こんにちは、ymtetcです。
歌詞を読んで「ヤマトらしさ」を考えるシリーズ。今日は『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』の主題歌、「ヤマトより愛をこめて」(作詞:阿久悠、作曲:大野克夫、編曲:宮川泰、歌:沢田研二)を読んでいきます。
これまでのシリーズでは、一つの記事で歌詞の解釈とそこからの「らしさ」考察を両方行ってきましたが、今回は分離させることにしました。理由は……「ヤマトより愛をこめて」がとても奥深かったからです。そして、とてもロマンチックだったから。一日では到底処理できませんでした。
歌詞は一人一人の心にどう届いたのかが一番大切であり、ゆえに他者の解釈にはあまり意味がありません。とはいえ、この詞の奥深さや魅力、そしてこの詞を自分なりに考えることの楽しさが伝わるように、書いていけたらと思います。
〇「ヤマトより愛をこめて」歌詞
これまでは「各々で歌詞を調べてきてください」と書いてきましたが、JASRACの認可を得たサイトであればOKとのことらしいので、(一応、はてなブログもOKらしいですが)今日はリンクを貼ってみます。
ここから、まずは歌詞を解釈していきましょう。
〇歌詞解釈
<一番>
君が愛する人を見つけたならば、
君はその人を守ればいい。
愛する人を守ることには、君の全てを捧げる価値があるのだから。
僕ら人間一人一人の心は、愛する人のためにあればいい。
ヤマトから、ヤマトを愛してくれた君へ。未来ある君の人生には、これから色々なことがある。でも今は、一つだけ覚えておいてほしい。誰かを愛することには、とても価値があるのだということを。
今はさよならと言いたくない。近い未来、君が愛する人と出会った時、ヤマトのことを思い出してほしい。君がヤマトを覚えている限り、そこにヤマトはいる。その時、また君に会えるだろう。
<二番>
歌と愛に溢れた、平和な未来が訪れたなら、
君はその平和を大切にすればいい。
そこにはきっと、君が誰かを愛した証が刻まれているはずだ。
僕らが未来を想うときには、ただ誰かを愛することを考えていよう。
ヤマトから、ヤマトを愛してくれた君へ。未来ある君の人生には、これから色々なことがある。でも今は、一つだけ覚えておいてほしい。誰かを愛することには、とても価値があるのだということを。
今はさよならと言いたくない。近い未来、君が愛する人と出会った時、ヤマトのことを思い出してほしい。君がヤマトを覚えている限り、そこにヤマトはいる。その時、また君に会えるだろう。
〇解説
この詞のタイトルは「ヤマトより愛をこめて」。英語で言うなら”From YAMATO with Love"。すなわちこの詞は、「ヤマト」から何者かに宛てたメッセージです。
では、これは誰に宛てたものなのでしょうか。
この答えはとてもシンプルなものでした。
ヤマトを愛してくださった皆さん・・・・さようなら
もう 二度と 姿を
現わすことはありません
でも きっと 永遠に
生きているでしょう
あなたの 胸に
心に
魂の中に
(『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』)
現代の若者たちの胸の中に芽生えた、ロマンの”芽生え”を私は信じて”詩”をつくったつもりである。
”From YAMATO with Love"。愛をこめて、ヤマトを愛してくれた君へ。ヤマトから、今を生きる少年少女たちに贈るメッセージ。言い換えれば、「まだ本当の愛を知らぬ若者たちに、愛の大切さを伝えておく」ことが「ヤマトより愛をこめて」の主題なのだと私は考えます。
では以下に、歌詞の順に沿って解説をしていきます。
- 「その人の優しさが」~「値打ちがある」
君が愛する人を見つけたならば、
君はその人を守ればいい。
愛する人を守ることには、君の全てを捧げる価値があるのだから。
「ヤマトより愛をこめて」は、これまでの主題歌以上に解釈が分かれる部分が多いだろうと思います。この、一番の冒頭部分もそうですね。
「その人の優しさが花にまさるなら」。「体を投げ出す値打ちがある」。優しい人、美しい人なら体を投げ出して守る価値があるんだよ、という話ではないはずです。
花にまさるほど優しい人。星にまさるほど美しい人。それはきっと客観的な優しさや美しさを指しているのではなく、どこまでも主観的な「愛」を指しているのだろうと思います。すなわち、「誰が何と言おうと僕の愛する人は花よりも優しく、星よりも美しいんだ」という「愛」です。とても純粋な「愛」のあり方です。「愛」の強い肯定が『さらば』の特徴ですから、映画のテーマと合致した「理想化された愛」の表現だと言えます。
