ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

本予告公開:映画『ヤマトという時代』

こんにちは。ymtetcです。

宇宙戦艦ヤマト』公式が、大きな動きを見せました。動きがあるとすれば『ヤマトマガジン』より後だろうと考えていたので、少々意外でした。

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「絵が出来てる!」がファーストインプレッションでしたね(笑)。

では今日も、思ったことを書き連ねていきましょう。

〇「私も、選択をしたのです」

まずは、印象的な真田さんのセリフに注目します。

私も、選択をしたのです。古代が、皆さんがそうしたように。

当然ながら、新規録音のセリフです。また、新規カットも使われています。恐らくは、ドキュメンタリータッチで「当事者の心情」を描く場面でしょう。インタビュー的な雰囲気かもしれません。

「古代」や「皆さん」の「選択」は、『2202』最終話のものを指していると思います。古代の方はちょっと微妙ですが、少なくとも「皆さん」の方は、あの国民投票を指していると見て間違いありません。ただ、今回の予告編編集では、「皆さん」は『2202』のそれぞれのキャラクターに当てられています。彼らも皆「選択」をしているので、こちらの解釈をとる可能性も、なきにしもあらずです。

ここで問題となるのは、真田の「選択」です。真田も「選択」をした。一体、何の「選択」なのでしょうか。「真田の選択」はここまでの『2199』『2202』では、ほとんど描かれていない要素です。

そこで、真っ先に思い浮かんだのが波動砲でした。

真田:それと、もう一つ。

新見:技術科情報長の新見です。我々はその波動エンジンの莫大なエネルギーを応用した兵器を完成させ、ヤマト艦首に搭載することに成功しました。

雪:兵器……ですか?

新見:次元波動爆縮放射機。便宜上、私たちは”波動砲”と呼んでいます。

(『宇宙戦艦ヤマト2199』第3話)

『2199』第3話では、波動砲は新見たちが(つまり、真田が)作り上げたと明かされています。また第19話には、ユリーシャが沖田に「作ってしまった 真田が」と語るシーンもあります。

『2202』で起きた波動砲をめぐる出来事の起点は、地球側においては真田にあった。だとすれば、真田が波動砲を作ったことを「選択」と呼び、回顧しても不思議ではありません。ちなみに時間断層の可能性も考えましたが、『2202』第3話を観るに、真田は時間断層には関わっていないようでした。

さて、『ヤマトという時代』が再び「波動砲」を中心課題として取り上げる可能性が、にわかに私の中で浮上してきました。また、それとは別に、実は「ヤマトより愛をこめて」の歌詞を読みながら、ひとつ、「波動砲」について考えていたことがありました。

皆さんはリメイク版『ヤマト』を完結させるとしたら、どんなラストがいいと思いますか? 旧作同様、ヤマトを「永遠の旅」に旅立たせたり、沈めたりするのがよいですか?

私は「ヤマトより愛をこめて」を読みながら、一つの答えに辿り着きました。もしリメイク版『宇宙戦艦ヤマト』が完結するなら、

がラストシーンだったらいいな、と思います。恐らくは、同じことを考えている人も少なくないでしょう。人類が波動砲を手放す、そのことの象徴として、ヤマトから波動砲を取り外すのです。これならば、ヤマトを沈めずに済みます。そして『2199』だけでなく、『2202』があったからこその感慨深さと感動を演出することができるでしょう。

しかし、簡単な道のりではありません。ヤマトが波動砲を封印する日、それは人類が、永遠の平和を確信できた日です。だからそこまでの物語で、とことん「平和」への道筋を追求しなくてはならない。そこに至るまで、一体何年、何作かかるかは分かりません。ですが一観客としては、リメイク『ヤマト』を大団円で完結させるなら、このラストの「絵」はアリだと思っています。

もし『ヤマトという時代』が波動砲をその話題の一つとして設定し、この問題意識が『2205』にも引き継がれるのであれば、今後こういった展開もあり得るかもしれませんね。

〇「大いなる変革の時」とは?

