ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

私ここにいるよ:第8話『スターブレイザーズΛ』

こんにちは。ymtetcです。

〇はじめに

宇宙戦艦ヤマトNEXT スターブレイザーズΛ』第8話を読みました。

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ニーナの物語は、どんな形にも展開することが可能です。ニーナが主人公の設定でも面白い物語が作れると思います。

今日は、内容整理、コメント、感想の順で整理していきます。

〇内容整理

ある日、ニーナはユウの部屋を訪れました。ユウがシミュレーションで気絶してしまったようです。ニーナはとても心配そうにしています。

部屋にはリンネがいました。ユウを心配するニーナに、リンネは「リーダーって大変だよね」と声をかけます。

ニーナがリンネの手元を見ると、彼女はニーナの乗艦・マーク1を使って、ゲーム上で49キル(forty-nine)を達成していました。リンネいわく、マーク1は「もっと戦える船」。ニーナが「この戦いもゲームだったらいいのにね」と言うと、リンネは慌てて「ニーナの戦い方に口出ししているわけじゃない」と訂正します。それに対して、ニーナは「私たちが死んだらもうあとがないの」とうつむきます。

ブリーフィングのために部屋を離れるニーナを、リンネはじっと見つめていました。「ホントにいいコね…」とリンネは呟きます。

宇宙戦艦ヤマトNEXT スターブレイザーズΛ』第8話「ビハインド・クローズド・カーテン」

ユウはまたしても夢を見ていました。ニーナとアイシャが犠牲となって、ユウを守る夢です。「ユウが落ちたらもうあとがない」「アンタ リンネを助けるんでしょ」「全部終わったら迎えに来てね」。ユウは絶望の声をあげ、目を覚ましました。

その時、セイレーネスが襲来します。

今回のセイレーネスはわずか一体。警戒しながらも、艦隊は作戦行動を開始しました。ニーナが矢継ぎ早に指示を出します。

戦闘が始まりましたが、セイレーネスは、ヒューゴーとレインの攻撃に対して、逃げ回ります。二人はいらだちを隠せません。

アイシャが異変に気づきました。セカンドサイトが新たなセイレーネスを感知していたのです。マリナも異変に気づきます。セイレーネスが、次々と増えています。最初のセイレーネスを追っていたヒューゴーとレインは、あっという間に囲まれてしまいました。艦隊は危機に陥りました。

決断を迫られるニーナ。「どうしたらいいの」「はやく答えを出さないと」「私はトップネスのリーダー」「みんな死んじゃう」「どうしよう」。

ニーナが動きます。セカンドサイトは本来、敵を捕捉するためのドローンです。ニーナはそれを攻撃に応用しました。マーク1は、「戦える船」の本領を発揮していきます。

ニーナが、セイレーネスのカーテンに風穴を空けました。

目を覚ましたニーナ。戦いは既に終わっていました。目の前にはユウがいます。安堵する仲間たち。歓喜の輪の外で、リンネがほほ笑んでいました。

 つづく

〇コメント

今回、内容紹介では極力私のコメントを入れないようにしました。ここからは、私のコメントを添えながら、第8話を振り返っていきます。

・ユウの部屋

冒頭、ニーナはユウの部屋を訪れました。

ユウの部屋に向かうニーナの表情は、その後、リンネと会話する時の表情対比されるものではないかと思います。ニーナがユウを心配していたのは、(リンネの言うような)「トップネスのリーダー」としてではない、と。ニーナにとって、ユウは他のトップネスとは違った特別な存在、ニーナは「リーダー」としてではなく、ニーナ・ネルソンとしてユウを心配しているのではないでしょうか。

一方、リンネと会話している時のニーナは、前話で見せたような、どこか冷たい表情。第7話の回想シーン(ナーフディスにスカウトされた場面)や「恋バナ」のシーンで見せたように、ニーナは本来表情豊かな人間なのだと思います。でも、彼女はしばしば、こうした「リーダー」の顔になる。強い責任感がそうさせているのでしょう。ですが、それはニーナが自分自身を「閉ざされたカーテン」の向こうに追いやっているように見えます。

そんな彼女にリンネが寄せた「ホントにいいコね」の言葉。どういう意味でしょう? その直前、リンネはマーク1を「従順でいいコ」と表現していました。リンネはニーナを、「リーダー」の役割に「従順」な「いいコ」と見ているのかもしれません。

・ユウの夢

今回も、ユウの夢がセイレーネス襲来の前兆でした。「全部終わった」との表現が夢の中で再々出ていますが、気にかかりますね(前回は「知性の繭」での「全部終わったの」)。ユウの夢は、現実化する未来の夢なのか。あるいは、”あったかもしれない”並行世界の未来の夢なのかも。今後の展開を待ちたいと思います。

