ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

【歌詞解釈】「ヤマトより愛をこめて」を考える(後編)

こんにちは。ymtetcです。

〇はじめに

今日は「ヤマトより愛をこめて」の考える編です。「旧ヤマトらしさ」に着目するのがこのシリーズのテーマですが、今回は必ずしも前向きな「らしさ」ばかりではありません。しかしながら、この曲が持つ宇宙戦艦ヤマト』最終作としての「らしさ」は、リメイク時代を生きる私たちに大きなヒントを与えてくれていると思います。

〇前回の振り返り

最初に、前編で書いた私なりの「ヤマトより愛をこめて」解釈を振り返っておきます。

<一番>

君が愛する人を見つけたならば、

君はその人を守ればいい。

愛する人を守ることには、君の全てを捧げる価値があるのだから。

僕ら人間一人一人の心は、愛する人のためにあればいい。

ヤマトから、ヤマトを愛してくれた君へ。未来ある君の人生には、これから色々なことがある。でも今は、一つだけ覚えておいてほしい。誰かを愛することには、とても価値があるのだということを。

今はさよならと言いたくない。近い未来、君が愛する人と出会った時、ヤマトのことを思い出してほしい。君がヤマトを覚えている限り、そこにヤマトはいる。その時、また君に会えるだろう。

<二番>

歌と愛に溢れた、平和な未来が訪れたなら、

君はその平和を大切にすればいい。

そこにはきっと、君が誰かを愛した証が刻まれているはずだ。

僕らが未来を想うときには、ただ誰かを愛することを考えていよう。

ヤマトから、ヤマトを愛してくれた君へ。未来ある君の人生には、これから色々なことがある。でも今は、一つだけ覚えておいてほしい。誰かを愛することには、とても価値があるのだということを。

今はさよならと言いたくない。近い未来、君が愛する人と出会った時、ヤマトのことを思い出してほしい。君がヤマトを覚えている限り、そこにヤマトはいる。その時、また君に会えるだろう。

・「ヤマトより愛をこめて」とは何か

前編において、私は「ヤマトより愛をこめて」を「愛をこめて、ヤマトを愛してくれた君へ。ヤマトから、今を生きる少年少女たちに贈るメッセージ」と解釈しました。

後編ではより分かりやすく、「ヤマトを愛してくれた君たちに贈る、ヤマトからの最後のメッセージ」とでも言い換えておきましょう。

〇『さらば』主題歌としての「ヤマトより愛をこめて」

この「ヤマトより愛をこめて」は、『さらば宇宙戦艦ヤマト の戦士たち』の主題歌として、「君」にどのようなことを語りかけていたのでしょうか。大きく二点に分けて、考えてみたいと思います。

・「愛の戦士たち」を描く『さらば』

「ヤマトより愛をこめて」は、「愛の戦士たち」の戦いを描く映画『さらば』の主題歌でした。それ故に、この詞は以下のことを「君」に対して語りかけています。

  • 人間にとって一番大切なものは愛することだ(一番)

人間にとって、一番大切なものは、愛することだ。でも、ぼくが一番大切なものは君だ。君への愛だ。

古代進、『さらば宇宙戦艦ヤマト』より)

劇中で古代が語っていた思想ですね。「ひとりひとりが思うことは愛する人のためだけでいい」のフレーズに、この古代の想いが反映されていると思います。

また、この詞にはもう一つ、

  • 愛することが明日の平和に繋がる(二番)

との思想も盛り込まれていると言えます。これは二番冒頭の歌詞の流れが、「愛よその日まで」の冒頭とよく似ていることがその根拠です(細かく見ると違いもあって、それがまた興味深いのです)。これはある意味、後期ヤマト作品における「愛の大切さ」の根本となる思想だったと私は思います。

・「さらば」する『さらば』

二点目は『さらば宇宙戦艦ヤマト』の「さらば」要素そのものに着目します。今となってはつい忘れてしまいがちなのですが、「ヤマトより愛をこめて」は宇宙戦艦ヤマト』の最終作である映画『さらば』の主題歌でした。この事実も見逃すことはできません。すなわち、この詞は、ヤマトから「君」に対する別れの言葉であり、最後のメッセージなのです。

その中で、「ヤマトより愛をこめて」には以下のメッセージが含まれていたと考えます。

  • ヤマトは去るが、どうかヤマトが描いた「愛」を忘れないでほしい。
  • ヤマトは去るが、君たちが忘れないでいてくれる限り、ヤマトは君たちの中で生き続ける。
  • ヤマトが描いた「愛」を忘れないこともまた、明日の平和に繋がる。

