと引き受けて、一時代を画したその力を(新作に)取り込むのです。
リメイクシリーズ「宇宙戦艦ヤマト」という言葉を、戦艦大和と一体化させることにより、「宇宙の戦艦ヤマト」として再定義する。
福井さんは『ガンダム』でも『ヤマト』でも”当たり前の言葉に新解釈を与えてファンを揺さぶる”ことをやってきました。しかも福井さんは、そのやり方を自分自身の売りとして、『2202』の企画メモで肯定的に書いています。そんな福井さんが、わざわざ『「宇宙戦艦ヤマト」という時代』なるタイトルの映画に戦艦大和を登場させる。
ならば、これくらいの仕掛けがあっても不思議ではない、と、私は思います。
*1:
加速する妄想話:映画『ヤマトという時代』 - ymtetcのブログ
戦艦大和の復活物語として:『ヤマトという時代』 - ymtetcのブログ
*2:「14万8千光年の旅路に耐えられる宇宙船はあるのか?」との問いに「そうだ、大和しかない」と即答するのは、普通に考えると「なんでそうなる???」とツッコむところです。ですが、これに「なんかわかる気がする」と感じてしまうのも、戦艦大和イメージの不思議なところだな、と私は思います。
*3:ちなみに『Λ』は、現時点では「宇宙」「戦艦」「ヤマト」「宇宙戦艦」「戦艦ヤマト」にそれぞれの意味を与えようとしているように見えます。