ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

『ヤマト復活篇』を「復活」させる方法

こんにちは。ymtetcです。

〇『復活篇』の今

「第一部完」とラストシーンに掲げ、三部作を公言しながら、第二部、第三部の公開が事実上白紙状態になっている『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』。公開版の続き、あるいはDC版の続きに、どんな物語があったのか? 『復活篇』の続編を気にする声も少なくありません。

ただ、『復活篇』は広汎な支持を得られていない(だからこそ続編が作られない)こともあり、「続編待望!」というムードでもありません。乗りかかった舟なので、この際行く末が気になる……というのが実態ではないでしょうか。

『復活篇』をめぐっては、高島雄哉さんが『ヤマトマガジン』上に「アクエリアスアルゴリズム」を連載し、公式の立場から『完結編』と『復活篇』の溝を埋めることに挑戦しました。第二部・第三部のアニメ化を諦めるのであれば、残っている資料をかき集めて、「アクエリアスアルゴリズム」のように新たな作家に委ねて連載する、という手もあります。全国公開された「旧ヤマト」続編の第二部、第三部となれば話題性もあります。プレミアム会員の増加・バックナンバーの売り上げ向上にも期待が持てるのではないでしょうか。

これは比較的ストレートな戦略ではないかと思いますが、私は、迂回するような戦略が好きなのです(笑)。そこで今日は机上の空論的に、迂回戦略を考えてみたいと思います。

〇なぜ『復活篇』か

そもそも、なぜ私は『復活篇』にこだわるのでしょうか。理由は二つあります。

一つは、「シンゴジ的ヤマト」を作るにあたっては「前提知識を必要としないヤマト」が必要だからです。それを作るには、最初のヤマトをリメイクするか、全く新しいヤマトを作るしかありません。現在は、そのどちらも既に行われています(『2199』、『Λ』)。他に手段はないか、と考れば、思い切って時間軸を未来に飛ばした『復活篇』から、新しい「前提知識を必要としないヤマト」を組み上げていく方法が有力なのではないかと思います。

もう一つは、潜在的にヤマトを観る可能性の高い世代の問題です。これに関しては、「ヤマト世代」と「復活篇リメイク」について書いた二つの記事がありました*1。世代の観点からみれば、2020年現在、ヤマトを観てくれる可能性の高い世代(「潜在的なヤマト世代」)は、

  • 旧「ヤマト」世代:50~59歳
  • その子ども世代:20~29歳

だと考えられます。

ヤマト "親の影響" - Twitter Search」でTwitter検索をかけてみると、「親の影響でヤマトを知っている」旨のツイートが散見されます。これらの「上と下」の世代を「潜在的なヤマト世代」と見なし、ターゲットとして考えます。そうすると、一つのアイデアとして、古代進(旧主人公)の年齢を旧「ヤマト」世代をターゲットにしたものに合わせ新主人公の年齢を子ども世代をターゲットにしたものに合わせる、という企画が浮かんできます。

それが可能なのは、時間軸を一挙に未来に進めることができる『復活篇』でしょう。

〇『復活篇』の課題

さて、現実の『復活篇』はどうだったのでしょうか。『復活篇』の古代進は38歳、その子どもの古代美雪は16歳です。そして、2009年当時の潜在的な「ヤマト世代」は、

  • 旧「ヤマト」世代:39~48歳
  • その子ども世代:9~18歳

でした。やや古代が若いものの、概ね、古代進と古代美雪の年齢は「潜在的なヤマト世代」と一致していることが分かりますね。『復活篇』が進と美雪の間のドラマを一つの核としていたなら、人間ドラマとしての評価は変わった可能性があります。事実DC版では、進と美雪のドラマにも若干手が加えられていました。

しかしながら、『復活篇』の古代親子が「潜在的なヤマト世代」と合致していたのはあくまで2009年での話です。今その続編を作れば、劇中の古代親子と「潜在的なヤマト世代」は合致しなくなります。こうして理論上は、時間が経てば経つほど、『復活篇』の続編がヒットする可能性は低下していくと思われます。

〇『復活篇』のその先に

そこで、一つの迂回戦略として、劇中世界の時間軸をさらに未来に進める手を考えてみます。

まず、あの『復活篇』の戦いは終わったことにします(笑)。時に西暦22XX年。劇中世界には古代進(50~59歳)と宇宙戦艦ヤマトが残されています。そして、新主人公(20~29歳)が登場し、全く新しい『宇宙戦艦ヤマト』の物語が始まる……。