詞に戻りましょう。ここでは、歌詞の「ならば」を広めに解釈して「君が愛する人を見つけたならば」としました。君が星よりも美しいと思った人、それが君の愛する人なんだよ、そんな人を見つけたなら、君は人生をかけてその人を守るんだよ、というメッセージですね。
- 「ひとりひとりが」~「ためだけでいい」
僕ら人間一人一人の心は、愛する人のためにあればいい。
ここの解釈は比較的、分かれないだろうと思います。いや、十分ここも難しい歌詞なのですが、他の部分がもっと難しいので(笑)。
今回は、「ひとりひとりが思うこと」を「一人一人の心」と解釈してみました。何を考えるにも「愛する人のため」を考えられたらそれでいいよね、というメッセージです。
- 「君に話すことが」~「それだけかもしれない」
ヤマトから、ヤマトを愛してくれた君へ。未来ある君の人生には、これから色々なことがある。でも今は、一つだけ覚えておいてほしい。誰かを愛することには、とても価値があるのだということを。
ここが一番やりがいのあるところでした。ポイントは「今はそれだけかもしれない」です。
「今はそれだけかもしれない」。なら、今後はそれだけじゃないかもしれないということですよね。今後はそれだけじゃないかもしれないけど、今ヤマトが言えるのはそれだけかもしれない、と、この詞は言っているわけです。
ここから、「今はそれだけかもしれない」を「これから色々なことがある」まで含んだ表現だと解釈してみました。君の人生にはこれから色々なことがあって、もう君の未来にヤマトはいないのだけれど(ここ重要)、ヤマトが残したことは覚えておいてほしい。そんなメッセージとして。
- 「今はさらばといわせないでくれ」
今はさよならと言いたくない。近い未来、君が愛する人と出会った時、ヤマトのことを思い出してほしい。君がヤマトを覚えている限り、そこにヤマトはいる。その時、また君に会えるだろう。
ここが最難関でした。「今はさらばといわせないでくれ」。どういう意味だろう?と。
そこで一つ思い至ったのが、(二度と会えないかもしれない)別れ際を描く時の定番のセリフ、「さよならなんて言いたくない」でした。
そもそもこの曲は、『宇宙戦艦ヤマト』最終作のエンディングテーマとして作られていますので、「別れのメッセージ」という側面も持っています。テロップにあるように「もう二度と姿を現わす」ことはないのですから、この映画のラストシーンが、「君」と『ヤマト』の今生の別れになります。
もう『ヤマト』は「君」に会えないし、もう「君」は『ヤマト』には会えない。
だけど「さよならなんて言いたくない」。
「さよならと言いたくない」に対する返しとして定番なのは、「またね」です。再会への微かな希望を残す言葉が、かえって別れの切なさを引き立てるんですよね。これは形を変え、色々な作品で描かれてきたものだと思います。
この「ヤマトより愛をこめて」も、そうなのではないかと考えました。
特にこの詞の肝になっているのは、この映画を見ている「今の君」が、必ずしもヤマトの「愛」を100%理解することはできないだろう、という作り手の考えだと思います。つまり、「いつかヤマトの言っていることが本当に理解できる日が来るよ」という言外のメッセージが、この詞には込められているような気がするんです。
もしも「君」が将来本当に愛する人を見つけた時、「ああ、ヤマトが言っていたのはこういうことだったんだ」と思ったなら、それは「君」とヤマトの再会。こうしてヤマトは「愛」という大切なものの象徴として、「君」の中に「永遠に」生きることができる。だから覚えておいてほしい。覚えていてくれたなら、また会えるよ。
このようにして、『さらば』のテロップと「今はさらばといわせないでくれ」を結びつけて解釈してみました。
- 「いつの日か」~「ためだけでいい」
一番でこの詞のテーマは語りつくしたような感じもしますが、二番にも一つ気になる部分があります。
「唇に歌が」「胸に愛が」は、いずれも「平和」の象徴と解釈しました。そしてその平和には、「たしかに愛した証がある」。
これは、『ヤマトよ永遠に』の主題歌「愛よその日まで」にも通じる”誰かを愛することが未来の平和に繋がる”との思想だと思います。だから、「遠い明日」を思うときにも、「愛する人のためだけでいい」。それが一番大切なんだ、と。
これについては、また考察パートで考えていくことにしましょう。
〇次回にむけて
今回は「ヤマトより愛をこめて」の歌詞解釈と、その解説にしてみました。
次回はこれを踏まえて、
- 「ヤマトより愛をこめて」で語られたものは何か(今回と重複しそうですね)
- 「ヤマトより愛をこめて」から読み取れる「らしさ」は何か
- 『2202』にとって「ヤマトより愛をこめて」はどんな主題歌だったのか
などの問題を考えてみたいと思います。