・ニーナの戦い

ニーナは今回、自分の戦いをしたと思います。

増殖した(?)セイレーネスはさながら「閉ざされたカーテン」。ニーナは仲間に指示を出すのではなく、自らの手で「閉ざされたカーテン」を打ち破りました。それは、ニーナを閉ざしてきた「カーテン」に、ニーナ自身が風穴を空けた姿に見えました。

仲間を守るために、自分がリスクを冒して攻撃に転じる。それは、シミュレーションでアビーに何度もとがめられた「大人ではない」戦い方です。ニーナはこれまで、大人たちの求める「艦隊の要」としての役割に従順であり続け、「大人ではない」自分自身を閉ざしてきたのではないかと思います。だから、ニーナの浮かべる「リーダー」の顔はどこか苦しそうだったのだ、と。

ニーナは今回、マーク1ではなく、ニーナ・ネルソンとして戦いました。ニーナは初めから答えを持っていたのです。「私はトップネスのリーダー」「私がトップネスを守る」。そうした「大人ではない」ニーナ自身の想いを、「私たちが死んだらもうあとがない」という強い責任感をエネルギーにして、「大人ではない」戦い方として解放させたのではないでしょうか。

今回の戦い方は、もしかしたらアビーには怒られるかもしれません。それでも、ニーナは自分の気持ちに従って、自分の戦い方で、大切な仲間を守りました。これは、ニーナが「私ここにいるよ」を示す戦いだったと私は思います。

〇感想

今回はニーナ回でした。そして、これまでの『Λ』のテーマである「自分の戦い方でセイレーネスを倒す」という部分を踏襲した物語だったと思います。

ただ、興味深いのは、今回のニーナのドラマの中で、第7話で提示されたユウをめぐる葛藤がほとんど出てこなかった点です。確かに今回、ニーナはユウを心配していますし、ユウの夢にも出てきますし、ユウと一緒にセイレーネスを倒しています。でも、前話で私が「交差」と表現した、”仲間を守りたいけど、その中に仲間以上に守りたい人がいるとの葛藤は出てきません。ここが面白いところだなと思いました。

冒頭で描かれたニーナの表情は、ニーナがユウに対して、”仲間”とは少し異なる感情を向けていると示すものでした。しかし、今回、ニーナのユウへの想いは、ニーナが閉ざしてきた「自分自身」を象徴するものとして位置づけられていたように見えます。今回ニーナは、「リーダー」としての役割に押し込んできた「自分自身」を解放したわけです。そこでは、ユウの存在は「ニーナ・ネルソン」を構成する大切な要素の一つとして、描かれただけでした。

今後、ニーナの物語は続くのかもしれませんし、ここで完結なのかもしれません。どちらでも私はいいと思います。そもそも、「仲間を守りたい」と「ユウを守りたい」は、そうそう特殊な状況にでもならない限り矛盾しません。また、「forty-nine」をめぐるニーナとユウの物語を、敢えてユウの側から描くのも面白いかもしれません。ここは『Λ』を信頼して、その判断に委ねたいと思います。

さて、実は、今回の解釈にはあまり自信がありません。

考えながら思ったのですが、これまでの『ヤマト』は、どれも作品のテーマをセリフで説明してくれるものばかりでした。だから、良くも悪くも”分かりやすい”作品ばかりでした。でも『Λ』はそうではありません。

それは作風の違いで良し悪しではありません。私は、「語らない」のが『Λ』の良さなのではないかと思います。岡秀樹さんのコメントから「話術」を引用して、「語らない話術」とでも呼びましょうか。

テーマは人生と戦い方で示す。とてもスマートですよね。何より、セリフでじっくりテーマを語ることを(敢えて?)やらないので、一度読んで面白く、二度じっくり読んで面白い、という好循環が生まれていると思います。ですから解釈が外れることもあるかもしれませんが、そこも含めて、『Λ』を繰り返し楽しんでいきたいです。

最後に、決意表明をしておきましょう。これからは、吾嬬さんがほぼ毎回公開されている「制作メモ」を、きちんと読んでいきます。

これまでは、読んでしまうとブログに書く解釈が制作メモそのままになってしまうよな……と、ほとんど読んできませんでした(第1話、第2話くらい)。これからは、読んだら第一印象と私の考えをまず書き、その後に「制作メモ」を読む、という流れをとっていきたいと思います。でないと、どんどんズレてしまいますからね。

まず作品を楽しんでから、作り手の「言葉」を読んで答え合わせをする。実はこれまで、『2202』で散々やってきた楽しみ方なんです。その意味では、とても私らしい「戦い方」だと思います。今後とも色々なやり方で、『Λ』を楽しんでいきます。