これらのメッセージの発露が、一番と二番で共通している歌詞「君に話すことがあるとしたら今はそれだけかもしれない」「今はさらばといわせないでくれ」であると私は考えます。

とはいえ、この歌詞だけでは解釈の分かれるところですので、先の例にならって、『さらば』から根拠を引用してみます。

ヤマトを愛してくださった みなさん

さようなら・・・・

あなたの生きるかぎり

ヤマトも永遠に生きつづけるでしょう

あなたがヤマトを想うとき いつも

これだけは思い出すでしょう

ひとは他人を幸せにしたとき

はじめて自分も幸せになれると

いうことを・・・・

これはいわゆる「変更版」のテロップです。「もう二度と姿を現わすことはありません」が消されたことから、一種の「改竄」とみなされているものです。ただ、私はこれはこれで、『さらば』の本質をよく表現していると思っています。

命というのは、たかが何十年の寿命で終わってしまうような、ちっぽけなものじゃないはずだ。この宇宙いっぱいに広がって、永遠に続くものじゃないのか。(略)しかし、世の中には、現実の世界に生きて、熱い血潮の通う幸せを作り出すものもいなければならん。君たちは、生き抜いて地球に帰ってくれ。そして俺たちの戦いを、永遠に語り継ぎ、明日の素晴らしい地球を作ってくれ。

古代進、『さらば宇宙戦艦ヤマト』より)

古代が島たちに語る「世の中には、現実の世界に生きて〜」以下の言葉は、画面の向こうにいる「君」へのメッセージだとも解釈できます。

ヤマトは去るけれど、ヤマトの戦いは忘れないで欲しい、語り継いで欲しい。それならヤマトは「永遠に生きつづける」ことができる、と。ヤマトはいなくなるけれど、ヤマトのこれまでの戦いを語り継いでいくことが、明日の平和に繋がる。

それもまた、『さらば』が描いたテーマの一つでした。「ヤマトより愛をこめて」にもまた、その思想が盛り込まれていたと考えます。

〇「ヤマトより愛をこめて」から見る「ヤマトらしさ」

ではここから、どのような「ヤマトらしさ」が読み取れるのでしょうか。

これがこの企画のメインなのですが、実はここでとても苦戦しました。

当然ながら、「ヤマトより愛をこめて」が描いているのは『さらば』のテーマです。だからこそ「愛」や「別れ」がキーフレーズになってきます。つまり、「ヤマトらしさ」というよりは、『さらば』だからこその「さらばらしさ」。そして、この「さらばらしさ」は第一作『ヤマト』にはほとんど見られなかったものであり、むしろ、『ヤマト2』以降の『宇宙戦艦ヤマト』作品で見られるようになるものです。

見方を変えれば、ここに描かれている「らしさ」は、「蛇足」などと言われてきた後期の『ヤマト』作品がもっていた思想的な「らしさ」だと言えます。すなわち、これまで見てきた「戦艦大和らしさ」などの技法上の「らしさ」とは違って、今日の我々から見れば必ずしも、全てをそのまま肯定的に参照できる「らしさ」ではないのです。それが、この「らしさ」の難しさに繋がっていると私は思います。

ですので、今日はいつもよりも少し抽象化して、「らしさ」を捉えてみましょう。

「ヤマトより愛をこめて」から見る「ヤマトらしさ」。

それはまず、第一に

  • 「生き方」を語ること

だと考えます。分かりやすく言うなら、メッセージ性の強さです。人間はどう生きるのか? そこに対する答えを ヤマトの戦いを通じて 描き、提示していくことが、この「ヤマトより愛をこめて」から読み取れる「ヤマトらしさ」なのではないでしょうか。

「ひとりひとりが思うことは愛する人のためだけでいい」。「遠い明日を思うことは愛する人のためだけでいい」。ここで語られているのは、一人一人の人生において本当に大切なものは何か、という問いに対する『ヤマト』なりの答えです。このように、『宇宙戦艦ヤマト』作品では随所に「生き方」が語られていきます。それは最初の『ヤマト』においては第24話から、『さらば』、『ヤマト2』……そして、「明日を信じろ」の『方舟』や、「生きて恥をかけ」「なくしたくないものを得るために生きる」の『2202』にまで繋がる「らしさ」と言えるかもしれません。

