ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

映画『ヤマト2199 星巡る方舟』の思い出

youtu.be

こんにちは。ymtetcです。

〇はじめに

今日はちょうど星巡る方舟の公開日(2014年12月6日)ですので、何か書きたいと思いこのテーマにしました。このブログは始めた時期の関係で、『2202』とりわけ第4章以降の内容がどうしても中心になっていますが、それは私の愛着の問題ではありません。単純に「書くことを意識して観たかどうか」によって決まっているのです。このブログで『2199』を扱うことが少なかったり、あるいはちょっと私が知識不足だったりするのは(笑)、『2199』や『方舟』がとても”軽く”消費していた頃の作品だった、というだけです。

そんな中、私はこのブログで、『方舟』をどう書いていたのでしょう。今日は、それを振り返ってみます。

〇どう見ていたか

このブログには「宇宙戦艦ヤマト2199」や「星巡る方舟」のカテゴリーがありません。それには一応、理由があります。私は当初、宇宙戦艦ヤマトに限らない(etc)話題を書こうとしていたので、宇宙戦艦ヤマトの記事には「宇宙戦艦ヤマト」というカテゴリーがつけられていたのです。次第に、私は宇宙戦艦ヤマトを書くことが楽しくなり、宇宙戦艦ヤマトの話題ばかりを書くようになっていきました。そして、「宇宙戦艦ヤマト」というカテゴリー設定が事実上意味をなさなくなった。そこで、「宇宙戦艦ヤマト」というカテゴリー名を「宇宙戦艦ヤマト2199/2202」と書き換えたんです。ゆえに、「2199」だけのカテゴリーが存在しないのです。

そこで今回は検索機能を使って、記事を読み直してみました。すると、私は『方舟』に対しては、ほとんど同じことしか述べていなかった(笑)。それはおおよそ、

  • 「後期2199」の一つ
  • 『2199』ファン向けの映画
  • 『2199』の集大成
  • 旧『ヤマト』から決別する映画

の4点にまとめられます。以下に、それぞれ振り返ってみましょう。

まずは「後期2199」です。すっかり忘れていた言葉で、懐かしいなと思いました。少し解説を加えてみます。

『2202』は、『2199』と比べてクオリティが低かったと思っています。そして、そのことを考える中で、私は「後期2199」という考え方を用いました。

  • つまり『2199』は第一章の公開前に潤沢な時間があり、しばらくは一定のペースで公開できていたことから、クオリティを維持できていた。これが「前期2199」。しかし、『2199』はテレビ放送の関係からか、途中から公開ペースを上げた。その結果、第六章の後半部から徐々にクオリティが(相対的に)下がり、第七章は未完成版で公開、『方舟』も円盤で大幅なリテイクをすることになった。これが「後期2199」。

この考え方に基づけば、『2202』には第一章の公開前に潤沢な時間がなく、「後期2199」に近い環境で作品を作っていることになります。すなわち『2202』の比較対象は「後期2199」であるべきだ……と、こういった論旨だったのです。

『2202』第四章から第五章の間に提示したこの仮説は、今ではあまり意味をなさないものと思います。その後、『2202』には第六章の公開前にまとまった時間があり、事実、『2202』としてのクオリティは第六章が一番高かったのですが、それも、『2199』とは全く比較にならないものでした。結局、作風がここまで違うものを比較しても仕方ないな、と思ったのです。特に、『2202』が「らしさ」を発揮してきた第五章以降は、『2199』と『2202』の比較はほとんど意味をなさなくなったと私は考えています。

『方舟』から少し話が逸れてしまいましたが、仮に『2199』チームが続編を作ったとしても、『2202』と同じ環境であれば、『2199』前半ほどのクオリティは示さなかったものと思います。しかし、少なくとも『2199』後半のクオリティは維持していたと考えますし、先ほども申し上げたように、そもそも作風が大きく違っていたはずなので、クオリティ云々の問題ではありません。いずれにせよ、私は『方舟』に対しては、そこまでクオリティの高い作品だったとは考えていないことが分かります。ただし、それはキャラクター作画の側面のみにおいて、です。

次に「2199ファン向け」という観点について見ていきましょう。

『方舟』のテーマの一つが、「世代交代」でした。とりわけ『方舟』で一挙に主人公クラスに躍進したのが沢村と桐生でしたが、両者は『2199』オリジナルキャラクターです。むろん古代の活躍もありましたけれども、彼は戦闘指揮をとっていただけなので、物語上のメインを張っていたのはあくまでこの両者。『方舟』の「世代交代」は、『2199』オリジナルキャラクターを中心にしたものであったと言えます。その意味で、旧『ヤマト』ファン向けではなく、『2199』ファン向けの「世代交代」をテーマにした映画であったと言えるのではないでしょうか。