留意点ですが、これは「『復活篇』の続編」としては位置づけない方がよいでしょう。前提知識を必要としない、新しい物語にしたいからです。

ですが一方で、1974年『宇宙戦艦ヤマト』のその先にある物語と強調しておきます。であれば、厳密には『復活篇』とも繋がっているのですが、理論上、この作品は『復活篇』やその他『ヤマト』続編の知識がなくとも楽しめるものにしなくてはなりません。あくまで1974年の『宇宙戦艦ヤマト』で18歳だった古代進の、その30数年後の姿を描くのです。そして物語の中心には、新しい主人公がいる。

以前私は、『スターウォーズ』を全く知らないという知人を『フォースの覚醒』(エピソード7)に連れていったことがあります(知らない方はすみません)。『フォースの覚醒』は新シリーズの一作目ですし、最初の『スターウォーズ』とよく似ていたので初見でも大丈夫かもしれない、と考えたのです。すると、ルーク・スカイウォーカーハン・ソロは「何やら大物っぽいおじさん」として処理されていたものの、映画は楽しめたようでした。そしてその後シリーズを観て若き彼らの魅力に驚き、かえって『フォースの覚醒』の内容にショックを受けるまでに至りました。

その方が初見であっても『フォースの覚醒』を楽しめたのは、主人公の役割が新主人公たるレイに与えられていたからでしょう。『フォースの覚醒』が最初の『スターウォーズ』に似ている、という「懐かしさ」は、ここでは全く障害にならなかったのです。

そして、これと同じパターンを『宇宙戦艦ヤマト』でも作れないか、と思うのです。

〇『続ヤマト』

『復活篇』の未来を描く物語。これを『続ヤマト』と仮称しておきます。

この『続ヤマト』が、なぜ『復活篇』復活の迂回戦略なのか。その答えはシンプルです。

理論上、『復活篇』よりもさらに時間軸を進めた『続ヤマト』がヒットすれば、これをシリーズとして展開できる余地が「復活」しますよね。つまり、『復活篇』は『続ヤマト』の前日譚として「復活」し得るのです。

もちろん、幻となった『復活篇』の続編に、「古代進の死」や「ヤマトの沈没」が描かれる予定であったなら話は別です。その時は、どちらかをとってどちらかを捨てなくてはなりません。ですが、私は『ヤマト』の新作を作るなら、かつての主人公・古代進の名前は象徴として欠かせないものだと考えます。

〇おわりに

『復活篇』の「過去」に焦点を当てたのが「アクエリアスアルゴリズム」(とその続編)ならば、『復活篇』の「未来」に焦点を当てる作品があってもよいと思います。こうして『復活篇』の前後を強化することによって、それ単体では力を持ち得なかった『復活篇』というコンテンツが「復活」する可能性は十分あると考えます。そうすれば、西﨑義展さんが残した幻の『宇宙戦艦ヤマト』企画を、何らかの形でこの目で観られる機会も訪れるでしょう。

そして、前提知識を必要としないヤマト、それでいて『宇宙戦艦ヤマト』を感じさせるヤマトを作りだすために使える”ネタ”は、実はあまり残されていません。その中で、劇中世界の「未来」は、やはり魅力的だと考えます。

それこそ、リメイク世界の「未来」に時間軸を進める手もありますが、そこには「懐かしさ」がないのが問題です。旧「ヤマト世代」に「おお、ヤマトか。懐かしいな」と思ってもらわなくては、彼ら彼女らを動員することは難しい

それは、「潜在的なヤマト世代」の若い世代である子ども世代も同様だと考えます。

若者向けに思い切って、現代のトレンドを盛り込んだ「新しさ」ばかりを見せる手も確かにあります。ですが、それは果たして「昭和に社会現象になったらしい『宇宙戦艦ヤマト』という作品」に対する若者世代の「期待」に応えるものになり得るでしょうか。果たして若者世代は、「新しい」ものを見るために『宇宙戦艦ヤマト』を観るのでしょうか。『2199』の経験からすると、私にはそうは思えないのです。

私は、ファンの世代交代を狙うにあたっても、「懐かしさ」が一つの柱になると考えます。「昭和」チックな舞台である『宇宙戦艦ヤマト』を通じて、若者世代に「目新しさ(最近のコンテンツでは得られないもの、の意)」を感じさせることが大切だと。「令和」を生きる若者に”媚びる”ことだけが、「昭和」の生き残る道ではないと思います。

その意味では、あの1974年『ヤマト』から続く時間軸の先に、「全く新しい『ヤマト』」を位置づけることが一つ効果的なのではないか、と考えています。私が『復活篇』にこだわるのは、2009年の『復活篇』がどうだったから、という以上に、潜在的なヤマト世代」を動員し得る条件を兼ね備えた作品が、劇中世界の「未来」(現状『復活篇』)以外に見当たらないからなのです。