「生き方」を語ること。それは決して『ヤマト』の魅力の根幹ではないかもしれませんが、見逃せないことだと私は思います。

さて、「生き方」があるならば「死に方」もあります。これが第二点の「らしさ」です。

『さらば』のラストシーン、そして「ヤマトより愛をこめて」は、

  • 強いメッセージ性を持つ別れ

を描いています。これがもう一つの「らしさ」です。

『さらば』におけるヤマトの「永遠の旅」は、文字通り観客とヤマトの永遠の別れ(になるはずだったもの)でした。

その中で『さらば』を特徴づけているのは、ヤマトが「さらば」すること自体、そこに強いメッセージ性が込められていたということです。ヤマトが死ぬ。古代が死ぬ。それは「愛は何より大切だ」の実践として描かれていたのです。

愛=平和を乱すものに対しては、われわれは命を賭けて戦わなければなりません。これはけっして戦争を肯定するものではなく、これこそが愛に向かうわれわれの姿勢であり、実体化された愛ではないだろうかというのが、パート2の基本テーマです。ヤマトはこのテーマ=愛をしょって、みんなに見守られながら宇宙空間へ消えていくというわけです。

(「西崎プロデューサー ヤマト2を語る!!」『ロマンアルバム DELUXE アニメージュ増刊 さらば宇宙戦艦ヤマト徳間書店、1978年9月、90頁。)

もちろん、人々がこの映画で涙していた背景には、「ヤマトが終わって寂しい」という”ヤマロス”的な側面もあったとは思います。ですがそれ以上に、ヤマトの死に特別なメッセージ性が込められていたことが、やはりあの感動の背景としては大きいわけです。

シリーズが完結する以上、何らかの形で観客とヤマトは「別れ」なくてはなりません。それを感動的なものとして描く時、大切なのは「死」ではないと私は思います。大切なのは、その「別れ」にどのようなメッセージが込められているか、なのではないでしょうか。その意味で、この「ヤマトより愛をこめて」が持つ強いメッセージ性は、今後の『宇宙戦艦ヤマト』作品にとっても重要なヒントを与えてくれたと思います。

〇おわりに

「生き方」を語ること。

強いメッセージ性を持つ「別れ」を描くこと。

これが今回、「ヤマトより愛をこめて」を読みながら考えた「ヤマトらしさ」でした。

特に後者は、現在進行形のリメイク・ヤマトにいいヒントをくれるものだと思います。「本予告公開」の記事で、すこし触れたお話ですね。

リメイク・ヤマトのラストシーンを、どのように描くか。これまでの『宇宙戦艦ヤマト』シリーズは、『さらば』にせよ『完結編』にせよ『実写版』にせよ、最後にはヤマトが爆発することによって、「完結」を印象付けていました。

これは、「『宇宙戦艦ヤマト』の最後」は「戦艦大和の最期」に近いものであるべきだ、という発想なのかもしれません。その意味では「戦艦大和らしく」、「ヤマトらしい」「完結」なのかもしれません。

ですが私には、これは「死」でしか物語を終わらせることができなくなっていった「末期」の『宇宙戦艦ヤマト』の「らしさ」にも見えます。

だからこそ私は、これからの『宇宙戦艦ヤマト』のラストシーンは、「生」を描くものであってほしいのです。ちょうど『方舟』や『2202』がそうしたように、です。

例えば、ヤマトが武装を取り外す。波動砲を取り外す。それは、ヤマトはもう「地球を救う使命を帯び」る必要がないんだ……というメッセージであり、「我々の知る宇宙戦艦ヤマトとの別れ」でもあります。もしもそんなラストを描けたなら、それは強いメッセージ性を持つ「別れ」、新たな『宇宙戦艦ヤマト』の最終回たりえるのではないでしょうか。

ということで、前回の記事で書いたような話に繋がっていきます。具体的なアイデアは今のところ浮かんでいないので、今後の課題としておきましょう。とはいえ、『2202』の路線を突き詰めた先にある少々おとぎ話的な最終回としては、一つの選択肢なのではないかと思います。

以上で、今日の記事はおしまいです。

「あれ?」と思っていただいた方、ありがとうございます。そうです。先日予告した「『2202』主題歌としての『ヤマトより愛をこめて』」をまだお話していません。

実はこの「ヤマトより愛をこめて」回は、これまでとは違う新しい書き方に挑戦しました。結果、先にどこまでのテーマを取り扱うのかは決まったけれど、実際どれだけの文量になるのか分からない、そんな状況で書き始めました。

ここまでの内容でひとまとまりな感じになりましたので、『2202』の内容は次回以降にまわします。よろしくお願いいたします。