20世紀末から人類はいくつもの危機に直面した。環境破壊、疫病の流行、国家間の対立。そして2191年、地球外知的生命体との初めての接触が、人類を絶滅の淵に立たせることになった。

人類を救うべく、未知の宇宙へと飛び立った艦、宇宙戦艦ヤマト。大いなる変革の時が、いま始まる。

今回の本予告には、こんなナレーションがついていました。

誰がこのナレーションを書いているのかは不明ですが、「20世紀末」としているあたり、「苛酷な時代」の起点を1991年に求める福井さんらしい発想だな、と思います。

ただ、気になるのは「大いなる変革の時」なんです。これは正直、私にも全く分かりません。あまりにも唐突な表現だからです。

とはいえ、ここで引き下がるのも悔しいので、今考えられるなりに考えてみます。

ナレーションが語っているのは、まず、「20世紀末から」人類が直面してきた「危機」です。環境破壊、疫病の流行、国家間の対立、地球外知的生命体との接触。前者二つは我々が現実でよく知るもの、後者二つは映画で描かれるものだと思います。

この「危機」に起ち上がるのが宇宙戦艦ヤマトなのだ、と。ナレーションはこのような順序をとります。そして、「大いなる変革の時が、いま始まる」と続きます。

このナレーションを正直に読むなら、「大いなる変革」とは宇宙戦艦ヤマトのもたらしたものだ、との可能性が生じてくると思います。つまり、(「日本人」でも「〇〇人」でもなく)「人類」の救世主として宇宙戦艦ヤマトが出現し、世界は「大いなる変革の時」を迎えた、というわけです。

なお、『2199』から『2202』の間に、劇中世界では「国連」が「地球連邦」に再編されています。地球連邦は、「ガミラス大戦」の戦後秩序を作り上げる上で構想された枠組みなのでしょう。本編ではしれっと変更されていたこの部分ですが、250年以上も続いた「国連」が解体・再編されたと考えると、結構大きな問題ですよね。「国際連合」ではなく「地球連邦」で、なおかつ大統領は一人。そこに一体どんな社会と暮らしがあるのかは、ちょっと考えてみたい問題です。

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先日、鮫乗り様が素晴らしい記事をブログに投稿しておられました。この記事の素晴らしい点は、映画のテーマである「人類が宇宙に出た理由」を「地球人」の視点から予想しておられる点です。コメントにも書いてありますが、「地球人」意識という一つの軸で映画を作るなら、宇宙戦艦ヤマトアポロ計画が同じ軸の上で語られても違和感はないですよね。

かつて「宇宙船地球号」という言葉もありました。環境問題などの「危機」に直面する中で、すでに我々は「地球人類」としての自覚を(無意識的にでも)持っているのです。鮫乗り様が注目された「地球人」は、現実世界と劇中世界をつなぐキーワードになるかもしれません。

〇メカ描写に好感

さて、ひとしきり本予告から考えたところで、最後に率直な感想を述べます。

新規カットのメカ描写、とても好みでした(笑)。

メカには疎いのでここは専門的な分析を待ちたいと思いますが、まずはガミラスにせよ地球側にせよ、『2199』をイメージした艦の配置をしている点が好みでした。艦をどう配置するかは、『2199』と『2202』で異なっていましたからね(やや『2199』よりも間隔が狭い感じはしますが)。私は『2199』の方が好きだったので、今回の映画の雰囲気には好感を覚えています。

特に、ガミラス艦隊を後方から撮ったあのカット。「殲滅のメロディー」や「ガトランティス恐るるに足らず」を思い起こさせてくれます。あれは『2199』でよく見たアングルでした。このような『2199』オマージュも、今作には入ってくると思います。

無論、メカのディテールは『2199』には及びませんが(というより『2199』が良い意味でおかしい)、今回は光の当て方を工夫することでメカの「のっぺり」感を軽減しようとしているように思いました。あるいは、もっと奥深い工夫がなされているかもしれません。前回の『2202』はここの工夫が「紋様」でしたので、その意味では今回のアプローチの方が、私の好みには合っているかなと思います。

とはいえ、アンチ『2202』的かというと全くそうではなく、予告に登場する地球艦隊の自己照明は『2202』の地球艦隊に通じる描写でもあります。両作品からいいと思った要素を取り入れながら、新しいメカ描写にチャレンジしてほしいですね。

 

ということで、思いの丈をつらつらと書いていきました。もう何より、「絵が完成しつつある」ことに安堵しています(笑)。映画にあまり多くの新規カットはないはずなので、この調子なら『ヤマトという時代』は大丈夫そうですね。『2205』も大丈夫だと、信じて待つことにします。