同じような観点ですが、「2199の集大成」という見方もしています。

『方舟』の舞台は『2199』第24話と第25話の間ですが、この映画ではプロローグとエピローグとして、ヤマトの帰還を待つ地球側のエピソードが描かれています。冒頭は『2199』第3話の裏側で展開されていたエピソード、ラストは『2199』第26話の裏側で展開されていたエピソードです。

このように、『方舟』はシリーズ内の1エピソードでありながら、ひそかに第3話~第26話の物語を内包させています。『方舟』が『2199』の「本当の最終回」と見なされる所以は、物語の視野が第3話~第26話まで広げられていることにある、と私は考えます。

また、これと同様の言い方として、「『最後のヤマト』だったかもしれない作品」「『最後の2199』になってしまった作品」という言い方もしています。前者は『2202』も、『2205』も同様で、これから登場する『ヤマト』作品にも必要な”覚悟”だと思います。後者は、『2199』と『2202』の乖離から用いた表現ですね、

最後に、「旧『ヤマト』から決別する映画」のような見方もしていました。

『方舟』のテーマである「相互理解」は『2199』から引き継いだもので、舞台設定も『2199』の設定をふんだんに活かしています。『2199』そのものは旧『ヤマト』から様々なものを引き継いでいますが、『方舟』はその中心部において『2199』から様々なものを引き継いでいるわけです。むろん、『方舟』には『ヤマト2』や『新たなる』から引き継いだものがたくさん含まれていますけれども、それ以上に『方舟』は「『2199』らしさ」を確立した映画であったと私は考えます。

それだけに、『方舟』が『2199』以上の広がりを見せることはなく、その点が、『2202』を主導した人たちには不満であったのだ……と見ることもできるでしょう。

〇『2199』と『方舟』の思い出

このブログで書いていることは結構辛い(からい)のですが、当時はとても感動した映画ですし、今でもとてもいい映画だったと考えています。

当時の感想はどこにも書いていないので記憶の限りですが、心の中で拍手して劇場を出たことを覚えています。それから、公開翌週の映画ランキングに入っているのを見て喜んだことも(笑)。

この映画が『2199』ファン向けになったことを良くなかったことだと考えている人たちもいて、恐らく『方舟』に低評価を付けている人や、『2202』を主導した人たちがそうなのだと思います。私も、この映画が『2199』ファン向けになったことは必ずしも良いことではなかった、とは思います。ただ私個人としては、『2199』ファン向けだったからこそこの映画を「いい映画だった」と振り返ることができているのは間違いありません。

ファンから見ると、『2199』は2012年から2013年までの二年間、色々な人生と共に味わってきた作品です。この二年間で、ネットで考察も活発にされるようになって(当時、復活篇がここまで「考察」の対象になることはなかった)、ブルーレイが売れて「ヤマト数字いいよな」なんて言われたりして、でもオールドファンからの熱烈な批判もあったり、テレビ放送したら『マギ』のファンから「なんでこんなのやるんだ」と小ばかにされたり、UVERworldのファンと揉めたり……。

『2199』の二年間は、それまで「オワコン」と言われていた『宇宙戦艦ヤマト』が現役のコンテンツとして周囲と色々やり合っていくようになった、とても充実した二年間だったと思うんです。少なくとも私にとってはそうでした。

『方舟』はある意味、その集大成なんです。『復活篇』以来の完全新作劇場版。『2199』をはるかに超えた大規模公開でした。「『2199』のヒットで『ヤマト』はここまでやれるようになりました」という物語が、『方舟』の背後には流れていたと思います。そこに来て、中身は『2199』オリジナル要素をどっかりと盛り込んだスピンオフ。視野の広い旧作リスペクトも盛り込まれていて、反面、『さらば』以降の「キャラクターを殺して感動させた」歴史を繰り返さないという決意にも満ちている。とても『2199』らしい映画だったと思います。

つまり『方舟』は、その公開前の流れも、内容もすべてが「ああ、『2199』を応援してきてよかったな」と思わせてくれるようなものでした。『2199』は、『方舟』で「航海」のゴールを迎えたわけです。そこが、当時『2199』ファンであった私にとってはとてもとても幸福なことだったのだろう、と、今の私は思っています。